ch10.生活 : 日暮里にて |
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山手線や常磐線で通り過ぎることはあっても、暫く、この駅には降りる事がなかった・・・。目の前に聳え立つ高層ビル。日暮里駅が再開発されるということは以前から、勿論知っていたのだが、目の前に広がる、あまりの変貌ぶりにしばし呆然とビルを見上げていた。
舎人ライナーからも多くの人々が溢れ出てくる。ところ狭しと商品が置かれていた駄菓子屋の問屋街もなくなって、駅前の親しみ易い店舗も姿を消している。昔々のことだが、冬の寒い時期に囲炉裏のある居酒屋で牡蠣鍋をつついたこともあった。気さくな女将がいて、話し上手な大将がいて・・・・その店も移転したようだ。いやはや・・・・。まるで浦島太郎状態だ。確か、恵比寿駅が変貌した時もこんな"浦島太郎"感覚があった。問屋街にあったいくつかの駄菓子屋さんは高層ビルの中に店舗をかまえているものの、やはりあのごみごみした何とも言えない情緒はまるでなくなっている。
谷中銀座の方へ歩いて行くとまだ、お寺さんも多く、昔の趣は残っている。久しぶりに谷中銀座を歩く。いつものんびりと日向ぼっこをしていた、野良猫ちゃんたちがいたた空き地にも今では立派なマンションが建ち、猫達は行き場を失っている。
はて、あの石垣島出身のママの店はあるのだろうか?。狭い小路に入っていった。昔はよく来たなぁ・・・・夜になると、ワイワイと賑やかに馴染み客が集まり、カウンターの小さな店はいつも満員だった。看板を見つけた。昔のように店はそのままだ・・・・。ほっとした。ママは元気なのかしら?と思う。店の前に立つと、まだ開店はしていないものの、灯りが外にもれている。開店時間まで待とう・・・・・・と思ったのだが試しに扉を開けてみた!「あらぁ~いち子さん!」とカウンターの中で、一瞬驚いたママの顔がそこにあった。本当に久しぶりの訪問だった。
「ごめんなさいね」と言いながら、カウンターに座る。この店自慢の甕の古酒を飲みながら、過ぎていった時間を数えた。「・・・・ということは6年くらいかしら?」とママが言う。そうか、6年もの間、来なかったことになる。しかし、そんな時間が経っても開口一番「あらぁ~いち子さん!」と言われたことは何とも嬉しいことだ。聞けば、ママももう齢73になるという。「ちっともかわりませんねぇ!ずっとずっと元気でいてくださいよ」と言うと「ふふふ、塩漬けにでもしておこうかしらぁ~」と仰け反って大笑いしている。
この夜は石垣島と薩摩の話で盛り上がった。知られていない史実があった。「そんな歴史は、もう60代も後半の人しか知らないかも知れないわねぇ・・・・」と苦笑する。日暮里の変貌ぶりにビックリした事を話すと「石垣島だってすっかり変わってしまったのよ~」と言う。この夏になんと40年ぶりに故郷・石垣島に帰った時、あまりの変貌に声も出なかったという。その驚きは多分、今日、私が驚いた以上の変貌した故郷への驚きだったに違いない。まさに、変わる素晴らしさと変わらぬ素晴らしさか・・・・・どちらも粛々と認めていかないとならないということなのか。
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