ichiko : 賀状のむこうには |
||||
毎年のことならかもがら、年賀状は嬉しいものだ。年末に「今、ニューヨーク。いよいよカウントダウンよ!」なんてケータイにメールが送られてきた。次々とケータイに年賀メールが届けられる。こんな時代になったんだなぁ~と思う。しかし、混雑して届かないものもあると思うとやはり、ハガキの年賀状がいいのかも知れない。
「ああ、元気にしているんだ!」と思える賀状は嬉しくなる。結婚前から仕事と結婚の両立に悩んでいた女性から「今、妊娠4ヵ月になりました!」なんてメッセージをもらうと、新聞社勤務時代に一緒に仕事をしていた、あの時間を思い出す。多分あれこれ相談してきた彼女に「悩んでいないで結婚しちゃえばいいよ。仕事はね、いつでも出来るもの」と言ったのだと思う。
ある時から私は「仕事はいつでも出来るよ」と言い始めていた。仕事が仕事が・・・・と言いながら、結局、結婚もそして出産も諦めてしまったような女性を何人も見てきたか。子どもだってそうだ。仕事が仕事がと言っているうちに女性の場合には「時期」を逸してしまう。小学生になりました、いよいよ受験生、大学に見事入学・・・・今や、就職しました。結婚しました。孫がかわいくて!といメッセージが繰り返される。年賀状はまさに「人生」の縮図。人生そのものを映しているのだ。便りがあるのは・・・・いいことだ。何もかも全て「関係なくなること」ではないから。そんな打算で生きていくのは寂しい。哀しくなる。
そんな中に私の旧姓できたものが一通あった。ちょっと届いたこと自体が信じられなかったのだが、多分その方にとって私は「渡辺いち子」であるのだろう。今は亡き父の友人。小さいころからいや、私が生まれる前からの父の友人。これまでに、何通も何通も賀状をいただいているというのに・・・・・今回初めての事。不思議な感覚がした。「今度お食事でもしましょう」とある。思い出話をしよう、そして、今年は父の十三回忌でもある。いろんな思いが去来する。
カテゴリ
ichikoトラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 賀状のむこうには
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://210.196.86.5/~blog_mt/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/1139
コメントする