ichikoの最近のブログ記事

ch12.その他 : 六角さん!


20代の頃から本当にお世話になった六角弘さんが亡くなった。10月4日の朝刊の訃報を見て、驚いて!兎に角、築地本願寺の通夜に駆けつけた。信じられない気持ちで遺影を見る。人生とはこんなことがあるのだな・・・と。

六角さんは本名よりも六角弘さんの名前の方が知られている。「週刊文春」の伝説的記者であった。

当時、「一か月2万円で暮らそう」と余りにもおかしな節約を提言した私が面白いということで取材されて「週刊文春」に顔入りで記事が掲載されたことがあった。私の勤務先は新聞社。その時の統合編集長が「これからは大いに豊かな生活をしていこうというテーマだというのに!」と大目玉をくらったこともある。

ははは・・・今となっては、良い思い出ではないか。 さてさて、六角さんは最後の事件記者というほどの人物であった。怪文書の研究でも知られている。

最初、その本を送ってきたくれた時は「なんで、まあ!」と驚かされた。驚くほど広い人脈と緻密な取材。超がつくほど緻密である。飲み屋で話している時も「えっ?詳しく聞かせて」と言いながらなんと箸袋に誰も読めそうもない字で書き連ねていく。そんな人物であった。 世界中の信じられないほどのものをたらふく食った人でもある。ある時、「歯が痛い」と言った時「すぐに診てもらったほうがいい」と言うと「自然に治る」と豪快に笑った。

毎年、楽しみにしていた年賀状・・・もう来ないのかと思うとただ悲しく、辛い。享年77歳。あちらの世界でも、ねちっこい取材をしているのだろうか?そんなことでも想像しないとやっていられないよ、六角さん!


ichiko : memo

日々の何気ない出来事をブログに書いている。別に「いいね!」と期待せず。最近気が付いたことは、何と日常生活の中に非日常生活があるのか!ということだ。ふと冷静に考えてみると実にドラマチック。しかし、自分にとっての小さなドラマであるだけで、決してテレビドラマで皆の感動を得るものでもない。しかし、目の前に起こるドラマチックな出来事の数々に、このごろは忘れないようにメモでもつけておこう!と思い始めた。そこに共通するのは「人」が介在しているということ。たとえ見えない人でも嘗てはいた人、今後、もしかしたら出会うかも知れない人が想像できる。まあ、ひとりドラマであっても楽しんでいけるものならそうしていくのも良いな。ショートストーリーになるかも知れないな。

ichiko : いわきの海


   西武池袋線・椎名町駅を降りてすぐのところにある「しいなまちみとら」。そこの代表である田中さんが定期的にメルマガを発信している。その文章中に、3月になって茨城県五浦温泉・福島県いわき市など旅行に行った時の話が書いてあった。「震災によりいわき市の海はこの先100年は元にはもどらず地元のうにや魚でおもてなしができないのが残念」と料理屋の女将が嘆いていた話があった。
   いわきと言えば、数年前に仕事でよく通ったことがある。のんびりとした海を見ながら「ああ、ずっとこうしていたい」と思った時もあった。獲れたての魚を焼いてもらった。ビールも美味かった。海に近いBARに行き、そこのママさんの苦労話も聞いた夜もあった。海を見ていた昼下がり・・・あの震災の爪痕は余りにも大きかったのだ。「この先100年は元にはもどらず・・・」という言葉が実に辛い。思い出せば、そして現実に涙がこぼれる。

ichiko : 愚直に進む

 日曜日も朝から「としまの記憶」をつなぐ会のミーティング。3月末納品の映像のチェックと29日、30日、31日に東京芸術劇場で公演されるミュージカル「朝の光のその中で~80歳のいけふくろう」のつめ。休日も何もなく、メンバーは冷静にそして熱く侃々諤々。ふっと、昨年の今のことを思い出してみた。コンテストなどは実施していたが、まだまだ確かな形が見えていなかった時期だったな。だからこそ、未来に向かっては只管愚直に進むことが大切だ。
 「縁というのはスピリッツのレベルが一致しないとつながらない。本物の心の価値観と見かけの価値観とは違うね」陰陽五行の伊勢瑞祥先生のブログの一節。何か、今日の自分の心にフィットした。スピリッツか・・・たかめて行こう。驕れることなく進め!!

ichiko : 2013年幕開け!

初日の出.JPG2013年になりました。今年も一年、素晴らしい年であることを祈って!素敵な初日の出の写真をお送り下さったとしまNPO推進協議会の柳田さん。有難うございます。

  そろそろ?年賀状を用意する方々も。そんな季節である。しかし、最近の年賀状の宛名のなんと味気ないことよ。最初の頃は美しい文字に「ほーっ!」と感心したが、最近は誰もかれもが美しい文字。時々、手書きの年賀状をいただくと、ほっとするものがある。
  プレゼンテーションの資料やいろいろな企画書、日ごろのメールも「よっ!完璧!」と思う方でも、その人の直筆を見たことがないことが多い。思えば、昔々の手書きの企画書は何とも言えない味があった。企画書に味わいなど必要ないでしょと言われそうだが、その人の文字を見ただけで「あっ!」と分かるものなのだ。そんな楽しみが次第になくなっていくのだろうね。
  そういえば、最近、便箋で手紙を書いたことがないなぁ・・・。お気に入りの便箋の出番は殆どないな。だからこそというか、出来る限り葉書を書くように努力している。愛用の万年筆。付き合いも長いね。今後も愛用していく為に!

