ichiko : ある日、突然に |
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その事件はいきなり起こった。私は目の前で次第に動かなくなり、消えていく画面を見ていた。茫然自失状態。しばらく、言葉が出ない。「どうしよう・・・」という気持ちから、その出来事に対応することが瞬時には出来ず。
「バックアップはとっていなかったのですか?」
と私のノートパソコンを点検しながらパソコン店の男性が言う。
「ええ・・・・」
「は?とっていなかったんですかぁ?」
先週の土曜日の午後、取材先に次女からケータイメールが届いた。
「なんかパソコンが変」と書いてある。就活でインターネットを使っている時に「変」なのだという。どう変なのか?分からぬまま、取材は夜まで続き、この日は帰宅が遅くなった。翌日、日曜日の朝、メールをチェックしたが、なんとも・・・・やはり変・・・・・何かが違う。動揺。
そして、暫くして、全くたちあがらなくなった。
「全く原因不明ですね。修理にだしますか?」という店員の声がまた頭を掠める。「初期の状況にはもどると思いますが、データはなんとも・・・・どうしますか?」と言った言葉に私は首を横にふってしまった。
なんと非力なのだろう。この二年近く書き溜めた原稿やデータが一瞬のうちに消えてしまった。出版されて、単行本になっているとはいえ、何とも切なく、悲しい。
勿論メールアドレスもいろいろなメモも全て。考えてみれば、もし、ケータイのデータも一瞬のうちに消失してしまったら、ぼろぼろのアドレス帳を出さねばならないのだろう。
毎日、毎日、情報の海を泳いでいる。パソコンに向かわない日はあまりない。
でも、全てなくなったその時にふと思い出した。
納戸の中に既に封印してしまった手書きの原稿や論文。もう、二度と見ないだろうと、それらは、祖父が洋行した時の皮製のトランクに封印してしまった。原稿用紙に万年筆の黒インキで書かかれているものは、端が紙縒りで綴じられている。
こうしたものは、多分、相当な覚悟をして捨てない限り、私の傍にはあるのだろう。
なのに、毎日親しみをこめて向かっているパソコンの中のデータは、一瞬にして、いとも素っ気なく、あっという間に消失し、そして、もう戻らないのだ。
今、新しいパソコンを起動しながら、恰も昔の恋人のことを思い出す様に、ふっと溜息が漏れた。
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