ch12.その他 : 捨てられないもの |
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今年の流行語にもなった「断捨離」という言葉があるが、文字通り不要なものをスパッと断ち切ることらしい。いわば「引き算」の解決法か。テレビなどではよく「片付けられない女性」の部屋などをすっきりと片付けていく番組などがあるが、勿論こうした住まいや暮らしの整理の他にも身体、気持ち、人生などの整理か、解決をして新陳代謝を促していくようだ。いろいろな整理といえば、人間関係も入るのだろう。
自分がとても大切にしていたモノを奥さんがゴミと間違えて?か捨ててしまい、それが原因で離婚をした男性を二人知っているが、別段その事だけが離婚原因ではないだろうが、未だに別れの最後の「引きがね」となっているようである。「本当に大切に大切にしていたものだった」と言う彼ら。要は「大切にする気持ち」を捨ててしまった。否定されてしまったからなのか?と思うのだが。確かに辛いね。
年末になると大掃除をし始める。「大掃除」でなくても「小掃除」くらい?。日々「見なかったことに・・・」としているところの整理整頓をすることがある。先般、たまたま、ある昔の契約書を探さないとならず書類の山の整理をしていたところ、所属している神楽坂女声合唱団の2000年の設立の時からの資料のファイルがあった。懐かしい新聞記事やら週刊誌までもがあった。プログラム、チラシ・・・しかし2004年以降がない。きっとワサワサしてまたどこかへしまっているのだろう。本格的に探さないとと思った。事務局の加藤和子さんにこのことを話したところ、ご主人が何と2000年から全てきちんと整理されているという。几帳面なご主人は流石!と嬉しくなった。多分、これらも決して「捨てられないもの」なのだろう。しかし、良かった・・・。
生活空間をふと眺めていると本当に忘れ去っていくモノで満ち溢れている。定期的に捨てる新聞や雑誌はいいが、日々たまっていくモノたち。人はいつからこんなに「モノ」に執着するようになったのか?と。もう着ない洋服、そして大したものではないが貴金属類。バブルの落し物のようにある。それをあらためて見るとやはり溜息である。「あの時に私は!」と言うような変な気持ちや思い出が恰も亡霊のように付き纏っている。「どうしたものか・・・」と考えれば考えるほど溜息だ。結構、書類、資料、写真などは潔く整理してしまうタイプであるのだが。
先般、亡き母の古い古いたてづめダイヤの指輪をペンダントにリフォームした。指輪としてのダイヤは日々つけることをしない。「どうしようか・・・」と思っていたのだ。しかし、リフォーム後は時々胸に揺れ、何か母親の思い出が胸で揺れている、そんな気がするのだ。モノでなく思い出はやはり捨てられない。
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