ch12.その他 : "ご縁"が切れる時 |
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街中で「年賀状印刷承り中」というお知らせを見た。もうそんな時期なのか・・・・。
一年が終わろうとする時、いろいろなことが分かる。いろいろなものが見えてくる。
「是非一緒にビジネスを」「「こんな感動は初めてで伝えたくて」「吉田さんなら絶対にご理解いただけると思って」などなど、いろいろあった。敢えて言わぬが、中身はどれも一緒。全てひとつ。人間の飽くなき欲望への執着そのものだ。夢中でシステムやらいろいろ説明する間、その方にとって私は単なる「駒」でしかなくなっている。そんな姿が相手の瞳の奥に映っている。しかし、こうしたビジネスのシステムは今始まったものでない。昔からある。だが、「あの人が・・・」という人が深みに嵌っていく姿はあまり気分の良いものではない。「先ず、一人でもいいから説明会に」など強要する世界があるものか?何と表現したらよいのだろうか、哲学のない仕事。
慌しい移動中の時に、または出張先の駅のホームで、「今、話してもいいですか?」なんて連絡をいただく。たいがいがご無沙汰している方々。「ご無沙汰しています、お元気ですか?」なんて決まりきった挨拶のあと先方は「兎に角会って、話しを聞いてほしい」と言う。しかし時間を割いて会って話しを聞いても、皆、内容は同じだ。どんなきれいごとであっても中身はみな同じ。自分にとっては無意味な時間が過ぎるだけだ。褪せていく関係。そして、「では、また!」と言えども、その瞬間にプツンと人間関係が終わった事に気付く。不思議なほど早く。その度に私は一体、この人々との関係は何であったのか?と考え込んでしまう。生身の人間の結びつきとは・・・・これほと゛に脆弱であったのか。
別段、彼や彼女に不義理したわけでもないが・・・・多分切れてしまった人々には年賀状も出さずに終わるのだろうと思う。良いご縁をいただいたと思っていてもこんなことでご縁は切れてしまう。あああ~。こーんな些細なことで。ちっぽけな考えだな、自分も」とあれこれ思ってもしようがない。自分自身が感動していないのだから。
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