ch07.味: 2006年2月アーカイブ
ch07.味 : 「おいしいね!」と思うことが大事 |
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食育基本法が平成17年7月に施行されてから、いろいろなメディアで「食育」が取り上げられるようになっている。何か仕込めるぞと、相変わらずの陳腐な「癖」が出て、6月ごろから胸をときめかしていた。
二十一世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である・・・・条文を読んでいると、「食」って一体何なんだと思うようになってくる。
この季節。春風のにおいがする。ふきのとう、タラノ芽、せり・・・大好きなものが勢揃い季節がやってきた。小学生の頃、母親の実家に遊びに行くと、川の土手には土筆が顔を出して、灰汁をとってたいた。せりのおひたし、ふきのとうの天ぷら。当時はそんなにおいしいなんて全く感じなかったものが、今では本当においしいと感じる。私の「春」の味覚の原風景だ。
「食育」とは、難しいことじゃない。子供に「おいしいね!」と感じさせる日々繰り返されることなのだ。
それぞれの人が生まれて育った間に感じた懐かしい味がある。今、編集している『ありか』という情報誌に毎月「おふくろの味」というコラムを各界の方に執筆してもらっているが、毎回「メニューが重なったらどうしよう・・・」と思いながらも、毎月本当に楽しいコラムが出来上がる。巨大おむすび、甘いたまご焼き、栗ご飯・・・・と「味覚」の原風景だ。甘いたまご焼きも、ちよっと焦げてしまったことも、みんな丸ごとおいしい、懐かしい「おふくろの味」なのだ。
「昔、おふくろが作ってくれたつみれ汁。新鮮なイワシだったんだなぁ。今でも食いたいと思う」と友人が懐かしそうに思い出しながらいう姿を見ると、聞いているこちらも嬉しくなってしまう。いいもんだ、おふくろの味。そんな「あれ、うまかったなあ」という小さな日々の感動が、子供の舌を、思い出を作っていくのだ。
高級食材でなくてもいい。子供の成長を考えながら作る、素朴な料理でいい。子供が「おいしい」と感じることは、生きている限り、ずっと続いていく。たとえ、料理が得意でなくても、「お母さん、これおいしいね」という味を作ってあげよう。子供の舌は素直に覚えていく。