ch12.その他: 2008年3月アーカイブ

ch12.その他 : 人の為に出来ること

CA390057_2.jpg  人の為に何かをと思っても、なかなか出来ないものである。 「仕事が忙しくてとても・とても・・」とか「家庭が」とかいろいろ理由や理屈をこねることや人は多いものだが、最近、分かってきたのは、それを成し遂げるのに必要なこと、要はその人の持っているエネルギイの問題であるのだ。つまり、ある人には「ある」のだ。   


  そんなエネルギイのひとつが形になって生まれた。
「ハート トゥ ハートインターナショナルクラブ」のNPО法人結成記念公演が行われた。
  

  第一部は、30年ほど前から車椅子の人たちが作った詩にメロディをつけて歌う歌、そして環境問題をテーマとして着実にコンサート活動をしてきたniin,s(Vo・野口昌泰さん G、Co井本篤さん)のエッセイライブでスタートした。( 写真) 野口さんは風邪をひいたとかですっごい?声だがパワフルに歌ったてくれた。井本さんは相変わらずの素適なキャラ。
 第二部は既にテレビなどでも紹介されているが、障害者の自転車つくりの名人、堀田健一さんの講演だった。これまでに1600台もの障害者の方々の自転車をつくり、障害者だけでなく高齢者のために行動範囲の拡大に大いに貢献したことが評価され2006年にはシチズン・オブ・ザ・イヤーを受賞している。昨年、第41回吉川英治文化賞を受賞など大いに評価されていめが、これまでの長い長い道のり。特に、奥さまのひたむきな協力は、本当に胸が打たれた。

吉川英治文化賞を受賞した堀田さん
シチズン・オブ・ザ・イヤー

ch12.その他 : 辛い事件


  ニュースでこうした事件を知ると、何とかならなかったのか・・・と心の底から思う。

  文京区小石川三丁目で深夜に一家が主によって刃物で殺傷され、また重傷をおった。無理心中を図ったらしい。家業の製本業が売上げの減少で経営の見通しが立たなくなったと。「取引先が廃業し、売り上げが30万減ると青ざめていましたよ」とコメントを言っている姿がテレビにうつる。確かに知り合いの印刷・製本関係の経営者から「うちみたいな小規模な会社は本当に経営が苦しいですよ。時代ですかね」ととい事を聞いたことがある。
  経営の事だけでなく、最近ではマンションが多く建設されて、地域住民から機械音に対するクレームもあったらしいというが・・・・しかし、真夜中に修羅場を見て近所に逃げ込んだ12歳の少女。父親の凶行、祖父母と母親を失ったショックを考えたら言葉もない。

  小学校時代、私も文京区小石川の住民だった。当時、私の住んでいたところは「富坂1丁目」という地名だった。あちこち、路地裏を走り回った子ども時代。昔の風景をいろいろ思い出す。印刷や製本所の多くあったところも何とかぼんやり思い出せる。なんとも、心が辛い。


ch12.その他 : 待つ



   プログは「日記だから何を書いてもいい」という人もいるが、やはり書けないことは多い。特に、書きたいのだが相手の事を考えると内容を省略したりする・・・・・となると、またワケ分からなくなってくるものだ。まあ心底にふつふつとあるものだから。さてさて何をどうまとめてみたらよいのかを考えあぐねているのたが・・・・・・。

  年齢も上であったり、仕事のキャリアもずっと先輩であったりすると、その人への「敬意」は必ず忘れずにいるものなのだが、最近、そういう先輩諸氏の「ワケの分からぬ」行動に何度か立ち止まってしまう。自分の理論というかいや理屈をわあわあわあわあと一方的に伝える。また、一度は了承してすすめていることに対していきなり一方的に激高して理屈を並べつけてみる・・・・・。

   「当たり前の事を当たり前にする」「常に相手の立場を冷静に考える」などと、心の中に持って仕事をしているのだが・・・・・何かが変だと暫く考えていた。考えているうちに、眠れずに夜明けを迎え、急にうつらうつらして、慌てて仕事に取り掛かった。

