ch12.その他: 2008年10月アーカイブ

ch12.その他 : 生き残る


   日銀展望ではは景気回復が2010年というけれど、世界的な金融危機の影響がいたるところ影響を与えている。えっと驚くことばかりだ。あんなに好調だった日本郵船など海運大手の業績も悪化している現状。
  神奈川県や東京都を中心に寿司店や焼き肉店などを展開するびっくり本舗が東京地裁に民事再生法の適用を申請、保全命令を受けていた。最初にこの店舗に行った時はまさに「びっくり」という名前にびっくりしたものだが。しかし、破綻の原因は岡山市の回転すしチェーン「マリンポリス」に対するTOBなど、M&Aや新規出店による資金繰り悪化だという。ただ主要事業は今後、飲食店の運営支援を手掛けるTRNコーポレーションの子会社に譲渡するらしいが、設立してやく25年か・・・・つくづく売り上げがよくなってきた時の会社の姿勢というか、避けられない世界的な経済悪化など、考えさせられることが多い。
しかし、仕事とは・・・・考えれば考えるほど、不安要素ばかりだ。「何故?こんな景気の時に?」などと問われたとしても、怖さを感じ、もし、一歩も踏み出さなければ、人も事も永遠に動かない。生き残るためには兎に角、逞しくなくてはならない。ああ、自分は大海に漂う一葉。本当に小さな世界でも実感そして実感の日々である。

ch12.その他 : 幸運と不運

   事実は小説より奇なり・・・という言葉があるが、今、テレビや新聞紙面をにぎわせている宝くじ殺人事件。こんなことが実際にあるのだなあと思う。本当に2億円が当選した人がいるんだなあということ。今まで、何度も宝くじを買ってもなーにもない自分としては、こうした人は一体、どんな運命なんだろう?と思ってしまう。幸運だなあ!と思っていた。どこかのご住職も高額が当選された時、あれよあれよと噂が広まって、あちらこちらから借金の申し込みがあったとテレビで話していた。あまりに借金の申し込みが多いので?自分の住む地域医療の為に使うことにしたという。

  しかし、今回の事件で、被害者が交際していたという殺人容疑で逮捕された男性の「金の使い道でもめた」という供述はなんとも空しい・・・・複数の金融口座を開設して金の出所を隠すためのマネーロンダリングをしていた可能性もあると新聞には書いてはあるが、その使い道も消費者金融への借金返済や、スナックのママだとか親しい女性へだとか、結局は我欲。
  2億円をコツコツ貯めていくのは本当に大変なことであるが、使うことはいとも容易い。一般的な会社員の生涯年収は約3億円。生涯かかって稼ぎだすお金に近い数字を一瞬に手に入れれば、尋常でなくなるかも知れない。煩悩だらけの人間は1億円、100億円、1兆円・・・・よく分からないが、人は尋常でない金額を容易く手に入れたら、いくらあっても満足できなくなるのかも知れない。
  しかし、被害者となった女性。こんな男性に宝くじが当選したことを話したことが、結局は命を失うほどの不幸の始まりだったのか・・・。余りに悲しすぎる。やはり不運としかいいようがない。

ch12.その他 : 間違い電話の主たち


    時折、携帯に登録していないナンバーが表示されることがある。1度の場合はこちらからかけ直す事もあまりしないのだが、何度もそのナンバーが表示される場合は、「もしかしたら登録し忘れた方からか?」と思い、かけ直す事もある。
  数ヶ月前の事、夜半に3回ほどのナンバー表示と留守電が入っていた。「今、何をしているのかなぁ?」と。その留守電の声はわりと年配・・・というよりかなり高齢と思える男性の声だった。知り合いの方でもない。そして、その後も留守電が何度も入るので、きっと携帯電話の番号を間違って記憶されているのではないかと、とても気の毒に思い、こちらからかけ直した。「多分、番号をお間違えだと思いますが?」と相手に確認した。その方はビックリした声で「ああぁぁぁ・・・どうもすみません。本当に申し訳ありません・・・・」と謝られた。
   それで終わりか・・・・と思った。しかし、再び、その"間違い電話"とアドレス一時的に登録していたナンバーが入り始めた。

  だいぶ前の話だが・・・・昔、ナンバーディスプレイをとりいれていない時のことなのだが、自宅の固定電話に何度も何度も留守電が入ることがあった。電話の向こうでは懇願するような年配の女性の声で「まさおー!まさおー!時々は帰ってきておくれよ~。」「まさおー!電話を頂戴よ~」「まさおー!そこにいるのは分かっているんだからーっ!まさおー!」というものだった。多分、その女性は電話番号を間違ってメモしているのだろうと思った。声の感じからいえば、結構な年配者か。"まさお"という男性はなかなか家にも帰らないし電話もしてこないのだろう。「そこにいるのは分かっている」という言葉には留守電の声は気迫を感じた。暫くして、その電話はかからなくなった。正しい電話番号が判明したか、またはまさおが帰ってきたのだろう?と思った。


