ichiko : 情報の価値って |
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その日、ある新しく発刊されたペーパーを見ていた。
「対象の読者は?」と聞くと「年収が~千万円以上の富裕層」とのこと。ページを捲っていくと、やはり超一流の広告が露出されている。
「なかなかだね」と言うと「んー」と一言。
最近は年代はもとより年収で読者をきりわけていくことに、何とも妙な違和感を感じてしまう。それこそ今、涎がでそうなディスプレイ広告をみても、昔のような感動がなくなってしまった自分は本気でいかれちゃったのかな?と思う。
「確かに、完成された感じだけどね」と長く新聞の営業をしてきた彼が言う。「感じだけと?それで?」とページを捲り続けているが、何か感動が本当になくなっている。見事な出来?のメディアを手にして「その年収がない読者の手には渡らないんだね?」と私は呟いた。彼は頷いた。
渋谷、新宿・・・・雑踏で、のどを嗄らしながら若者が無料のコミック、フリーペーパーを配っている。暫くその様子を見ていた。もう、誰も手にしようとはしない。そして、大手町の地下道で人気のフリーマガジンのいれかえが行われていた。一人の男性が手こにとり、そしてラックにもどした。いずれ、なくなるのだが、あの頃のように誰もが珍しそうに、そして“待ってました!”とばかりに手にとることはない。哀しいかな、ゴミ箱にちょっと見て、ホッと捨てる人の姿もある。取材、編集、執筆、撮影と膨大な時間が費やされているというのに!嗚呼。
私はブランケットの16ページの新聞を読み終えた。
「“広告営業をやってきた人間は過去しか振り返らない。俺は退き際を間違えた”・・・そんなことを~さんが言っていたよ」と彼の口からことばが洩れた。まさに、大先輩の言葉に“真実というかガツンときた”と溜息をついた。
私は、バッグの中にその新聞をいれた。もしかしたら?帰宅しても、再度読まないのかも知れないのか?・・・・そんな気持ちがした。
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