ch05.エンタテイメント : イーストウッド監督の美学 |
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頑固で偏屈。妻が亡くなってマンネリ化した生活を送っている一人の老人。亡くなった妻は夫に"懺悔"することを望んでいたのだが、彼は牧師の勧めも断る・・・・。いつも眉間に皺をよせている父親に、実の息子たちからも未だ50年代を生きていると揶揄される。親子であるのにコミュニケーションがうまくとれず常にギクシャクしている。
しかし、ストーリーはある切欠が予想もしない展開へと導いていく。モン族の少年タオとの出会い。これまでの、この老人の偏見と固定概念を崩し、いつの間にか、アメリカに暮らす少数民族に対しての温かい眼差しに変わる。主人公ウォルトの人生さえ根底から大きく変えてしまう・・・・。
『チェンジリング』から間を空けずに公開されたイーストウッド監督作の『グラン・トリノ』。映画=娯楽ともいうが、この作品はまさにイーストウッドの哲学そのものの気がした。主人公ウォルトの生き様はまさら彼の美学だろう。80代を目の前に、彼の男としての人間としての凝縮というのだろうか、あくまでも作品の役であるのだが、ウォルト=イーストウッドに思えてしまう。
グラン・トリノはまさに、ウォルトが人生で一番輝いていた時代の象徴でもある。今回の作品を最後に「俳優業の引退」を宣言したイーストウッドだが、人生に対する答えが全て込められているとは感慨深い。そしてなんとも深い。人生も後半戦ともなると・・・限りある人生について、ふと考える切欠になる。いや・・・・・寧ろ若い人々に観てほしい映画だ。
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