ichikoの最近のブログ記事

ichiko : 感謝と鎮魂

  2000年から毎年恒例となった神楽坂女声合唱団の「チャリティーディナーショー」。スケジュール表を確認する。12月14日の本番まであと数回のレッスンとなった。もう、こうなるととにかく集中力しかない。与えられた時間は決まっているから、とにかく集中力なのだ。
  そして今回は東日本大震災への復興祈願も含めて歌う。且つ、夏に一人の大切な団員を病気で失った。発足当時からのメンバーである。元気という言葉しか見つからなかった人であった。しかし突然の別れがあった。だからこそ今年のディナーショーは彼女への感謝の気持ちと鎮魂もある。
  何もかもが"あって当たり前"と思いがちな人間ではあるが、失った時の喪失感。その気持ちが癒える時がいつなのか?己でもわからない。しかし、その"当たり前"のようにくる日々そして時間を愛おしむように大切に生きるということ、瀬戸内寂聴先生流に言えば「生き抜く」ということなのであろう・・・そう思う。

ichiko : 師走の奇跡

  師走の慌しい夕刻に、奇跡とも言うべき出会いがあった。山手線で田町駅から車内に乗り込んだ時、丁度シルバーシートの真ん中の席が空いているのを見た。混雑していく車内。連結部の方に行き、立っててると一人杖をついた男性が乗り込み、そしてそのシートに座った。ふとその男性の杖から顔へ目がいく。「あれっ?」と思う。20代の時に仕事をしていた広告代理店のNさんに似ている。Nさん?と思いながらも声がかけられない。顔のそれぞれのパーツ、そして表情を見ていく。「多分?」とは思うがまだ確信がもてないでいる。車内は次第に混雑していく。
  たまたま今一緒に仕事をしていて共通の知り合いに急いで携帯メールで問い合わせる。確信が持てなかったのは何故かその「杖」だった。直ぐに返信メールが届く。スポーツで無理をして杖をついていると聞いていると。「ああ!やはり!そうか!」と思った時には人混みの中に追いやられた。数分のドラマだった。声がかけられない本当に数分の出来事だった。
  あの時間、あの車両、あの扉、そしてあのシートの前で。奇跡だろう。何十年もの時間の経過があった。もう数十年の時間の堆積だ。しかし、あの一瞬、私の脳裏には20代のNさんの顔や声質、姿そしてNさんの担当していたクライアント名などもうかんできた。そして何故か、川端康成の短編小説「不死」を思い出していた。来年は多分、返信メールをくれた共通の知人を通じて再会のチャンスが訪れることだろう。今年は何とも小さな小さな不思議ドラマの連続であった。

100806_1240~020001.jpg  偶数月に、昔、中堅社員研修で一緒に学んだ仲間と会って、話をして、そして別れる。別れ際には「じゃぁ、次は・・」としっかりと握手をして。当時は会社がますます成長していく時期で、社会も何かが変わる、そんな時期であった。研修といっても、グループ会社のメンバーであるため、職種も年齢も異なる。ただ、女性は私一人の集まりである。自分も含め、みんなそれなりにトシをとった。当時のように若くはない。当時のような漲る元気もない。別れ際には「元気でいてよ」と心の中で強く思うのだ。思えば、隔月にそれぞれが東京だけでなく大阪からも来て、皆で会えるということに嬉しくなる。こうした事は当たり前のようで、当たり前ではない。実はこうした出会いは幸せな時代を生きているからこそ!のことなのだ。


  じりじりと暑い8月になると深く思う。当たり前の事でも当たり前でない、そんな辛い時代に生まれ、生きて、そして散っていった人々の事を思う。「靖国であおう」という言葉を残し・・・。
  また参拝がどうのこうのという季節がきた。しかし、何故だろうか?する、しないにもそれそれの理屈をつけて。私は只管に御霊への感謝の気持ちをもっている。

  
  よく「ドライだ」と言われることが多い。大して意識はしてはいないのだが、多分、それは後天的なものなのかと思っている、人は、やはりどのような環境で生まれも育ったか?ということが大事ではあろうが、その後のその人のもろもろを決定していくのはどうも成人してから、特に就職というか社会人になってからの時間がかなりの要素になっていくと思っている。

  この1~2ヵ月、仕事でいろいろなシーンにぶつかっていたのだが、兎に角、自分のポジションを考え、これ以上ないというほど、客観的に考えてしまうことが一番だった。いわば「他人事」のようにね。
  あるプロジェクトで一緒に仕事を進めていたTちゃんがある日、「いち子さんが、言ったことがしみじみわかりましたよ」と言った。はて?なんだっけ?と思って「なんだっけぇ?」と言うとTちゃんは笑って「私はね!最悪の事態をいつも想定して仕事をしている!って言ったことですよぉ」と言い、また笑った。笑ったということは、その暴風雨というかすごーい嵐が静かに過ぎ去ったからであろあろう。だから私も「そうだったね」と言い笑った。別段、マイナー志向でもないし、夢がないということでもない。ただ常々「最悪事態」を想定して動いていることは確かだ。

