ch12.その他 : 何となく~じゃなくて「考える人」になろうよ |
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最近、私の近くにいる人々がおかしな?というか面白い?ことを言う。
「先行き不安を解消するためになんか資格をとっておこうと思う」と言う。勿論、チャレンジする精神は素晴らしいことであるし、そのエネルギイもいいなと思うのだが、「なんか資格」?って何? 「先行き不安」というよりそういうことを言うその人の「今」が心配になってくる。話しを聞いていくと、その資格をどう生かしていきていか、具体案をまるで考えていない。「とれば何とかなるでしょう?やっぱ、手に職でしょう?」とか言う。とっただけでは何とかならない現実を知らなさ過ぎる感。手に職と自信を持つ、そして要はそれでビジネスとしてお金を得るのであればより具体性が必要だ。趣味でなんとなく通ってみようかなあ~のお教室ではない。何となく不安解消の為の資格などない・・・・と最近は強く思う。
そんな人々に例えば「じゃあ、何か最近気になる事は何?」と聞けば、ワイドショーなどで繰り返しているネタ?のやきなおしばかり?要は「思考」がストップしているように感じる。それこそが「気になって」「不安」である。且つそれを指摘しても思考していないから不安の意味が分からない。いつも「~が言っていた」「書いてあった」の表現。自分の頭で考えていない。そんな人々が何の資格を取ってどうしていくのか、私自身がこんなにカリカリすることもないのだが・・・。
なんとか力~というのがブームのようであるが、まさに「地頭力」だ。さて、これは何と読むのか?
正解は「じあたまりょく」。これは仕事や人生の問題をスピーディーに解決する「考える力」のことで、①結論から考える「仮説思考力」②全体から考える「フレームワーク思考力」③単純に考える「抽象化思考力」が三大構成要素となっているそうだ。ビジネスコンサルタントの細谷功さんが広めた言葉だ。
日常生活で起こりうる様々な事象をこの「じあたまりょく」で分解していく。思考することの楽しさが発見できる。如何に、自分が日常生活の中で「思考」していなかったことが分かる。こわいほど分かる。人間とは「思考」しなくても「何となく」生きていけるものだということが分かる。しかし「思考」していなかつた時間が長いとそれは本当に取り返しつかないほどの時間の蓄積を感じるだろう。
「思考」に年齢はない。「思考」を止めた時点で、考えない人になってしまう。たまにはロダンの「考える人」のようになろう・・・・
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