ch12.その他: 2009年10月アーカイブ

  我が家で犬を飼い始めて16年が過ぎた。近所の家から仔犬をいただいた。「雑種なのよ。でもね雑種は丈夫だって!」と言われた。"その時"は、全く飼う心算はなかったので、「近所を一回りしてきていいですか?」と訊ねたのだ・・・・しかし、一回りしたらもう可愛くて可愛くて。小さいからだなのにズッシリとした感覚が離れがたくなっていた。その夜は、クウクウといつまでもないて、なかなか寝場所にしたダンボールの家には入らなかった。抱っこするとなきやむ。そんな夜が過ぎた。そして翌日には赤い屋根の犬小屋を買った。しかし入るまでには時間がかかった。自分の城?と認識するまで、くんくんとにおいを嗅いでいた。
  ある日、テレーッとしていた耳がピンとたって本当に驚いた。庭中を走り回って、ボール遊びに夢中だった。散歩をすればテニスコート近くの植木の柵をボーンと身軽に飛び越えるのでその度に何度も注意をしたものだった。夏には土を掘って深い穴をつくり、そこにからだをすっぽりと入れてじっとしていた。土はヒンヤリして気持ちがいいのだろう。天然のクーラーなのだろうね。だから夏の間は犬小屋は空き家状態。でも、犬小屋はコツコツと手作りをした。特注?だ。からだが大きくなるに連れて、そのサイズに合うように犬小屋を作っていった。現在の犬小屋は二件目?か。

  生まれてから16年ちょっと過ぎて・・・・。散歩に行くとよく転ぶ。つんのめったりもする。足腰が弱ったというか、ヨタヨタと歩く。耳も遠くなったようだ。あれほど、雷が大嫌いで怖がっていたというのに、最近では雷にも全くどうじなくなっている。それに犬小屋と壁の間など狭くなったところに鼻を突っ込んで、じ-っとしている。その様子は変なものだ。名前をどんなに呼んでもそのままの姿勢でいる。そんな様子を見つめていると胸が痛くなってくる。何ともすごいスピードでというか早回しで「人世」を見ている・・・・そんな気がする。早すぎる変化は何とも切ないのだ。
  
  ワクチン接種の普及、良質なペットフードなどでペットとして飼われている犬と猫の平均寿命が急速に延びているらしい。犬は約17歳、猫は約24歳まで長生きするようになったとも聞く。
  毎日毎日、家族の一員として接してきている犬の生活はまるでドラマだ。いろんな出来事を思い出すことが出来る。ヨタヨタでもいいさ。兎に角、歩ける限りは大好きな散歩に行こうね!って。

ch12.その他 : 金輪際会いたくない人

   久しぶりに聞いた言葉だった。久しぶりの衝撃に近かった。いただいたあるメールに「(あの方とは)もう金輪際会いたくありません」とあった。"金輪際"かと呟いてみた。

  大昔の思い出だが、ある取材中にトラブルがあったことがある。決して重複?してはならないのに、その規定というか、マナーを軽く破った人がいて、それに対して、「金輪際あなたとは会わないから!」と怒鳴った記憶がある。電話の向こうで。弁解、言い訳がグダグタと聞こえたが、パーンと受話器を置いた・・・・携帯電話のない時代だったので、確か新宿駅か渋谷駅の売店近くの公衆電話だった記憶がある。あまりの声の大きさに周囲がビックリしていた。しかしその時の私は若気の至り?というか若かったし変なエネルギィも充満していたから、そんなドラマチックな事もやってしまっていた。多分、あの日以来は「金輪際」という言葉は口にも出していないし、文章に使ってもいない。だからこそ、このメールを読みながら、金輪際の深い意味を考えていた。

