ch10.生活 : 懐に"ポチョン" |
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日々、多くの方々からパソコンに「めるまが」が届けられるが、なかでも株式会社「心に響く話し方」の代表取締役・宮北侑季さんのめるまがにはいつも元気をいただいている。言響つまり、心に響く話し方ということ。"話す「内容」以上に話し手の「心」が伝わる それが言響"であると宮北侑季さんは仰る。とってもチャーミングで、快活で素適な女性である。その宮北侑季さんがあるセミナーで「よく「相手の立場・気持ちになってと言う時、それをどうかもう1つ入り込んで、相手そのものの懐に、ポチョン!と入って・・・」とある。私の心に響いた!まさに言響ですよ!
言葉とは本当に不思議なものだ。昔から「口は禍の元」と言われるが、つかい方一つで"禍"をうむことがある。「良かれと思って言っただけなのに」とか「そんなつもりで言ったのではない」(意外とこのケースが多いと思っている)など、古人は話すときには十分に気をつけなさいと教えてくれているわけである。
通常、仕事の都合上、あまり「口」には出さないのだが、電子メールの、メーリングリストというものが実は大嫌いである・・・・・。メール、つまり文章であるかも知れないがやはり「口」から出ているもので、単なる業務連絡などては大いに便利で結構な手段であるとは思うが、一言というか何かが変わっていき、それが「そんなつもりで言った(書いた?)つもりではない」などと一旦こじれ始めると、まるで迷宮に入ってしまった気分になる。こじれると修復は大変。何か濁流にのみこまれ、どうにも制御出来ない感覚もある。一時的な感情で、武器ともなる「言葉」を撒き散らしてはいけないと思っている。メールの文章とは実に難しい難しいものであるということを再認識したいものだ。
言葉には強い力が宿る。釈迦は「自分が大切なら悪い行いをしてはいけない。悪を行って幸せを得ることは難しい」と教える。まさに人のふり見て我がふり直せということか。力が宿るからこそ、言葉で人を傷つけたり、また心を癒すことも出来るわけだ。たとえ「うわぁぁぁぁーっ」と思っても先ず冷静に相手の立場にたって、一呼吸して見ることだ。人は生身のいきものだからしようもない事をしたり言ったりしてしまう。しかしそんな時は『十善戒』の中の言葉に関するものを思う。「不妄語」(嘘をつかない)「不綺語」(心にもない事をいわない)「不悪口」(悪口を言わない)「不両舌」(二枚舌を使わない)等など。聖人君主でもないから、それこそいい加減な生活もしている。しかし、一呼吸して、そして考えるという気持ちはいつも、もつことを心がけている。
"言響"の宮北侑季さんホームページ
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