社会問題 : 裁きというもの |
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あの夏の暑い日に流れた和歌山毒物カレー事件。この11年間は被害者のご家族にとっては忘れられない苦しい年月だったに違いない。
林真須美被告に対して最高裁判決が有罪認定のレベルに達しているとの判断がくだされた。だが死刑判決に対して「この冤罪をはらすために渾身の努力をする」と今まお、無実を訴え続けている林被告。自供がなく、未だ"動機"が判明されない。しかし、あくまでの仮の話であるのだが・・・・・・「私は犯人ではない」と林被告が言いきっているということは?、そして本当に冤罪というものがあるとしたら?動機などそもそもある筈もあるまい。
直接証拠がない中に検察側の立証が認められるかどうかが一番の焦点であったわけだが、詳細な立証が認められたという判決は今、認めざるを得ないのだ。
だが、直に始まる裁判員制度には難しい問題が多すぎるという感がしてきてならない。
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