  そもそもは仏教用語らしい。語源について調べてみたら【大地は「三輪」によって、虚空の中に支えられ、「金輪」「水輪」「風輪」の三つの層から成り立つといわれ「金輪」はその最上層で、大地のすぐ下にある。「水輪」はその下の水質の層で、「風輪」はその下のガス状の層のことをいう。「際」は果てという意味なので、「金輪際」とは大地の最低部で、人間の住む大地のギリギリのところをさしている】・・・・なんか分るような分らないような・・・・まあそれから、物事の極限や究極を示すことになり、否定の意味を伴うことになったわけだ。例えば今日日、気になってしようがない「全然」もそうである。「全然OK」なんてない!のだから。
  だが、「金輪際あなたには会いたくない」と言われることって考えてみれば凄すぎる話しだ。そこまで?会いたくない人になってしまう事って?そんな現実を突きつけられたら・・・・・と思った。

ch12.その他 : 不撓不屈


   羽田発着の国際線はソウル、上海、香港であったがに続く中国・北京を結ぶチャーター便を活用した直行便の運航が25日に始まり日本航空、全日本空輸、中国国際航空の航空機が相次ぎ、北京を目指し羽田から飛び立った。日中の定期航空路線は1972年にスタートしたが、よくよく考えてみるとそれほど昔の話でもないなと。

  さて、話しは少し、変わるが、現在山崎豊子さん原作の映画「沈まぬ太陽」が公開中だ。上映時間は3時間20分と長い。途中でインターミッションが入るほど長い映画である。
  映画の中で、御巣鷹山で520人の犠牲者を出した日航機墜落事故で亡くなった日本人の父親と、イギリス人の母親の次女として1985年9月に東京で生まれたダイアナ湯川さんの「永遠の記憶」演奏が流れる・・・・まさに我々は過去の記憶を風化させてしまうが、やはり永遠の記憶はとどまるものだと思う。しかし、既に、遺児がこんなにも社会活動をするほどに"時間"が経ったのかと思った。
   中途半端だとかステレオタイプだとかいろいろ言われもするがそもそも出版当時から物議をかもしたこの作品が映画化されたというだけでも感動だ。何人もの映画人が製作を試み断念してきた中で、主役の渡辺謙が試写会席だったか、号泣したというニュースを読んだが、政権交代もあった今、「この映画の公開が、そんな時代を待っていたのではないかと思います」と感慨深げに語ったという気持ちは十分に理解できる。本当に完成できるのか?思いは果たして伝わるのか?と何もかもが危ぶまれる中でコツコツと作り上げていく、それも社会情勢が変わっていく中で、ややもすれば「やめよう」という事になろう。そんな中で完成した作品だということ。こうした努力、いわばこれまでの日本の経済をもりたてた日本人の不撓不屈の精神。これに気付くだけでもいいかも知れない。

「沈まぬ太陽」ホームページ


  女優の南田洋子さんが亡くなった。
  ある時、老老介護というのか、夫の長門さんの闘病生活の番組を見た時、心が痛んで、言葉が出なかった。一度は「何もテレビで・・・・」と思ったのは確かだった。
  私にとって、南田洋子さんといえば、音楽番組「ミュージックフェア」の司会のイメージが強い。凛とした美しさ。才気を感じる素適な女性であった。そして何よりもあのヘアスタイルはお洒落であった。隣りでとぼける長門さんをニコッと笑い、フォローする南田洋子さんだった。
  石原慎太郎原作の「太陽の季節」のヒロイン役だったと言う。私は勘違いしていた。南田洋子さんがヒロインだったとは思っていなくて・・・・・。そしてこの映画で初共演した長門さんと、結婚したそうだ。結婚生活の中にもいろいろあったようだけれど。
  しかし「いつでも逝ってもいいよう、百万遍の別れを告げていた。だから、後悔はしていない」「愛おしく僕を待っていてくれた、ただ1人の女性」「一生分のキスをした」と、いろいろな葛藤もあっただろうが、連れ合いの巡る思い出に包まれた南田さん。まさに"お連れ合い"という言葉が相応しいご夫婦の気がする。涙ぐむ連れ合いの姿に、微笑みかけている・・・・そんな気がした。

ch12.その他 : ある天才の死


  遺書が残されていれば・・・それはやはり、自殺というものなのだろうか・・・・

  「ザ・フォーク・クルセダーズ」やロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」のメンバーとして活躍した加藤和彦さんが17日に軽井沢町のホテルで首をつって自殺しているのが見つかったというニュース速報を見て、しばし絶句・・・・。
  「死にたい」ともらしていたというコメントがあるが、もし、それならどうして?1人で行かせたのか?とすら思う。警察署は計画的な自殺とみて調べを進めているそうだが、やはりこれは「運命」?「宿命」?とはあるものなのだろうか?
  「音楽でやるべきことがなくなった」とたとえ本人が言ったとしても・・・・とりかえしのつかない事実とはこんなものかと悲しくなった。凡人はいつまでだってひとつひとつの事を愚直なまでにコツコツと積み重ねて生きていかざるを得ない。しかし・・・・天才の持つ悲しい宿命なのかも知れない・・・・

