ch12.その他 : 上手に生きるためのリテラシー |
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随分、前の事だが、自分の中で「メール事件」と呼んでいることがある。つまり「了解しました」と言えばよいところを、たまたま親しい関係?と思っていたため、私はある別の言い方をした。すると、先方が激怒。「馬鹿にしている!」という一言で人間関係がプツッときれてしまったことがある。それこそ「あっ!」という間に全ての事柄は終わった。
このメール事件を思い出す度、人間関係ってなんて危いものか・・・・と感じる。それからは、細心の注意でメールをしているのだが・・・・・。人生の中で、いい経験をしたと思っている。
損得なしの人間関係はあると私は信じているのだが。実は損得だけで人間関係を築いている方もいる。何度も何度も反芻に反芻を繰り返して分かったことだ。ニコニコ微笑みながらも際どい時、はて?どっちへ転ぶか、そんなことなのだ。ふむふむ、納得するまでなかなか時間もかかるものだ。
さて、私の友人に六角弘さんという怪文書の研究家がいる。昔、私はフジサンケイグループにいた時があるのだが、当時、時折、いろんな事がおこると六角さんは私にいろいろたずねてきた。ジャーナリストで且つ敏腕記者だから取材力は物凄い。巨大組織の中のちっぽけな一人で、まるで小さなネジのひとつでしかない時は、私は貝のように押し黙ってたものだ。親しくても、殆どしゃべらないでいた。それが「ネジ」の姿勢だと信じていた。
しかし、それから暫くして「告発の時代」と言われる時がきた。いろいろな企業であからさまな事柄があれよあれよ~とあふれ出てきたこともあった。しかし、現代のように、携帯メールだ、ネットだとそれほどに発達していなかつた時代だからこそ?流出しないこともあった。
メールだデータ転送だと本当に今は一瞬で完了してしまう。品位も品格も考えている場合じゃないほど。感情に流されたら本当に怖い。リテラシー能力がちょっと欠けたら・・・・身の毛が弥立つほどに怖くなる。ニュアンスの伝達も非常に難しい。全てはリテラシーと言うけれど、一人ひとりの能力は異なる。
それに、どんなに伝達ツールが発達しようと人間に我欲がある限り、不都合なものを隠し続ける。名誉のため、プライドの為、地位の為?これも一人ひとり異なる。そんな我欲の中では、決してなにを以っても伝わらないものなのだ。
冷静にいろいろ考えると、メールもネットへの書き込みなども実に怖ろしい世界であり、その世界なしでは生きられない自分もいろいろ擦り切れ、失い、感じなくなってきている。どんな蜜月を過ごしていても、信頼しているつもりでもプツンとその人間関係が切れるほど、「普通」になっている日常のメールもネットは実は危いのだ。
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