ch12.その他 : 考え癖? |
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小学生の頃、担任の先生がよく「ブンハヒトナリ」と仰っていた。当時11歳くらいであった私は意味もよく理解せぬまま「フセンハヒトナリ~ブンハヒトナリ~」と覚えていた。しかし最近になって、本当に「ブンハヒトナリ」つまり「文はひとなり」だとつくづく思うのだ。
何も美辞麗句を並べればよいということではなく、分りやすい文章というものがある。例えば身近なもので、メールを「文」ととらえるなら、本当に「人となり」があらわれるものなのかもしれない。
先般、長文読解のようなメールとの闘いは本当にへとへとになった。何度読んでも意味が分からないのだ。次第に、何かそれが特別な物語を読んでいるような錯覚に陥った。果たして「作意」は一体なんなのだろうか?分けが分らないので翌日に持ち越した。翌日に再度、読んでみて、いきなり変化してきた?最後の数行にその真意があった。すると今度は返信をするのが酷く憂鬱になった。どう相手が捉えるのか?どう理解するのか?その人のなんというか「考え癖」のようなものか゜気にかかってきたのだ。そしてあくまでも淡々と淡々と綴っていった。一切感情はいれずに、まるで他人事のようにとでも言おうか・・・・。
これからの社会は何でもかんでも相手の目を見て、声を聞いてということが少なくなっていくとすれば、実に怖い世界に突入していくなとつくづく思う。生活の中で、文章を書くことがわりあいに多い自分でも、こんなにもメールに振り回されることがあるかと思うと・・・。もし、文面では意味不明であったら、その人と自分との距離感。その人のこれまでの生活スタイル諸々。そしてプライドのようなものか?そして何よりも「考え癖」を先ず想像してみることがいいのかも知れない。書き手の人となりが次第に分ってくるものだ。
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