  原因を考えていたら、一部ではあるが、ひとつ解明した。余りにも慣れすぎて、便利さを享受してしまった「今」だから、現われてしまったことに気がついた。私たちが当たり前に使っている携帯や携帯メールという存在。みな「伝達」を目的としているのだが、勿論TPОがあり、且つどんなシーンでどんな言葉遣いで言えばいいのか?というのは非常に大きなポイントだ。
  基本的に日本人独特の曖昧表現や最近は当たり前になっている「絵文字」はリスクを伴うことが多い。私はビジネスシーンでは決して絵文字などは使用しない。微妙な商談・交渉の時は必ず、会って話しをすすめるべきであると思っている。だからこそ、ニュアンスのとりかたが難しいものは「必ず会って話し、確認して進めることが必要」なのだ。
  しかし、便利なツールを享受すれば携帯電話があれば、もしいろいろ感情が高まった時でも相手に対して一方的に言葉や感情をぶつけることが可能だ。今回も携帯がなければ、この方はこんな行動はしなかっただろうと思った。もうひと方も、携帯メールがたとえ覚えたてであったとしても、こうした使い方、慣れない言い回しはしなかったのではないかと思った。
  一方の方には「是非会って話しましょう」と何度何度もも提案し、断られても提案した。実際に会って気持ちを冷却すること、ひとつひとつじゅんをおって解決することで心の底から納得してその方の提案が今回は適応したものでないことを理解していただいた。
  もう一方は、随分と飛んだ行動に唖然としているのだが、多分新しい環境(周囲の事や生活)で、少し忙殺されたのではないか、休息も必要ではないかなどとも心配してしまった。「会って話しましょう」の提案にまだ返事はこない。「待つ」ということも大切な時間だと思って待っている。

 
  あるご住職が教えてくださった言葉だ。

やさしげに咲いている野花なれど、知らぬところで厳しい冬を越えている

「人は皆、人知れぬ苦労があるんだよ」と。

ch12.その他 : お別れ


   確定申告だ、決算だとバタバタしている今日この頃。しかし、一年の中でも2月と3月という時期は、私はじーっとしている。活動的な自分であっても何となく、「動けない」時だ。季節の変わり目は体調も狂うことが多い。その上「別れ」が多い。突然の悲しみ。人の死に直面すると、暫し、ふーっと人生についてしみじみ考えてしまうのだ。


   昨年、法人をたちあげて、法人会に加入した。地区の忘年会というものが昨年の暮れにあって、その時に「吉田さんの歓迎会も兼ねて~っ」なんて具合に楽しく、飲み語った。皆さんとは初めての出会いであったわけだ。今後、地域活性の為に法人会のメンバーとしてどんな活動をしていくか、いろいろな話をしながらワイワイと酒を飲み、鍋をつついた。「強いですなあ」と言われながら、日本酒も随分と飲んだ記憶がある。


  
  先般、その時に出席されていた一人の方が亡くなった知らせを聞いた。とてもユーモアのある、場を和ませる楽しい方だった。いろんな活動をして行こうということで、大いに盛り上がり、それぞれの役割を決めることとなった。その夜は酔いしれて、笑い声で満ちた。最後にみんなでワイワイ言いながら記念写真も撮った。


  訃報とは本当に残酷だ。記憶が新しければ新しいほど、ショックも大きく悲しみが強い。
  何故か、残酷な2月と3月は静かに、早く過ぎていってほしい・・・・そんな気分だ。

 


   作家の丸元淑生さんが6日に食道がんのため逝去された。まだ74歳だった。「秋月へ」などで芥川賞候補になった作家だが、料理研究家としても活躍して「よい食事のヒント」など著書も多数ある。「食」関連の本は結構楽しく読んできた。新聞の訃報記事を読み、何か74歳という年齢にショックもけ、まだまだなのに!と溜息が出てしまった。
   最近、とくに人生に与えられた時間は限られていると感じることが多い。その限られた時間と果たして日々、真剣に向かい合っているか?と問われれば、「否」と答えそうである。
   例えば、手帳に何の予定もない休日というものは素晴らしいことなのたが、日々「いつでも出来るさあ~」と思ってること、思っている人は多いだろう。なんとなく日々を生きてしまうものだ。しかし、明日できるという保障は何もないであるが。

   毎朝の習慣。メールをチェックした。あるメッセージが届いていた。
『あなたは毎日を有意義に過ごしていますか?毎日毎日が同じことの繰り返しになっていませんか?人間は毎日同じことをしていると次第に考えなくなり、毎日を惰性で過ごすようになってしまいます。』と。
  このメッセージは最近の私にとって、その言葉がとても痛かった。繰り返すつもりはなくても、仕事とは人間関係が大切。いろんな考え方や行動パターンの人々がいる。そんな中で、自分ひとりが暴走するわけにもいかず、じーっとじーっと獲物の動きを睨むチーターのように動けない日々が続く。たとえ獲物が「惰性」の中にいても・・・だ。
   自分の気持ち次第では日々を「特別な日」にすることが可能だと、そのメッセージは続いている。『何年何月何日という日付に特別な意味なんてありません。重要なのは、あなたがその日にどんな意味を込めどれだけ集中したかという点、それだけです。』とある。そして天台宗の千日回峰行という修行を2度もやり遂げた酒井雄哉氏の「今日がわが人生の全てと思い暮す」という言葉も教えてくれた。

