社会問題: 2006年7月アーカイブ
社会問題 : 驕り |
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ある程度知名度のある、企業の「驕り」とは何だろう?と思うことがある。
パロマ工業製の湯沸かし器の損害賠償請求訴訟問題での記者会見を見た時、「何なんだ?」とその会見にのぞんだ役員の数に驚いた。そして、当初の社長の言い訳。家族経営だ云々、会社の問題はさておいて。
1995年1月に北海道恵庭市の女性が一酸化炭素中毒で重症になった事故で、パロマから製品の修理などを請け負っていた元業者が、被告側弁護士に対する証言がこの度分かった。講習会で不正改造を教えられた記憶があるというものだが、これに対してパロマ側は「改造は絶対に行ってはならないと指導していた」と証言。元業者は、メーカーの指導なしに改造は出来ないとした上で講習会のことにおよんだ。
人の記憶は時間が経つと薄れていくが、兎に角、家族の死因に対して「何故」という疑問を持つ遺族の方々に対しては「真実」を。「保身」「都合」だけ考えないで、正々堂々と解明してほしい。
社会問題 : 「言葉」という武器 |
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あの事件以来、ずっと考えていたのだが、なかなかアップできないままでいた。ジダンの頭突き事件。 今や、親同士の言い争いにも発展しているようだ。ジダンの行為に対してのFIFA会長の「スポーツ倫理に反する行為と見なせば、FIFA理事会は介入する権利と義務がある。このような行為を見るのは、本当に本当に心が傷ついた」というコメント。いろいろなコメントが錯綜する中、何がどう悪かったのか?を考えていた。
シャンゼリゼやフランス美術の華やかがフランス的だと認識している人々は多い。だからこそ、今から10年ほど前に南太平洋で核実験を強行した時に「貴国は文化の程度が大変高いのに、どうして核実験のようなことをするのか」と真顔で訊ねている人がいたという。フランスにとって芸術を愛することと紛争の種をばら撒いてきたこととは決して矛盾していない。顔は決してひとつではないということ。
特に、現代のフランスの顔。フランスは移民を受け入れてきた長い歴史を持つ。1アルジェリアやチュニジアをはじめ、多くの発展途上国からの移民が暮らしている。多くは、大都市にある公営住宅に住んでいる。そのために、フランスでは「郊外」が、貧困と犯罪の巣窟であるかのように言われる。国内にあって郊外はフランスではないと言わんばかりにいわれている。フランス人の多くは、移民が集中している地区に足を踏み入れることもないまま。
景気が悪くなるたびに移民は失業問題にさらされる。「自由・平等・博愛」をモットーにする人権国家フランス社会にはラシスムつまり民族差別問題が存在している国なのだ。
あの日、全世界の子どもたちに対してジダンは詫びた。堪忍袋の緒が切れるというのか、いやそんな簡単な言い方ではすまないほどの言葉をイタリアの選手は言ったのではないか。
「ジダンの行為はスポーツのルールにはない」などと当たり前のように言った評論家がいた。日本人の選手もかなりのことを言われとも聞いた。しかし、こんな事件まで引き起こしちゃいない。彼は何を言われたかは決して語らない。しかし、ジダンにあの行為をさせるほどの「言葉の武器」を振りかざしたに違いないと思っている。