ichiko : 友 |
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時々、とても切なくなる時がある。親の命日などもそうだが、亡くなった友人の俤に時々、気持ちがぎゅんと痛くなる時がある。亡くなった子どもの年を数えるなどという言葉を聞いたことがあるが、ふっと亡くなった友人の年を数えたりする。ある友人の死から随分と時間が経った。
彼女の勤務先が銀座であったからか。抜けるような青空の日、雨の日、風が冷たい日、気候も様々だけど銀座を歩けばその友の俤を追うことがある。
彼女のあっけらかんとした笑顔が懐かしく思い出されてしまう。最後に別れたのも銀座だった。「じゃあ、またねぇ」と言って手を振りながら。
久しぶりに会ってランチをしたあの日。手帳に記した約束は何回も×になっていた。「ごめん、ごめん。やっとねぇ、一段落したのよぉ。お昼に時間とれない?」と朝一番で誘いの電話をしてきてくれた。
「今日?んーっ、何とか、大丈夫」そういって「一時間半くらい」と指定したのは私だった。あの頃、忙殺されていた当時の私たちにとっての一時間半・・・そうランチタイムとしてはちょっと贅沢な時間を過ごしたね。その夜、貴女が急に亡くなるなんて誰が予想できたか?
ちょっとの時間を見つけては、お茶を飲み笑った。そう、こんな蒸し暑い、ギラギラと太陽が照りつける夏は貴女はよく言っていたね。「休みも取れないのぉ」と。出張続きだった彼女の電話の声が思い出される。まだ、年齢も若かった時からちょっとふざけて「いち子とはさぁ、老後も茶のみ友達ぃ!」なんて笑っていたけど、もうお互いにそんな年になっていくよ。もう直ぐ、お盆。あの日から、静かに時間が経ってしまったね。
私はいつまでも貴女のあっけらかんとした笑い声を忘れないよ。
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