ch12.その他 : 「うまれる」を観た |
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子どもは親を選んで生まれてくる・・・そんな事をおぼろげに聞いてはいたが、殆ど信じることなく生きていた。そんな事、ありえないだろう?そう思っていた。しかし、唯識論を少しだけかじったり、また人生の中で、全く予想もしない出来事にガンッとぶち当たり、茫然自失、途方にくれている時に出会った人々からの言葉の数々。そして現実をしっかりと見据えた時、改めて自分の傲慢さに気付く。
勧められて、映画「うまれる」を観た。銀座の小さな映画館があれよあれよと一杯になった。朝一番から満席に近い。この小屋ではこの日12月3日が最終日だからか?。来場者は作品の関係者?それとも?と思っているうちに上映開始。隣りもそして背後からもすすり泣く声が聞こえる。
映画は4組の家族を追い、生まれてくることの意味そして家族のあり方と人との繋がりについて考えていく。もう、来場者がこの映画の関係者であろうとなかろうと、どうでも良いと思った。映画に関していろいろなコメントをする人も沢山いるが、こうした事はしようもない事。ただ私は「命」の重さに改めて感動して、暫くは席を立つことが出来なかった。このドキュメンタリーに登場している親たちは実在する親たちであり、全ての感動も声も気持ちも現実そのものであるという事。それが全てである。
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