ch10.生活 : 「美味しゆうございました」に涙 |
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今、私は「ありか」という生活情報紙を作っているが、タブロイド版の2ページ目が「食のありか」というコンセプトで、その月の旬の食材のコラムを書いている。今月は、そして来月は何にしようか?と考えている時、本当に日本の食材を堪能できる自分を幸せものだと思うのだ。
旬がないといわれる昨今。一年中、何でもかんでも食べられるが、やはりその季節の風に吹かれると「旬」の味をカラダいっぱい求める。やはり、日本人としてのDNAではないかと思うことがある。そんな旬を感じながら、料理を楽しめばいいのだ。そして食卓に並べればいいのだ。「食育、食育」と今は、ちょっと騒ぎすぎる感がしてしまう。
そして、いつも私の頭の片隅にあるのは、1964年東京オリンピックが開催されマラソンに出場した円谷幸吉の父上様母上様で始まる遺書。始まりは「三日とろろ」の味。彼の故郷の須賀川地方で食べる正月3日に食べるとろろの「三日とろろ」が美味しかったと彼の人生の最期に親に伝えているのだ。
父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。
巌兄、姉上様、しめそし、南ばん漬け美味しゆうございました。喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難ううございました。モンゴいか美味しゆうございました。正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正祠君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。
天才ランナーであった円谷。父親から「男ならけして後ろを振り返るようなことはするな!」と強く叱責されて以来、決して後ろを振り向かなかったという。
あの日。ゴールの代々木競技場へ2位で入場。熱狂の渦。しかし後ろを振り返らない円谷は場内でヒートリーに追い抜かれ3位に。3位であってもメダル獲得に日本中が熱狂したあの時。地元では大パレードが行われ、防衛庁長官からは第一級防衛特別功労賞が授与されたのだ。何もかもが順調であったように見えた彼の人生。しかし、競技生活への支障が出るといういう周囲からの強い反対により、円谷は結婚を約束した女性へ婚儀延期の願いをする。しかし、彼女は何をどう思ったのか、女性からは玄関にひとつダンボールが届ける。円谷が彼女に贈り続けた熱いプレゼントの数々が返されたのだ。正月に彼が帰郷した時、彼女が昭和42年暮れに須賀川市内の商家に嫁いだことを聞かされる。それからは伸びない成績・・・。
正月、実家から東京へ帰る時に、兄の車に伴走されて国道4号線を走るのが常だったが直ぐに車に乗り込んだ円谷は呟く。「もう走れない」と。そして数日間、官舎に戻ることなくそして安全カミソリで頸動脈を切り自殺した。
当時の私はまだ、幼かったものの、ショックは大きかった。そして、遺書の内容を知る。自分が結婚をし、ひとの親になって、当時は分からなかった深い悲しみを知った。作った料理を美味しかったと言ってくれた息子。そして兄弟へも、干し柿、もち、すし・・・・。失意の中で一瞬でも見えなくなったのか「未来」を前にして・・・・。私はいつもこの遺書を読むたびに涙が止まらなくなる。
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