ichiko : 深い記憶

もうすぐ17日、春の彼岸入り。昨年、友人の映画監・槇坪夛鶴子さんが亡くなった。何か心の整理も出来ず信じられないまま年を越した。鳩居堂から良い香りの線香を送る。彼女は一貫して若者、高齢者と身近な問題をテーマに映画を撮り続けてきた。最新作『星の国から孫ふたり』の上映を全国展開している途中の死であった。

  長年、槇坪さんと仕事をともにしてきたプロデューサーの光永憲之さんと話した。その日、午前7時に仕事場で光永さんはベッドに腰掛けている槇坪さんを見る。長年リウマチに苦しんできて槇坪さんの身近な世話をする方が5時に引き上げる時、「テレビをみたい」といったそうだ。ベッドに腰掛けてテレビを見たのだろう。光永さんはとても顔色がよく、微笑んでいる彼女の姿に「もう起きたら?」と何回か声掛けする。しかしその声掛けにいつもの返答がなかったという。


  最初の作品の発表の時か、新宿の喫茶店で初めて槇坪さんにインタビューをした。当時はオープンしたばかりのお洒落な喫茶店の窓際の席だった。窓からは道行く人々が見えた。昼下がりにインタビューしていたが、いつの間にか夕暮れ近くになっていた記憶がある。広島生まれの槇坪さんのその壮絶な記憶を私はずっと聞いていたのだ。白い壁の前で話す槇坪さんはまるで肖像画のようにも見えた。


  「槇坪は次の作品を準備していたんですよ」と光永さんが言う。昨年の3.11の時から、そして自分の広島の壮絶な記憶。作品は槇坪さんの"生"の軌跡を描いていくもので今年9月には完成するそうだ。そこには槇坪さんの深い想いがあると思っている。死というものが未だ信じられず、また「お元気ですか?」と電話をしてしまいそうな自分がいる。映画が完成すると試写会でのあの笑顔は忘れません。槇坪さん、ありがとう。
槇坪夛鶴子さんの映画については「企画制作パオ」へ

ichiko : 震災から一年

今日で東日本大震災から一年が経過した。被災地ではまだ3000名もの方々が行方不明である。愛する人を一瞬のうちになくした方々のことを思えば心の奥がきりきりと痛む。放射能の汚染。故郷を奪われた人々の気持ち。その苦しみと悲しみは続く。私たちはずっと忘れてはいけない。助け合わないと生きていけないということ。日本という国で生きているのなら、もっと自分の痛み、苦しみ、悲しみとして感じたい。決して他人事ではなく。日本人はいろいろなことを学んだはずだ。そして、今何をすべきか?ずっと力のある限り行動をしていかないとならない。

2003年からブログを開始しているといろいろなことがある。過去の記事は削除することも可能だがそのままにしている状態。インターネットの世界とは便利でもあるが時として、いやなことまでも思い出さざるをえない。例えばだれかが人名や事柄を「検索」してたまたま私のブログを見られることがある。アクセスの結果など見ると、「あああ、そうか」という気持ちになる。しようもないことだが、その「こと」その「人」とのご縁も全て消えていることも多いからだ。だからこそ最近はブログに書くことはある種の覚悟が必要だなと思っている。人生後半ともなると特に人とのご縁もけじめをつけなくてはならない時期でもある。まあ、今いずこ?と思っていてもその時代に活力があったことは確かなことだから、全て己の鏡でもあるというものだろう。

  決算が近くなると、本当に未だ勉強に勉強が続く。これからは取得した「特許」の管理も必要となるので、また今までは呑気に生きてきた分、しっかりしないとならない。見積書、請書、注文書、請求書、領収書・・・・の管理、税金の勉強も今まで以上にしっかりしていかないとならない。
    
   そして、今年は「としまの記憶」をつなぐ会のNPOにする作業をしないとならない。そして、それこそ意表を突くような企画を猛然と進めなくてはと思っている。且つ、人がやりたくない作業。いわばコツコツコツと地道に進むことも大切なのだ。
  
  しかし!腹がたって言葉も出ないほどの国会。いつからこんなに政治家が力不足になったのか?と思いつつ、生活している。日本という国で。どんなに頑張ったったところで自分の命だってたかが知れている。未来を担っていく子ども、孫、ひ孫・・・そんな子供たちにとって「日本」という国に生まれ、育ってよかったのだと思える国にしなければならないね。コツコツ働き、しっかり喜んで税金を納める!そんな信頼のおける国にしなくてはならないのだ。


  忙しくても、ほっと日常の静寂に一息つく・・・そんな精神が必要である。
  まさに「忙中閑あり」というものだろう。
  よく学び、よく遊び、そしてよく笑え!である。

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プロフィール

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吉田いち子
東京麹町生まれ。日本女子大学卒業後、サンケイリビング新聞社に勤務。2004年3月独立。
その後フリーランスで単行本取材・執筆。主婦、母親、会社員の慌しい?人生経験を生かした取材が得意テーマ。強みは「人脈」。名刺交換だけでなくまさに「魂」の交換?を理想にした密度の濃い人脈作りを目指している。2005年10月に首都圏在住の40歳以上のミドル層をターゲットとした生活情報誌『ありか』を創刊。2007年5月に、これまでに培ったノウハウを生かし編集企画・出版プロデュースをメーンとする株式会社『吉田事務所』を設立した。2011年春から豊島区の地域紙『豊島の選択』の取材・編集。

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