  今日は、昼から友人たちが集まりあるお祝いのパーティーをする。皆で手作りの料理やお酒を用意して。考えてみれば今日のパーティーも「特別な日」であると思わないと・・・・。
  そういえば、今日はテキサス州とオハイオ州の人にとってもは特別な日だね。大統領選の予備選挙の日だからね。

ch12.その他 : 悪運


    昔から不思議に思っていたことがある。同じ生年月日の人の運命って"似たりよったり??"ということ。陰陽五行研究家の伊勢瑞祥先生によれば、「同じ生年月日の人は世間に大体130人程度いる」そうだ。ふーん、130人か・・・と思う。だが、みんなそれぞれ違う家族のもとで生まれるが故、まさに、違う人生をやっているということも分かった。
  しかし、伊勢先生にいわせると、「時」という視点で人生を診断してみると、同じような生き方をして、同じような時に何かが起こっているらしい。ふむふむ、なーるほど、と何となく納得。
   そこで、話題にのぼったのが今、ニュースで騒がれているロス疑惑のMさん。この人物の四柱推命の命式は、実は抜群の吉運の持ち主であるそうだ。しかし!あまりに吉星ばかりは意外や意外、ダメらしいのだ。つまり「悪運が強すぎということは、試練の度合いが小さすぎて、人間として年齢にふさわしい成長が出来ない。つまり人生の年輪ができない」ということらしい。まあ、死刑の判決がでても良いはずが懲役6年の刑ですんだり、これまで人並み以上の生活が出来るというのも悪運強しという技のようだ。更に伊勢先生のコメントが凄い。「悪運強いMさんは今年はこれまでのことにケジメをつけさせられてしまう運。現在の"大局運"はただならぬ気配。、来年、この世に居なくなることになっている。今年もし、ゴネるようであれば間違いなく、来年はひどい目に遭う」と何とも怖い診断が出た。

   吉運ばかりが良いとは限らないというのは勉強になった。そうか、一にも二にも修行ですなあ~。自分自身といえば、なんだか吉凶甚だしいという「羊刀」という星が多いと聞いたことがある。思い出してみると、なるほど!吉凶甚だしいかも知れない。決して「平凡」ではないかも知れない。生まれ育った家に今尚、親と暮らしている友人などと比べる(比較もおかしいが)と、「何が違うのだろう?」と思うことしばしばである。
  昔、ある時にたまたまある気学の先生に診断していただいたことがある。人気の先生で何ヶ月も診断していただくのに待たねばならないと聞いていた。3ヵ月ほど待ち、やっと!という興奮の中で聞いた言葉が凄かった。「よく生きていましたねえ~」の一言でびっくりしゃっくり。つまり命式が「よく生きていましたね」と言うほどタイヘンなものだったのだろうか?「普通の人は死んでますよ~」と付け加えられたものだ。かえす言葉もないとはこのことか。
   まあ、母親からは仮死状態で生まれたと聞いた。その上、ずっと身体も丈夫でなかったし、ひきつけ起こす赤ん坊で、小学校入学まではいつもいつも扁桃腺を腫らせて高熱出して入院騒ぎ。
   元気になればなったで゜「これなあに?これなあに?」と大人たちを質問攻めし、またまた高熱出して寝込んでしまう子ども。まあ親としては本当に大変だっただろうと思う。今になると心の底から感謝の気持ちで一杯になる。
  まあ、いずれにしても、この年齢までのことは、書ききれないほど一杯だ。Мさんのように、吉星だけの抜群の命式ではなかった自分の生年月日に感謝感謝だ。
  



   随分、前の事だが、自分の中で「メール事件」と呼んでいることがある。つまり「了解しました」と言えばよいところを、たまたま親しい関係?と思っていたため、私はある別の言い方をした。すると、先方が激怒。「馬鹿にしている!」という一言で人間関係がプツッときれてしまったことがある。それこそ「あっ!」という間に全ての事柄は終わった。
  このメール事件を思い出す度、人間関係ってなんて危いものか・・・・と感じる。それからは、細心の注意でメールをしているのだが・・・・・。人生の中で、いい経験をしたと思っている。
  

  損得なしの人間関係はあると私は信じているのだが。実は損得だけで人間関係を築いている方もいる。何度も何度も反芻に反芻を繰り返して分かったことだ。ニコニコ微笑みながらも際どい時、はて?どっちへ転ぶか、そんなことなのだ。ふむふむ、納得するまでなかなか時間もかかるものだ。

