ichiko : 2月14日 あの日の青空 |
||||
昨夜は本当に寒い夜だった。隣りのお宅のご主人が亡くなられ、通夜に参列した。急なことだったようで、享年64歳と知り、本当にびっくりした。
通夜会場に行くと、会社名が並び、合同葬となっていた。多くの弔問客にまじり、暫く待つ。
焼香のとき、少しだけ奥さんの姿を見た。犬の散歩の時によく、挨拶をかわす。我が家の犬が、そ知らぬふりをすると、奥さんは笑いながら「あら、冷たいのねぇ」という。私はいつもいつも「スミマセン、スミマセン」と繰り返すのだ。
遺影を見つめ、泣きぬれている奥さん。放心。弔問客の顔さえ涙で見えないのだろう。若すぎる連れ合いの死。認めたくない事実。悲しみ、私は言葉がない。
平成14年の今日2月14日。母が倒れて3日目。慌てて弟がニューヨークから帰国した13日。帰国した息子の姿に安心したのか、眠り続けた母は翌日の14日に静かに息をひきとった。享年69歳。母も若すぎた。
人は大切なものを亡くしたときに、初めて全神経でその「現実」を受け止める。日々、いろんなことを一生懸命に考えていても、その「瞬間」まで決して分からないのだ。父親が逝ったあの日の真夜中も、そして母が逝ったその日も、瞬間まで現実は認めたくなかった。
この時期になると思い出すその時の一分一分。そんな時の堆積。何も出来ない無力を感じながら、待合室で待ち続けたあの日。急に倒れたという知らせをききつけて、次々と病院に駆けつける親戚、友人、知人。「来たよ」という目だけの合図。私はこの時ほど自分の無力を感じたことはなかった。
足の痛みも、背中の痛みも全ての痛みから解放された母は、本当に少女のように、透き通った美しい寝顔だった。みんなが声をかけ続けた。弟は母の傍らで手をずっと握り続けていた。
そして、2月14日。
「これ以上・・・・・脳圧があがってしまいます・・・・」と主治医が呟く。
「先生、お願いします」
延命のための器具が静かに取り外された。
「お母さん、がんばったね」と弟の声。
私は少し前から父が、母の直ぐ近くに来ていることが分かった。「お父さん、よろしくね」と心の中で言う。
神に召された母の病室から見える空は青く青く晴れ渡っていた。それから毎年毎年、人々がチョコを受け渡しに活気づくこの日。私はあの日の青空と冷たい空気と胸の中で熱いものかパンと弾けた感覚を思い出すのだ。
コメントする