  どうでもいいことかも知れないが、昔、遅いランチをとるために大慌てで有楽町のあるうどん屋さんに飛び込んだことがあった。たまたま案内された隣りの席に加藤和彦さんがいらしたことがある。その偶然ともいえる奇跡に「わぁぁぁ」と胸がどっくんどっくんとときめいて、時間が止まってしまった・・・・そんな事を思い出した。

   
   多くの若者を歓喜させたあの時代からこの日まで。
   加藤和彦さん、安らかに・・・・

出雲大社前 駅舎.jpgのサムネール画像

神社での参拝の作法は、一般的には二拝二柏手一拝であるが、ここ出雲大社では、二拝四柏手一拝で拝礼を行う。
さて、60年ぶりに国宝・本殿の改修が行われている出雲市大社におまいりをした。60年もの長い時間、本殿を覆っていた檜皮が次々とはがされている。今回が4回目の葺き替えということだ。

写真は「出雲大社前」駅舎
『日本鉄道旅行地図帳 中国四国』(新潮社)の各駅舎100選 中国・四国8駅にも選ばれている。"日本で唯一ムスリム文化の影響を思わせる"というドームを持っているとある。建築されたのは昭和5年で、何ともレトロなにおいがする。駅舎前は結構、クルマのとおりがさすが?に多い・・・・。
出雲大社 ホームページ

   電子メールというものに慣れている今日この頃。時々"手紙"を書かなければならないことになると、「あれぇ?」という事が多い。
  ものごころついた頃から学校の教師や先輩諸氏に自然とならったのが頭語と結語か。一般的な発信に拝啓、結語として敬具。一般的な返信に拝復 復啓 敬復。 前文を省略する時に前略そして冠省や冠略という文字を見た記憶は鮮烈だった。年配のおばさまたちが、ちょっと慌てた文字で「前略ごめんくださいませ」という流れるような文字もまた鮮烈な記憶だ。丁重な発信で謹啓、謹呈、恭啓などは多分社会人になってから目にしたものだったと思う。

  便利、簡単、都合がいい・・・・そんな理由で「電子メール」に頼りきっているのであるが、どう最近、気になって気になってしようがないものがある。それは「件名」である。自分は、メールを返信する時、なるべくその件名を修正するようにはしているのだが、多くの人はそれを忘れている方が多いようだ。・・・・というより、あまり意識されていないのだと思う。要は「Re・・・」で延々と続くメール。返信していると、本当にどうなっちゃったんだろう?どうしたんだぁ?と感じる。あまりゴタゴタ言うとなんて五月蝿い奴だと言われそうだが・・・・・
  マナーとまで言わないが、メールとは実に難しい。強調したい気持ちは分るのだが、そのセンテンス?のフォントをかえる方が時々いらっしゃる。例えば極端に大きな文字に。これがまた、気忙しいというか、あまり気分が良いものではないのがホンネ。
  また、「例の件ですが」といきなり書き出す人。実は、その"例の件"を忘れてしまっている事が多いものなのだ。やはりその件をきちんと書いた方が分りやすいだろう。そして、最近多いのが携帯メールからパソコンに、まさに、いきなり!!という書き出しで例えば、コンサートのアナウンスやお願い事など勝手気ままというか、自己中心的な内容が目立つメール。暫く声も出なくなりそうだ・・・・・
  自信満々では決してないところが辛いのだが、常に発信と返信の時は「相手」の気持ちにたって書くのが良いのではないかしら?思わず「ほほっ-」と感動するような気持ちの良いメールのやり取りをしたいもの。まあ、別段、感動するようなものでなくて"当たり前のメール"とでもいおうか、それでいいのだ。

ch12.その他 : 「知る」ということ


  しかし、プログという世界はやはりその人の人世縮図そのものだなと感じる。知人やチェックしたい人のプログを時折拝見するが地元びっしりネタ、鉄道の話、経理一本!、酒酒酒の話・・・・とまあ読めば読むほどに個性爆発だ。十人十色?まさに「その人そのもの」という世界があるものだ。興味のポイントから始まって、文体というか、その人の考え癖みたいなものまで分る。つまり読み込んでいくと性格そのものが分ってくるようだ。

