ch10.生活 : 「定年適齢期」を迎えた友と会い・・・ |
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「円満退職致しましたしました」というハガキを手にして驚いた。所謂「定年」まであと4~5年あるだろに?彼は40代の時、仕事場で急に心筋梗塞で倒れたことがあったので、もしや体調を崩したのかな?と慌てて彼に電話を入れた。彼が数十年も勤務していたのは暫くマスコミを賑わしていた有名な某ホテルだ。電話の声は元気そうだったのでほっと一安心した。
電話をかけてから1週間後、まだそのホテルに現役で仕事をしている女性と、来年には定年を迎えるという女性の4人で席を囲んだ。「今はゆっくりしているよ」という彼の表情は爽やかだった。その企業のカリスマとも言うべきトップが去った今、「会社の中は激変した」という。「信じられないほどよ」と彼女は付け加えた。去年は忙殺され、連絡しても、何かいつも心ここにあらずといった表情だった彼女も今は明るい。
今、高度成長時代とバブル絶頂の時の多くの経営者や政治家は、いまや、そのほとんどが表舞台から姿を消しつつある。しかし、摩訶不思議?名誉顧問などという形で、今もその組織に影響力をおよぼしている場合がある。多くは、創業者であり、カリスマであった者にだけ許される特権のようなもの。しかし、上の者をみて育った下の世代がリーダーとなる時、創業者のみに許された特権を、恰も自らの力と勘違いするものも多くいる。
バブル崩壊以後の信じ難い有名企業の倒産。その多くが恰も自分の力が特権であるかのように勘違いした企業もあった。イエスマンが残り、イエスしか言えない企業風土だ。カリスマ経営者」が権勢を振るった企業は一様に組織が内向きで、外より内を見なければどんな目に合うか分からない。企業が伸びるためには「内」よりも「外」に目を向けることが鉄則であるというのにだ。いずれ長続きはせず、そして、破綻する。「老害」を自覚しないのが「老害」なのだ。
「生涯現役」という言葉がある。いつまでも元気で、仕事一筋に打ち込んでいる姿を理想としたもので、私もついこの前まで「生涯現役」をかたくかたく信じていた。しかし、最近はある年になれば第一線を離れた方がはるかに立派だということが分かってきた。潔い、社会で体を張って生きてきた、ある種の美学だ。「隠居制度なんて!そんな馬鹿な!」と思っていたが、よく考えると実によい制度だとつくづく思うようになった。これまた「とし」なのかも知れないが。
後継者に渡し、隠居者として余裕を持って、事業の相談役・社会の支援・世話役として努める。そして、好きな趣味に向かう。培ってきた経験や技術を生かせ、精神的な満足度も上がり、いい意味での「生涯現役」こそ理想なのだ。付け加えれば、企業だけじゃない。政界だってそうだ。長老の中途半端な「おれが踏ん張らなきゃこの日本はどうなる?」なんて気炎だけじゃ社会は良くならない。
「定年適齢期ってあるってことが分かったよ」と冷静に言う彼の言葉に対して、現在、課長職で頑張っている彼女は「そうですかぁ?」と少し理解出来ないような表情を一瞬した。少し酔っていたのか、「ふぅーっ」とため息をつき、そして暫くすると、軽く頷いた。
夜も更けていった。久しぶりの楽しい飲み会だった。私たちはまた、近々会おうということで別れた。ホテルマンとして培ってきた彼のノウハウに期待して、「いろいろ助けてほしいことがあるんだ」というと彼はニコリとした。「いつでもいいよ」といいながら。
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