ch01.政治 : 思惑 |
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急に暑くなってきた。こう暑くなると、ついカレーが一番!という気分になる。
昔、足繁く通ったことのあるネパール料理の店があった。店内には王家の写真が飾られていてママさんはいつも誇らしげに説明してくれた。ママさんは日本人であったが、ネパールの方と結婚をして新婚時代は現地で生活していたという。初めて「鯉カレー」というものを食べたのもその店だった。仕事が忙しくなって、店に行かなくなり、ぼやぼやしているうちに閉店してしまった・・・。
その、ネパールでは、「ヴィクラム暦」という、太陽暦と太陰暦を組み合わせた独自のカレンダーが使われている。勿論、世界標準である太陽暦も使われているが、国の公式な暦はこのヴィクラム暦を使う。
ある事件を思い出す。国王の一族は毎月一回、ヴィクラム暦の第3金曜日に、家族が集まって食事をともにする会合を開く。
そして2001年6月1日が、第2の月の第3金曜日にあたっていた。国王そして王妃ら24人の王族がカトマンズの王宮に集まり、歓談が始まったいたのだが、宴酣とい時に機関銃が乱射され、ビレンドラ国王やアイスワルジェ王妃を含む王族が殺害されてしまったという事件があった。この事件は国民の間で人気の高い国王と王妃が亡くなったということで国民に多大なる衝撃を与えた。
機関銃を乱射したのが誰なのか?国民に対して納得のいく説明のないまま時間は過ぎていく。政府が公式な説明となる報告書を発表したのは、事件から2週間たった6月15日のことだった。政府の許可を受けずに行われた記者会見では国王の息子であるディペンドラ皇太子が機関銃を乱射したと発表された。 皇太子の恋人が政治家の娘であり、その一族は、王妃の家系の一族とライバル関係にあるため政治対立が、こうした事件になったなど様々な筋書きが出てくるのである。生き残った王族や王宮関係者が、何種類かの食い違う説明をして、混乱に拍車をかけたるのである。
国王が亡くなった後、皇太子は意識不明のまま即位し、何と2日間だけ王位にあった。しかしその後は、ビレンドラ国王の弟であるギャネンドラが国王となる。ギャネンドラは事件当日は地方に出かけていたため、事件に巻き込まれなかった。「何故?」とそんな疑惑がまた混乱を生むのである。また右利きの皇太子が何故左手で銃を持ったのか?また背中に銃弾を受けての自殺?など事件は全く闇の中なのであるが・・・。
さて、日本。
民主党は本日、国会内で両院議員総会を開き、党所属国会議員の投票により、鳩山首相の後継代表を選出となる。午後に首相指名選挙を行う。菅直人副総理・財務相とと樽床伸二衆院環境委員長の一騎打ちとなる見通しだが、「民主党の信頼回復!」とばかり内弁慶発言だけはもう結構だ。まあ、出来レースにだけはならないでほしいとせつにせつに思うのだが。
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