社会問題 : 見えない未来に |
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発車のベルに慌てて、乗り込んだ電車の雑誌の中吊り広告に目をやると、そこには、バブル時代を生きた先輩はもう会社を去れという内容のタイトルがある。仕事の丸投げ、いいとこ取り、責任転嫁・・・もう言いたい放題である。もちろん、日々仕事をしている時間の中で、丸投げ、いいとこ取りなど日常茶飯事だ。腸煮えくり返ったなんてこともままある。心の中で「いい加減にして!」と叫ぶ瞬間だってある。
しかし、何故、今の世の中は、人に対して優しくなくなってしまったのだろうかってつくづく思う。たとえバブル時代をぬくぬくと生きてきたかも知れない先輩諸氏、そしてまたその先輩諸氏は日本の高度成長を担った人々であろう。何故、現在のこんなにも酷い経済生活の中にあっても、まだ何となく?安穏としていられる幸せ・・・そんな事を考えたことはないのだろうか?
このところ昭和4年に完成した小林多喜二の「蟹工船」をはじめ俄か、りバイバルブームである。今とはくらべものにもならない経済恐慌にあえぐ日本の状況下であった時代だ。そんな日本で人々の心を掴み、一大ブームを引き起こした「蟹工船」は現在、日本だけでなく、フランスや韓国、中国へと翻訳もされ、若者たちの心を掴まえている。
とくに、多喜二は労働者を題材とする作品を次々に発表した作家であるが、当時の特高ににらまれ、ついには昭和5年に治安維持法違反容疑で逮捕される。弾圧の手を逃れながらの活動を試みるも再逮捕。リンチともいえる取調べをうけたのだろう・・・胸がぎりぎりするほどの壮絶な最期を迎えるのだ。
小林多喜二が育ったのは北海道の小樽。そういえば、亀井勝一郎も北海道の函館出身であった。貧しい環境で育った多喜二とは違い、裕福な家庭に生まれた亀井勝一郎。その違いもあるものの、亀井も政治活動に身を投じ、治安維持法によって逮捕拘禁されている。
別段、政治活動云々をいうわけではないか、今の政治を見ていて、せいぜい5年か10年くらいの「未来」を語るのがやっとではないか?50年、100年先の日本の未来さえ見えない今の世の中にあって、こうした昭和の若者を揺り動かした時代の思想というものに触れてみるのも良いチャンスなのかも知れないな。想像も絶するほどの時代を経て「今」があるという事だから。
私の知人に「マルクス経済学」を専門としている人がいるが、以前は「今日日マルクスを教えるって・・・大変でしょう」などと言っていたこともあるが、この昭和の初期に多くの若者を激しく揺り動かした思想を、再び考える機会としてもいいのではないかと思うようになった。
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