ichiko : 感謝・・・ |
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施餓鬼会(せがきえ)に参詣した。お釈迦様の弟子の阿難尊者が若い頃に修行していた時のこと。深夜に突然、骨と皮ばかりで口から火を吹いている餓鬼が現れて「あなたは前世の約束であと三日しか寿命がない。もし長生きをしたいのなら、餓鬼に食べ物を与えてください」といい、忽ち消えうせた。そのことをお釈迦様にお告をすると、「早速、食べ物を加持して餓鬼に施しなさい」と教えられた。これが焔口陀羅尼経(えんぐだらにきょう)というお経に出ている施餓鬼の謂れだ。
餓鬼とは「心の飢えた人のこと」。施しは人のために何かをしてあげるこということでなく、「生かされている自分」のためにすることだという。施しをすれば、その徳が自分にかえる、決して見返りや感謝を求めてはならないということ。
人生も後半になったが、また一つ自分の心を見つめなおした。毎年の法要だが、その年毎に異なった気持になる。60代の若さで亡くなった両親の墓前に手をあわせた。二人とも中年以降は病気やいろいろトラブルなど辛苦もあったが、ある時代は華々しい20代~30代を過ごした父と母を想像する。人生の最期、泣きじゃくる孫に手を握られて「うんうん」と頷いて静かに逝った父。「眠くなったから、寝るわ。おやすみなさい」といい、これが人生最後の「おやすみなさい」になってしまった母。長い時間、静かに両親のことをいろいろ思い出していた。
今朝、私は、今がさかりと庭に咲き乱れている赤い薔薇の花を手折った。溢れんばかりの思い出の中、両親への感謝の気持で墓前にそなえた。
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