ch12.その他 : ダム建設 |
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昨日今日決まった話ではない。構想が浮上したのは1952年と半世紀前。ダム計画がは1965年頃に出来たという。ダム反対の長きにわたり、激しい住民運動が続いたのだ。住民は先祖代々の土地を手放し、先祖の墓までを掘り、よその土地へ移り住んだのだ。
群馬県長野原町のは23日に予定されている前原誠司国土交通相と地元住民との意見交換会に、住民側が出席しないことになっている。「マニフェストに書かれてあるから」と前原さんは顔色ひとつ変えず相変わらずたんたんと言う。中止する方針に変わりはないというのに、「地元の方々や関係都県、利水者などのご意見を虚心坦懐に伺い真摯に対応する所存」とだけ。23日は、代表者が不参加の理由を前原国交相に伝えるだけになるというらしいが。本気か?「長すぎる」ではない。ダム建設は簡単にビルを建てるのとわけが違う。マニフェストも結構。工事途中のダムも数々ある。その中で原点に戻って考えてほしい。
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