  自分のプログのレスポンスも時折テーマこどにチェックしているが、やはり「傾向」が分る。マーケティングを考えるならやはりポイントはここか!と思われる。例えば、不祥事ものなどなんでまたこんなにレスポンスが高いのだろう?と思う。やはり興味津々、知りたいという気持ちは隠せない。まあ、これが人の心だよね。
  だが、本当に書ける世界というのはきちんとした情報を流さないと大変な事になる。「まっ、いいか」は通じない。それに「あとで削除すればいーじゃない」も通用しないと思っている。どこかの飲み屋で酒飲んで、映画見て楽しかった~とは違う。一度、嘘や偽りなどの「毒」を流したら本当に大変な事なのだ。この便利過ぎる世界は、知る喜び、楽しさの裏側には、知らなければ良かったという反面が必ずあるものだ。

ch12.その他 : "時"の堆積


   『日経ビジネス』(2009年10月5日号)の特集記事に惹かれ、ぱらら~とページをめくったところ、伊藤忠商事の社長・小林栄三の「会議は5分前集合を徹底」という記事が目に入った。小林さんは、よく抜き打ちで社員の会議に参加されるそうだが、例えば100人の会議なら開始前にきているのは30人程度、残りは開始時間丁度に来たり遅れてくるので思わず「入り口のカギを閉めろ」と言ったことがあるそうだ。何をそんなに、かたいことを・・・・と思う人もいるだろうが、5分10分でも早めに会議を終わらせる努力をされていると言う。その分、自由に時間を使える、また余った時間で他の仕事も出来るだろうという経営者の心配りというものだろう。100人の会議で5分遅れたら掛け算で500分の無駄が発生したことになると小林さんは言う。徹底している。なかなか出来ない事である。


   日々、当たり前のようにあると思っている"時間"。しかし時間とは掛替えのないものである。
   ふと、この記事を読んで理不尽に振り回され、理不尽な時間を過ごしてきた足利事件の菅家利和さんの事を思い出した。5日に幕田英雄検事正と面会。起訴し、長きに渡り服役させ苦痛を与えたことを謝罪した。検察側が菅家さんに直接謝罪するのは初めてだというが。幕田検事正は、弁護団が「もういいです」と言うまで頭を下げ続け、謝罪は30分間続いたと言う。菅家さんが「冤罪を二度と出さないでください」と訴えると、幕田検事正は「再発防止に取り組みます」と応えたそうではあるが、理不尽な時間は堆積して年月となった。苦しみの日々だったと思う。緊張した表情の菅家利和さんの事を思うと私は心がしんしんと痛む。
  逮捕、起訴から17年だ。17年という年月。「ようやく許す気持ちになりました」と振り絞る菅家さんの声。この事件に巻き込まれ理不尽時間を過ごした人がいるのだ。菅家さんの事を決して忘れてはいけない。

