ch12.その他 : 文は人なり・・・ということ |
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「携帯中毒の人って増えている気がしない?いつも手に携帯持って、気がつくと携帯の画面を見ている。なんか不愉快な気になるのよね」とある友人が言った。
しかし、自分も携帯電話やメールなどのない世界を考えると少し、青くなってしまう。既に、ある事が当たり前となってしまった現在では、なかった頃の事を全く思い出せなくなっている。
インターネットの世界もそうだ。先方の会社に電話をして資料を郵送してもらうなどということは先ず過去の事。日本中の事、いや世界の情報だって日常のひとこまとしてオンタイムで取り出すことができる。
東京ライターズバンクの主宰をしている児玉進さんの毎日会員へ配信されてくるメールを読んで、あらためて気がついた!
メールは自筆の手紙と同じだ。「文は人なり」はメールにも当てはまる。 どんな事情があるにしても、メールの表現には配慮されたい。『たかがメール、されどメール』の鉄則を胸に刻み込んで、書いたメールは念を入れて数回は読み返してから送信することを勧める。
どんなに便利な世界になったとしても、それを扱うのは「その人」の資質が関係してくる。レポートやらお願い事やら、相談事など様々なシーンに登場する「メール」こそ、念には念をいれて書いて(うって?)ほしいと思う。読んで、ほのぼのと気持ちが良くなるものもあれば、その人の顔立ちやらスタイルやら何もかも疑ってしまいそうなメールもある。やはり「文は人なり」というものなのだろう。小学校の時、作文の時間に担任の先生が「文は人なり」といつも仰っていたことが懐かしく思い出された。
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