ch12.その他 : 津波に消えた 五浦六角堂 |
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嘗て大学の美学での講座を受けた時、明治時代に日本美術の復興・保存に励み、日本美術史上有名な岡倉天心について勉強したことがある。別段、専門ではなかったのだが、どうしても五浦六角堂に行きたいと思っていた。
ある時、たまたま北茨城に行くことがあり、いい機会と思い、足をのばして出かけたことがある。住居敷地(茨城大学五浦美術文化研究所)の一角に太平洋に張り出した岩盤の上に岡倉天心自身の設計により建てられたという「観瀾亭」があった。赤い六角形の堂である。ここで天心は思索に耽ったという。天心の他にも横山大観など活動拠点としたところである。その鮮やかな朱の建物。そして海の青、寄せる白い波が一枚の絵のようであったことをしっかりと覚えている。
しかしこの度の地震による津波でこの登録有形文化財の六角堂が流された可能性が高いと市災害対策本部の調べで分かったようだ。県防災ヘリから撮影したビデオでも六角堂がなくなっていたそうであるから、やはり間違いないのだろう・・・。なくなったと思うと何故か不思議に鮮やかにあの朱が思い出された。津波は何もかものみこんでいった。
画像は「北茨城」のホームページから
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