  まあ、人間には感情というものがあるから、冷静なフリしていてもその感情にキテしまった場合は、こちらは一切、感情というものを入れないようにする事だ。しかし、人は血の通った人間だ。ツボがある。からからに乾いた中に、最後の一滴。それがツボであろうなあ。


  いつもいろいろ引用させていただいているが、陰陽五行の伊勢瑞祥先生のプログに「運の悪い人というのは、決断力がない人ともいえる」とあった。まさにズバリである。確かに。同じ音がずーっと続いていれば嫌になるだろう。断ち切って、断ち切って、一つの方向に動きだす。これが決断。断というのはオノで糸を断ち切ることらしい。なるほどね!と納得してしまう。

  どうもいろいろなことを引きずらないで、前進してしまうから「ドライね」と言われるのかも知れない。しかし、いつも考えていることは「その人の立場にたって物事を考えること」。これはどんな感情をたとえもったとしてもビジネス上では鉄則だといえる。他者がいてこそ、仕事が成立しているということだからね。
  ・・・とは言いながら、人はやはりたまに流されてしまうんだよねぇ。

ichiko : 拍手!


  最近、人との出会いについていろいろ考えている時が多い。会って話している時も会わずにいる時も「この人との出会いは一体何だったのだろう?」と。出会っても直ぐ消え去ってしまう関係や、何十年も前に仕事で関わった人との再会など、不思議でしようがないのだ。別段こんな事を、いちいち考えなくてもいいのに、いろいろ考えてしまう、まあいい悪いは別として「癖」のようなものなのだが・・・。
  会社に就職したとすれば、その時の出会いがいろいろ人生に影響を与えてくれる。本当に狭い狭い世界の中てはあるが、ある程度は「守られた世界」での出来事だ。しかし、いざ、独立してみると一人ぽっち。これまでのある意味「守られた世界」は過去の遺跡のようなものになり、次第に「ああ、そんな事もあったなあ」程度の事になる。ひとりぽっちになると、兎に角、自分で切り拓いていかなくてはならない。じーっとして、待っていて、ただ、ぼーっと口を開いていては一歩も前に進まないのだ。
  先般、取引銀行の営業マンがやってきて「しかし、吉田社長はパワフルですよね~」と漠然と言う。私は「パワフルなんてもんじゃないですよ~ただ、当然の事をしているだけですよ」と大笑いして言い返した。彼は一瞬、きょとんとしたが、直ぐに笑顔(営業スマイルだろう)になった。日々、パワフル!なんてことを意識して動いちゃいない。それに決してパワフルではない。しかし、日常生活のワンシーンであまりにも陳腐な言葉をかけられると思わず苦笑してしまう。

  それにしても、つべこべつべこべ五月蝿い私が最近よくしていることは神社へいくこと。いろいろ考えながら一番落ち着くのが神社仏閣。しかし、神に拝礼する時のあの拍手は一体どのような意味があるのだろうか。

『左手は「火」足すなわち陽にして「霊」、右手は「水」極すなわち陰にして「身」。拍手とは、陰陽の調和、太陽と月の交錯、霊と肉体の一体化を意味し、火と水が交わり「火水」つまり(かみ)となる。拍手は身である右手を下げ、霊である左手へと打つ。己の根本原理を霊主に定め、身従う。このとき「火水」(かみ)は神に通じ、神性開顕となって神意が降りる。手を鋭く打ち鳴らす音は天地開闢の音霊、無に宇宙が生まれる音である。それは天照大御神の再臨たる天の岩戸開きに通じる。拍手をもって祈念するとき、そこに天地が開く。そして岩戸が開き、光明があふれ出る。光明とはいわば種々に矛盾した心が、ひとつとなって発する輝きである。その輝きは身分の貴賤を問わず、老若男女を問わない。恐れや迷いを祓い、真に求めるものを己自身に知らしめ、精神潔白となる。』という解説を知った。陰陽五行の伊勢瑞祥先生が読まれたという「天地明察」(沖方丁著)に書かれていたことだ。
  知れば知るほどに深い世界である。もっと神聖な気持ちになって参拝しなくてはならないなと痛感。ただ、直感頼りにバタバタとしている日々に只管反省である。

ichiko : ありがとう


  ある方のメールマガジンを読みながら、思い出すことがあって胸がじんと熱くなった。

『「父親と話をしていて最近、気づきました。
父親が、よく「ありがとう」と言うのです。
前からそうだったのでしょうか。
あまり記憶にありません。
でも、たしかに、「ありがとう」と言うのです。
自分は、「ありがとう」と言っているかどうか。
やや不安になります』


  この「ありがとう」という言葉。結構日常で言っているようで、実はそれほど意識しては言っていないのかも知れない言葉だ。まあ、何となく・・・他の言葉は見つからないし・・・という感じか。
  

  昔、母が自宅で体調を崩して、動けなくなった時、母を背負ったことがある。その時背後からか細い声で「ありがとう」と聞こえた。そして一週間も経たないうちに母は亡くなったのだが、あの時の声は今でも耳に残っている。その「ありがとう」の後に「お世話になっちゃって・・・」と言った母。いつもは、娘にそんな事をいう母ではない・・・というのに。その時、「ああ、もういつもの母はこの世には、いないのかも知れない」と直感していた。


