ch12.その他 : 臨死体験 |
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先般、久しぶりにお目にかかったご婦人。相変わらず、きびきびして清々しかった。笑顔も昔のままであった。「いち子さん、ちっとも変っていない」とは言われたものの「随分変わったのよ~」と言ってみた。本当に何十年も前に仕事でご一緒した時からくらべれば、外面?はかなりの変わりようであるからだ。
人は元気であれば、こうして連絡をしあうことが出来る。一年に一度の年賀状の交換でもそうだ。しかし、日々の生活の中ではいろいろなことがおこるものだ。なんと、その方はクモ膜下出血で倒れていたと聞いて、声も出ぬほどに驚いた。倒れて27日目に意識が戻ったという。家族はその間に、「もしも」のことを考えて葬儀の話までしていたそうだ。
実母をクモ膜下出血で亡くした自分にとって、この病名は身震いするほど怖く、そして悲しいのだ。彼女が言う。「あれが三途の川っていうのかしらねぇ?」と。懐かしい親戚や人々が焚火?をして彼女を「こちらへこちらへ」とニコニコ笑って手招きして呼ぶという。ふと、「行ってはだめだ」と引き返して意識が戻ったのだと。やはり臨死体験とは、あるものなのだろうか。ある方も船着き場で舟に乗ろうとしたら船着き場にいる人が「あと一人足りない。だから舟は出せない」と断られ、意識が戻ったと聞いた。聞けば聞くほどに不思議極まる世界だ。
そんな自分も、別段病気で倒れたわけではないが、亡くなったおば達が満開の桜の下で楽しく宴会をしている。蒔絵のお重には素晴らしい料理の数々が。おば達が「こっちこっち」と私に手招きする。すると父がすくっと立って、「あちらへ!」と追い払うのだ。そんな夢を見たこともある。もしかしたらあの日、臨死であったのか?と思うほどだ。しかし小さい頃から可愛がってくれた叔母は夢によくでてくる。かなり若くなって。そして「これ召し上がれ」と羊羹などすすめてくれるのだが、心の中で「食べてはいけない」と思って目覚める。日常生活の中にも不思議はいっぱいだ。
しかし、親しい人々とは日頃から会うことが良いと思う。病床では、ましてやあの世に逝ってしまってからでは楽しい話も出来なくなる。
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