ichiko : 鎌倉の風の中で彼女が想うこと |
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郵便ポストに淡い桃色のハガキがあった。馴染みのバーのママからの手紙だった。電子メールのやり取りが多い昨今では、郵便ハガキもなかな味わい深いものだ。
我が家の庭には、桜というより、さくらんぼの木があり、今は見事に花が咲いている。通りかかる人は「かんざくらですか?」とか良くたずねてくる。先週、ちょっとあたたかになったなと思った日に、ぱっと開花したのだ。そして、5月頃になると、ルビーのように赤く熟した実をつける。
そう、桜の季節になると、ここのママはちょっとセンチメンタルになるのだ。「鎌倉にお墓参りに行ってきました。海を見ながら、しばらく一人でお茶してきましたよ。いち子さま、会いたいですね」と。
カウンターで、凭れながら彼女は毎年、呟く。父親の偉大さ、そして、あのまま事業が失敗せずにいたら、私はねと。そう彼女が言うたびに私は「人生なんていろいろあっていいのよ」と。でも、桜の花が散るころまで、彼女はずっとセンチになっている。お墓参りの後は特に。
亡くなった実母も「何か」があると私によく言っていた。「農地解放さえなければ、私は・・・」と回顧するのだった。そのたびに私はきつく言い放った。「人生、たらればなんてないのよ」と。
でも、こうして、年をとっていくと、あの時、もっともっとじっくりと母の話を聞いてあげればよかったと。そんな意味で、時々、胸の奥が痛み、哀しくなるのだ。
「もうすぐ、桜も咲くでしょう?時間見つけて来て下さいね」というママに会いに行こう。そし
て、鎌倉の風と、思い出を聞いてあげよう。
水海道に墓まいりに行くとき、主人もよく「当時はこの駅(水海道駅)をはさんで本家と分家の土地が広がっていたんだ・・・」とよくつぶやく。
主人のおばあさんの実家のお話。やはりいち子さんのお母さんのように農地解放で何もなくなってしまったようだ。このコメントを読んで同じような子孫でも身近にいる二人を比較するわけでもないが、主人をナントかしなきゃと思ってしまう。
ちなみに私は木下恵介監督の「ふりむきて我青春に悔いなし」の言葉が好きで、悔いの無い人生を送りたいと思っている。
では・・・