ch12.その他 : 昭和のにおい

091002_1755~0001.jpg 「人生」と書かず「人世」と書く横丁があった。池袋駅東口のビルの谷間にあった「人世横丁」にはその名の通り、いろいな人の世があった。敗戦後の町に生まれ、そこにはあったかい人と人との繋がりがあったのだろう。昭和26年頃に建てられた木造二階建て。そのレトロな雰囲気が人気をよんで、よくドラマのロケでも使われたと言う。2007年3月にその昭和のかおり・・・というかにおいをかわら版としてまとめられた。『かわら版 人世横丁』だ。発行は人世横丁商店会。会長は天ぷら「○天」の女将の中村規久代さん。「吉田さん、一冊、見つかったのよ」と中村さんかから電話をいただき、私は小躍りした。本当に嬉しかった。貴重な一冊に出会える!最後の明かりが消えてから一年少しか・・・・日本生命ビルの後方、今では広い駐車場になっているところを中村さんと歩いた。かわら版のイラストマップを見ながら「そうそう、ここにねえ」と言いながら、中村さんは歩く。広い駐車場には今は何もない。そこを歩きながら、私はふっと思う。真夏の歓声が去り、海の家が取り壊され、そこには砂浜がいつものように現れる・・・そんな秋を思い出した。暫く心にぽっかりと穴があいたような。耳には夏を愉しむ人々の楽しそうな声が聞こえているのに・・・・・。思い出の場所を真剣に歩く中村規久代さんの姿を見つめながら、きっと中村さんの耳にも、楽しい常連客の笑い声が聞こえているのだろうと思った。バアからジャズが流れてくるかも知れない。"昭和"という一つの時代が本当に去っていったのだな・・・と。2008年の盛夏、60年もの時間に築かれたもの。それと私のセンチメンタルなど比較にもならないだろう。しかし例えば、幕がおりても、芝居の興奮でなかなか席を立つことが出来ない・・・・そんな感覚の夜だった。

ch12.その他 : 石田純一という男


   今、巷で騒がれている話しの一つだが、タレントの石田純一さんがプロゴルファー・東尾理子と婚約発表したらしいね。「人生の中でも今はMAX。(東尾理子さんには)いつも笑顔でいてもらいたい」と言うなど、いつもこの人の発言には、ただただ凄いなと感心してしまう。何しろ、切り替えが早い。この切り替えの早さはどのように培われたものか調べてみたいほど。前妻の松原千明さんが離婚したといことについても既に聞いているし、また「これからも素敵な人生になるよ。大いに応援させてもらいたい」とエールまでおくる。娘さんにも「応援したいよ」とまで言う。
  思うに、なかなかこういうタイプは日本の男性には少ないのだ。しかし、また、何で石田純一が?と思っていたら、たまたま仕事で石田本人と出合ったことのある二人の友人が「何を言っているのよ。目がね、素適なのよ!」「そうそう、腰が低くてねぇ。話すときに、相手の目をじーっと見て、よく聞いてくれるのよ。そうそう、こう斜めから・・・・」「後から、もう一度会いたいっ!て思わせるのよね」と矢継ぎ早に言う。なるほど!ウルトラ聞き上手の男なのだと思い、納得納得。要は聞き上手の男が日本の男にはなかなかいないということ。
   例えば、女性は"ただ聞いて欲しいだけ"という事がよくあるわけだが、男性にはよくこの辺の心理が分らない。"結論はどういうことか?"と男は全身全霊で真剣に考える。そこで、いつまでもいつまでも続く女の話しに終止符をうとうとするものだから、"何で貴方は分かってくれないのよっ!"いつもそうなのよっ!わたしの気持ちを分かってくれないっ!という展開になる。男の方は"おいおい、どっ!どうしたんだ?解決方法を提案したぞ、俺は!"となりつまり平行線・・・・・。嗚呼!

  しかし、記者会見場にフェラーリで颯爽と現われる、娘と同じくらいの年頃の女性にプロポーズをして「いつも笑顔でいてもらいたい」と言い、別れた妻とその娘にも「これからも応援するよ」なんて言えるのは、やはりこの石田純一タイプしかいないわけだ。ただただ天晴れです・・・・・。

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プロフィール

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吉田いち子
東京麹町生まれ。日本女子大学卒業後、サンケイリビング新聞社に勤務。2004年3月独立。
その後フリーランスで単行本取材・執筆。主婦、母親、会社員の慌しい?人生経験を生かした取材が得意テーマ。強みは「人脈」。名刺交換だけでなくまさに「魂」の交換?を理想にした密度の濃い人脈作りを目指している。2005年10月に首都圏在住の40歳以上のミドル層をターゲットとした生活情報誌『ありか』を創刊。2007年5月に、これまでに培ったノウハウを生かし編集企画・出版プロデュースをメーンとする株式会社『吉田事務所』を設立した。2011年春から豊島区の地域紙『豊島の選択』の取材・編集。

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