  言葉とは本当に重いものだ。そして人の心を潤すのも斬るのも「言葉」である。一言一言を大切に生活していきたい。そして「ありがとう」という言葉は"心"を感じて言いたい。

  

ichiko : 性格

  しかし、この一週間、なんか喉にひっかかって、溜まって、澱んだ感覚は何だろう?と思っていたが、何となく分ってきた。
  本来は天真爛漫~、大雑把な人間だと思っているが、これまで関わってきた仕事がわりあいと「時間厳守」「締め切り」という事が多かったせいか、時間に対しては細かい性格になってしまっている。その上、せっかちが加わっているのだが・・・・。仕事上では何となく~が受け付けられないようになってしまったようなのだ。
  例えば、何時にどこと言う場合、待ち合わせなどでは必ず早めに到着するようにしている。且つ、遅れそうな場合は、今は携帯という便利ものがあるから電話をするかメールをする。場所や内容も予め調べていくようにする・・・そんな事が私の場合に当たり前の事になっていたのだが・・・。

  よく「じゃあ、昼頃に行きま~す」とか「夕方頃になると思いま~す」という表現をする方がいる。これは特に女性に多い。時間の言い方をもっと厳密に正確にいえば、それこそ面倒な話になってしまうのだが、やはり"何時に"とは言いたいものだ。何時頃でもまあいい。「朝いち」「午後いち」にはなんて表現もすることも多いが、やはり時間はきちんと表現をして進めたいものだとつくづく思う。

  これまでは何となく、漠然と思っていたのだが、仕事には結構「性格」が大いに反映しているものだ!とつくづく・・・。

  全くというか・・・良く分らない世の中であります。何が売れて何がヒットするのかが。時間が経って、いきなり火がついてというものがあるんですねぇ。詳細は少し落ち着いてからと思いますが。今、そんな状態であります。やはり出版というのは昔から"みずもの~"なんて聞いたことがありますが、やはり流動的な世界なんだとつくづく。


   先般、友人と久しぶりにランチをした時、指にちょっと怪我をしていた。「どうしたのか?」と聞くと、「思いっきり、これまての資料の整理をした。紙で指を切ってしまった。紙ってすごいなぁ」と言う。
  友人はこの春に転居をした。家族の独立というか自立などもあって「家族構成がかなり変わっていくと住まいのていも変わっていくよ」と言う。確かに、当時は狭すぎる・・・というのが広すぎるになることもある。その"時"は予想だにしない事なのだが・・・。
  
  「名刺類も整理したの?」と聞くと、「そうそう、何故、こんなに保存していたのかも不思議なくらいだ」と言う。私もふと、思い出すと気も滅入るほどに膨大な名刺の量。「いつか役立つのではないか」と思っていることが実は間違い。役立つことなどかなり特殊な場合を除いてないと思う。しかし捨てられない状態。それを心機一転とばかり彼は捨てたと言う。「昔から集めていた記念切手だってどんどん使い始めたよ」との言葉に少し仰天して「それって勿体ないよ。私は出来ない」と言うと「それだからだめだ。使いきったほうがいい」と笑う。
  
  「そういうのを着倒れというのよ」と言ったこともあるほど、営業マン時代はかなり良質のスーツで過ごしたので、これまた膨大な量。現代のようにブランド信仰が全くなくなった時代は信じられないことだが、「まさにお互いに無駄な買い物をしたな」と苦笑する。
  
  今は欲しいものがないないと何も買わない人々が多いようだ。海外旅行にもクルマにも興味のない若者が多いと聞く。しかし、本当に充足しているのだろうかと思う。多分、無駄なことはしない、したくないと思ってしまう回路になっているのだろうな。しかし「いろいろ無駄もしてきたけれど、今は思い出が大切だということがわかってきたよ」とサバサバしたものいいが爽やかでもあった。ちょっと前なら「何をかっこつけたことを言ってるの!」と言い返しそうであったが、やはりいろいろな無駄をすることで本当に多くの事も学んだそんな気がする。

  そうそう、今日は2010年2月6日。また月の話しをしてしまうが、今夜は下弦の月が見られる。海の潮の張りも強すぎず弱すぎずということで、感情的すぎず、理性的すぎず、ほどよい心のリズムになる時か。要は何でも"ほどよく"ということか。

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プロフィール

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吉田いち子
東京麹町生まれ。日本女子大学卒業後、サンケイリビング新聞社に勤務。2004年3月独立。
その後フリーランスで単行本取材・執筆。主婦、母親、会社員の慌しい?人生経験を生かした取材が得意テーマ。強みは「人脈」。名刺交換だけでなくまさに「魂」の交換?を理想にした密度の濃い人脈作りを目指している。2005年10月に首都圏在住の40歳以上のミドル層をターゲットとした生活情報誌『ありか』を創刊。2007年5月に、これまでに培ったノウハウを生かし編集企画・出版プロデュースをメーンとする株式会社『吉田事務所』を設立した。

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