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名湯のところには牧水の歌碑が

ちょっと調べることがあって身延線で下部へ。下部温泉といえば「信玄の隠し湯」として有名ではあるが、歴史は実に古く、決して隠されたことではない。

そもそも、下部温泉の開湯は甲斐の国造・塩見足尼が領内巡視の折りに発見したのが始まり。承和3年に当時の甲斐国司藤原正信が下部温泉で病気治療していたところ夢枕に熊野権現が現れこの地に祀るようお告げがあり熊野神社を勧請。

それ以降、下部温泉の鎮守となったわけである。斯様に古くからの名湯であり、鎌倉時代に記された日蓮聖人遺文や室町時代の抜隊語録にもこの名湯の存在を思わせる記述が残っている。

丁度、訪れた日、その熊野神社では祭りがあった。「昔は1000人もの人々が集まったのに、今では100人もこない・・・」と一人の老人が語った。語るというより呟きに近かった。賑やかな祭りの風景がその老人の脳裏にはのこっていたのだろうと。自分には全く想像もできないのだが。

源泉の湧き出る宿には若山牧水の歌碑がある。

「山越えて 入りし古驛の霧のおくに 電燈の見ゆ 人の聲きこゆ」と若山牧水の歌碑があった。明治49年9月、牧水が26歳の時の歌である。山を越えて霧の奥に人の聲を聞いた時はどんな気持ちだったのかと想像する。

旅を愛して、各所で歌を詠む。そういえば日本各地に歌碑を見たな。

そして大の酒好き。一日一升もの酒を呑んでいたという。そして死の大きな要因となったのは肝硬変で、真夏に亡くなったにも関わらず死体から腐臭がしなかったのは生きたままアルコール漬けとまでの逸話があり驚かされる。

まあ、男の厄年にこの世を去って・・・各所を旅に、好きな歌を詠んで。

考えれば、彼は幸せだったのかもしれないなと。

あまりにも高齢社会の中で生きていると不謹慎にも思ってしまう。

 

 

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