ch10.生活 : 友情とは肩書きなんてないものさ |
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最近は知人・友人のプログのリンクをしている。
以前、勤務していた産経新聞社の先輩の宝田さんのプログもリンクして、時々、訪問させていただいている。
宝田さんは「たからしげる」というペンネームで活躍する児童文学の作家でもある。一番最初に拝見した作品は、確か『しゃべる犬』だったか?と記憶している。児童文学の作家なのを知った時に、かなり吃驚したのだ。その他にも作品は数多くある。趣味は映画鑑賞、音楽(特にジャズ)鑑賞というのも、彼のブログで知った。
・・・・・・・・というより、昔、新聞社で中堅社員研修なるものがあり、そこでの研修も一緒だった。研修時間でない時に、宝田さんが「昔、幽体離脱しちゃったことがあってね」ということを聞いた時は本当に不思議な人だなあと思った。
しかし、忘れもしないあの日の雨の夜。フジサンケイグループの何人か(10人くらいだったか)、、都内某所の鮨屋で会合をした事があった。
宝田さんと私は、その夜、あの時、一瞬のうちに異次元に入り込んでしまったのだ。
ここまで読むと、酔っ払ってプログを書いているのか?と思われるかも知れないが、本当に不思議な世界に入り込んだ。それは、「今」流れている「現在」ではなく遠い「過去」の次元。そして異次元に生きている人々と、2人は同時に出会っていたのだ・・・。
あの日から随分と時間が経過してしまった。しかし、あの時のことは今になっても「あれは一体何だったのだろう?」と思う。当時、他のメンバーは、私と宝田さんが何かみんなを驚かそうとして?何かを「企んでいる」のではないか?と思ったいう。それくらい、2人の様子がおかしかったらしい。
そんなみんな考えなど知ることもなく、宝田さんと私の隣りには江戸時代あたりの人々が次々と現れ、そして皆がいろいろなメッセージを伝え始めたという事は確かだった。2人はシンプルに同時進行しながら、過去の人々と遭遇していたのだ。それは、まるで、タイムマシンに不意に乗ったとでもいうのだろうか。
未だにメンバーと出会うと、この話題で大いに盛り上がるのだが・・・・・宝田さんはいつも「もう、やめてくれよ」といった表情をする。
そんな宝田さんの「たからしげるブログ」の5月6日「仕事と友情」を読んだ。
仕事をしていると、仕事にかかわる人間関係というものができあがる。
仕事から離れると、仕事にかかわる人間関係も薄まってしまうようだ
全くその通りなのだ。ある企業を、ある組織を去った「その時」に本当に分かるものがある。「定年退職」というものならまだ大義名分もたつ。しかし、ちょっと前あたりに退職すると、これまでとは全く「異次元」に入り、「異次元」の人々に出会うものだ。今、流行りの早期退職制度。自分の実力も知らずに、ある程度のお金にめがくらんで退職したら大変なことになる。特に、大手企業に勤務していた場合は相当な覚悟が必要だ。かなりの精神力がないと「異次元」で生き抜くことは出来ない。「大手企業」のその時の「肩書き」で付き合ってくれた人々ばかりが殆どだということに気づくだろう。ああ、自分は大きな神輿に暫くぶらさがっていたのかも知れない・・・と。
人は、先ず、相手を見る。相手がどんな立場にいるのか、一体、相手は自分にとって何をしてくれるのか。自分にとって好意的で利益を齎してくれるなら受け入れる。しかし脅威であれば潰しにかかるものだ。
それに人間というものは騙されやすい。昔、スタンフォード大学の調査だったと思うが、学生に「囚人役」と「看守役」を一定期間させた実験がある。するとどうだろう。同じ学生同士であったのに看守は囚人に対して日々威圧的な態度をとるようになっていったという。恐ろしいことだ。斯様に人はその時の立場や肩書きでどんどん変貌していってしまうものなのだ。だからこそ、映画でも絵画鑑賞でも音楽でも何でもいい。損得を離れてもお互いが共感できるサムシングを持って一生過ごせる友人を持ちたいものだ。
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