ichiko : 師走に思うこと |
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なんとなく気忙しい師走。どこかで気忙しく感じないとならない?なんて気持ちがあるのも確か。昔は各家庭で僧を迎えてお経をあげてもらう習慣があって師(僧)があちこちの家を忙しく走り回ったというのが師走の語源とか。
まあとにかく12月も半ばになると忘年会が目白押しで、それこそ「はやいもん順」という感じでスケジュール表は埋まっていく。忘年会という名前が最初に登場したのは夏目漱石の「我輩は猫である」とか。本来、1年間の疲れを癒すため、憂さを晴らすために親しい友人・仲間が集まり酒を酌み交わすという日本独自の行事。平安時代、12月に先祖の魂を祭る儀式が行われ、その儀式が終わると先祖の御霊のために供えた食べ物を皆で食べたそうだ。供え物を食べることによって人間と神が一体となると信じられ、これが現在の忘年会につながったというらしい。江戸時代になり、年末に親しいもの同士で酒を酌みかわすといった現在のスタイルに近いものに定着し、明治時代になり、故郷に帰らずどんちゃん騒ぎをする学生やボーナスで懐があたたかくなった官僚がやんややんやと酒を飲むようになった。
流石に、私自身も昔のようにお茶碗たたいて?のどんちゃん騒ぎというのはしなくなった。でもカラオケで少しははしゃぐ。そんな時、私は中島みゆきの「地上の星」を歌う。NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX・挑戦者たち」のテーマ曲であるが、最近はこれを歌うたびにふっとこれまで自分は何に挑戦してきたのか?と考える。歌の中にいるのは、己の熱い情熱を抱き、使命感に燃えて、戦後の画期的な事業を実現させてきた「無名の日本人」たち。
そうか・・・・自分は人々の生活を劇的に変えるようなことなど何もしていない・・・・・。
サラリーマン生活をしていた時、ふと「自分の将来」のことを考えてキャリアコーチングを受けたことがある。その中で自分がこれまでにしてきた仕事を客観的にプロフィルにまとめる作業をしたことがあった。これまでプロフィルなどといっても履歴書くらいしかまとめたことのなかった私にとってこの作業は実に衝撃的だった。自分を見つめなおすいい機会だった。入社してからの自分のキャリアを年表・数字などで客観的にまとめた時、こんな自分にも本気であるプロジェクトとして真剣勝負したことが一度あったことにふっと気づいた。
あれは第12回東京サミットが行われた年。当時、貿易黒字が拡大してアメリカとの摩擦があり、当時の通産省は出来るだけ国民に輸入品を買ってもらうことが社会的要請でもあった。 プロジェクトの最大テーマは「円高差益還元」。ジェトロから「何か企画を」と言われた時に、「ワールドインポートバザール」を提案した。
そこで社内にプロジェクトが組まれた。媒体である新聞社と商品の小売・販売力のあるディノスなどが結束した。会場になった池袋のサンシャインシティにのべ15万人を動員した。会場は目玉の輸入牛肉をはじめとして、輸入品を買い求める人々でごった返す。各媒体そして各国の放送局までもが取材に訪れた。会場は熱気に溢れ、スタッフはイベント終了まで連日燃えた。予想外の大反響に、既に亡くなってしまったが、K編集局長によばれ、このイベントの顛末記を全紙に書くようにいわれた。全力を振り絞って書いた。
あの年が、私にとっての「地上の星」であった。
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