ch12.その他 : 母親というもの |
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こうしたニュースは本当に辛いばかりだ。昨年の9月に行方不明となった大分県の江本琴音ちゃんの事件。死体遺棄をしたのが実の母親であったという。「私は殺していない。娘が自宅で死んでいるのを発見し、動転して隠した」と供述しているようだが、もし子どもが自宅で倒れていたとしたら必死に病院へ搬送しただろうに。何とも辛いばかりである。遺体遺棄という前に、この母親の本心がどうであったのか?
しかし、先般、あるところで、二歳くらいの女児がそそうをしてしまい、それに対して若い母親が「どうして」「なんなの」と実に無表情に冷たい言葉を浴びせている光景を前に、どうしたものかと思った。まだ小さな子どもではないか。しかし他人の自分は注意も出来ない。この子どもがその時、どんな気持ちでいるのかと思った。いろんな不安が過ったが仕方がないのだろう。子どもは親を選べない。目の前にいる母親に育てられるのだから。
悲しく辛いニュースは本当に心に棘が刺さったようになる。
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