   さて、私の友人に六角弘さんという怪文書の研究家がいる。昔、私はフジサンケイグループにいた時があるのだが、当時、時折、いろんな事がおこると六角さんは私にいろいろたずねてきた。ジャーナリストで且つ敏腕記者だから取材力は物凄い。巨大組織の中のちっぽけな一人で、まるで小さなネジのひとつでしかない時は、私は貝のように押し黙ってたものだ。親しくても、殆どしゃべらないでいた。それが「ネジ」の姿勢だと信じていた。
  しかし、それから暫くして「告発の時代」と言われる時がきた。いろいろな企業であからさまな事柄があれよあれよ~とあふれ出てきたこともあった。しかし、現代のように、携帯メールだ、ネットだとそれほどに発達していなかつた時代だからこそ?流出しないこともあった。
   メールだデータ転送だと本当に今は一瞬で完了してしまう。品位も品格も考えている場合じゃないほど。感情に流されたら本当に怖い。リテラシー能力がちょっと欠けたら・・・・身の毛が弥立つほどに怖くなる。ニュアンスの伝達も非常に難しい。全てはリテラシーと言うけれど、一人ひとりの能力は異なる。
  それに、どんなに伝達ツールが発達しようと人間に我欲がある限り、不都合なものを隠し続ける。名誉のため、プライドの為、地位の為?これも一人ひとり異なる。そんな我欲の中では、決してなにを以っても伝わらないものなのだ。


  冷静にいろいろ考えると、メールもネットへの書き込みなども実に怖ろしい世界であり、その世界なしでは生きられない自分もいろいろ擦り切れ、失い、感じなくなってきている。どんな蜜月を過ごしていても、信頼しているつもりでもプツンとその人間関係が切れるほど、「普通」になっている日常のメールもネットは実は危いのだ。


このアーカイブについて

このページには、2008年3月以降に書かれたブログ記事のうちch12.その他カテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはch12.その他: 2008年2月です。

次のアーカイブはch12.その他: 2008年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

プロフィール

ichiko.tv

ichiko.jpg
吉田いち子
東京麹町生まれ。日本女子大学卒業後、サンケイリビング新聞社に勤務。2004年3月独立。
その後フリーランスで単行本取材・執筆。主婦、母親、会社員の慌しい?人生経験を生かした取材が得意テーマ。強みは「人脈」。名刺交換だけでなくまさに「魂」の交換?を理想にした密度の濃い人脈作りを目指している。2005年10月に首都圏在住の40歳以上のミドル層をターゲットとした生活情報誌『ありか』を創刊。2007年5月に、これまでに培ったノウハウを生かし編集企画・出版プロデュースをメーンとする株式会社『吉田事務所』を設立した。2011年春から豊島区の地域紙『豊島の選択』の取材・編集。

メール

ご意見・ご感想はコチラまで!

著書紹介

「にっぽんの旨い!を取り寄せる」
食文化研究家・永山久夫さんの全国津々浦々のお取り寄せグルメ100選。「おいしい」の裏側にある生産者の思いにも触れられる一冊。未知の「味」と出会える。
価格1,470円(税込み)

「横浜中華街行列店の秘伝レシピ」
横浜中華街で特に評判の高い厳選29店の味を家庭で再現するためレシピ。秘伝の味を再現するためのコツや工夫を惜しみなく公開。プロの味が家庭で再現できるか?について検証した。
価格1,470円(税込み)

「横浜中華街オフィシャルガイドブック2005-06」
独立して初めて関わった思い出のガイドブック。横浜中華街発展会協同組合の325店全店完全取材! 「食」と「文化」、「歴史」そして華僑・華人の「生活」に触れられるオフィシャルガイドブック。あの燃えるような夏の取材の日々は良かった。
価格950円(税込み)

「和食のいろは」
和食のおいしさを支える基本をあらゆる角度から紹介。プロに教わる目利きのコツから料理研究家直伝の和食レシピ満載。ずっと会いたかった道場六三郎さんをインタビュー。
価格1,470円(税込み)

「マヨネーズってわっはっは」
 親友のかっちゃんこと小林カツ代さんのマヨネーズを使って驚きレシピを紹介。遊び心がいっぱいのレシピや薀蓄も盛りだくさん。
価格1,470円(税込み)

「浅草散歩ガイド」
一カ月に一回は必ず遊びにいく浅草。路地裏は最高。どうしても「浅草のガイドブック」を作りたかった。浅草今昔物語から「食べる」「歩く」「憩う」「買う」浅草が満載だ。
価格1,260円(税込み)

2013年5月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31