ichiko : おもいはせる夜に |
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週末、シンガーソングライターの千鶴伽さんのライブに行った。3rdアルバム「君に話したかったこと」特別先行販売&お誕生ライブということだった。彼女も私同様6月生まれ。
いろいろな歌手はいるものだが、千鶴伽さんというのは何となく、聴いているうちに「心のそこから応援したくなる」、そんなアーティストだ。兎に角、観客に対して媚びず、漲る元気がいい。ちょっとはにかむ様子がどこか素人っぽい。それがまた、いい。一つ一つのステージを大切にしている感じがするからだ。
特に、悲しい歴史を秘めて立つ白玉之塔や、今にも星が落ちてきそうな夜空、そして、島のおじいさんの話を聞いて感動のあまりに作った「とかしき島の唄」、そして北九州のイベントステージから始まった車椅子バスケットボールとの縁でできたという「僕のGOALへと」。彼女の良さがより伝わってくる曲だった。
そして何より、この日、本当に嬉しかったのは私が中学生の時に出会った、島崎藤村の「椰子の実」を聴けたこと。大好きな歌であるからこそ、本当に嬉しかった。
「椰子の実」は島崎藤村の詩集『落梅集』に収められている。昭和11年国民歌謡の一つとして、山田耕筰門下の大中寅二が作曲してから広く愛唱されているものだ。
この歌は実は、島崎藤村の想像で作られたものではないということ。 『日本から遙か遠い南の島で、海に投げ出された流木が黒潮の波にもまれながら長い旅路の果てに、日本のとある海岸にたどる着いた。』というのは空想の世界ではなく、この元ネタを提供したのは民俗学として有名な柳田國男。彼が流木を学術的に捉えた最初の日本人であることは意外と知られていない。
明治31年に柳田國男が大学2年生の夏、愛知県渥美半島の突端にある伊良湖崎に滞在した時のエピソードが名著に残されている。
「椰子の実の流れ寄ってきたのを三度まで見たことがある。(中略)遥かな波路を越えて、まだ新しい姿でこんな浜辺まで、渡ってきていることが私には大きな驚きであった。この話を東京に還って来て、島崎藤村君にしたことが私にはよい記念である」(「海上の道」)。島崎藤村は、柳田國男に対して「君、その話を僕に呉れ給へよ、誰にも云はず呉れ給へ」と言い、こうして「椰子の実」の詩を作ったという。これに大中寅二が曲をつけ、昭和11年に国民歌謡として広まることとなるのだ。
私にとって既に40年近く。いつもいつも胸の中にある「望郷」にも似た憧れがあった歌だった。本当に、あのライブで、それも千鶴伽さんのライブで聴けることとは!有難う!
「椰子の実」
名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ
故郷の岸をはなれて
なれはそも波にいく月
もとの樹は 生いや茂れる
枝はなお かげをやなせる
われもまた なぎさを枕
ひとり身の うき寝の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新たなり 流離のうれい
海の日の 沈むを見れば
たぎり落つ 異郷の涙
思いやる八重の汐々
いずれの日にか国に帰らん
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