  夜半の、あの高齢とも思える男性からの「間違い電話」。たまたまいつも移動中とか打ち合わせ中でかけられている時はとれない電話であるのだが、次は丁重に「間違いですよ」と伝えてあげよう。着信拒否に設定をするのは簡単なことだから・・・・と思った。、

ch12.その他 : "人財育成"への熱き思い

   常日頃から、いろいろな「ご縁」に感謝をしないとならないと思って仕事をしているのだが、昨日は本当に嬉しかった!
  今、UBA BRAINSという企業と学生の産学合同ワークショップのプロデュースをしているのだが、この仕事の関連でメーンの長尾吉彦さんに株式会社就職課をご紹介した。長尾さんは三菱電機にいらした時、メルブレインズという学生と企業のコラボレーションを展開されてきて、大成功をおさめた方だ。当時のメンバーだった学生さんは、今やノリにノった40代。皆さんが社会で大活躍をしている。
  メルブレインズとして見事に巣立って各界で活躍している学生たちの姿をみるにつけ、三菱電機をやめられた後も「ああ!なんとも死ぬ前にもう一度、行動したいよ~」と仰っていた。「死ぬまでなんて、ハハハやめてくださいよ~」と言ってはみたものの、この社会を、日本の将来をになう人材の育成。そして日本の企業が活力を得て発展することに対する熱い思いは私も一緒であった。人材は人財であるからだ。
  
  そんな熱き思いは、ひょんなことで具体化していくことになった。本当に人生とは面白い!
  NPО法人 IT活用能力振興協会の志賀会長の、これまた滾るような熱き思いから UBA(universal business ability)総合研究所なるものをたちあげ、今、始動開始となったのだ。


   雨の降りしきる銀座。私は株式会社就職課のある銀座6丁目まで走っていた。この日はここが発行している「学生新聞」について少し、話を聞くつもりでいた。社長の内田雅章さんは全国を講演会で飛び回っていらっしゃるし、兎に角忙しい方だから、まず会うことは不可能?だと思っていた。ひとしきり、内田さんの秘書の増田さんいろいろ話しを訊いているうちに、増田さんが「ちょっと」といい席を立った。そして、暫くしてなんと内田社長がミーティングルームに顔を出した。「あらららら」と言いながら。実にラッキーなことであった。そして我々の資料をサっと見たところで「これこそ私がやりたかったこと!」と言う内田社長。それはほんの一瞬の出来事であった。
  そして内田社長が、著書をとりに席を一瞬、立った時、長尾さんが最高の笑顔で私の肩を"やったね!"とばかりボーンと叩いた。私も"わぁ!やったね!"という嬉しさを久しぶりに感じた。まさに人脈とはつくるものでなく、出来るものだということを感じた。

  「是非!協力してやっていきましょう!」という内田社長の力強い言葉を聞き、打ち合わせが終了した。こんなにも嬉しいことがあるんだなぁと思い、私たちは外にでた。次の打ち合わせ場所であるフジテレビに急ぐ。雨がかなり降り出した。しかし雨がちっとも嫌ではない・・・・・ゆりかもめの中から窓の外を見ると夜景がキラキラ光って見えた。まるで宝石の様にも見えた。

株式会社就職課のホームページはこちら

ch12.その他 : 教えしこと・・・とは


  島根大が、総合理工学部4年の男子学生が世界遺産の石見銀山遺跡の岩石を卒業論文研究の試料にしていたという発表を知ってどうにも信じられなかった。岩盤遺構や坑道跡の間歩付近の岩石を約10カ所をハンマーで割って、拳大の石5、6個を持ち帰ったというものだ。大学側は「重大な問題として受け止めている。再発防止に努めたい」と謝罪したというが、一体何が原因なのかを考えさせられた。再発防止って?学生も22歳であれば、もう大人だ。善悪の区別は出来るだろう。大学で勉強し、卒業論文まで書くという能力もある。卒論のために多分、担当の教授と話し合っただろう。その時に果たして、「この研究の為に、世界遺産を試料にしたい」と言ったのだろうか?まさか!である。「転がっていたからいいと思った・・・・」ということも言っているがやはり、こうしたものの考え方、対応の仕方とは大学に入る前の前・・・・子供時代に先ずは親が、そして身近な人々が、教師がと様々な拘わりの中で教え、伝えるべきことなのだと感じる。
  人はこの世に誕生した時は皆、白紙状態。だからこそ、一日一日の成長のために「教える」ことが必だ。何も一人を責め立てているのではなく、自分も含めて、全てのことにいえるわけで・・・。今回の事は今回のことで、是非、正しい方法で試料を集めて研究論文を書き直して欲しいと思った。社会に出てからも「もしかしたら・・・」という事態は多い。やはり全ての事に対して「正しい方法」でいかないと。


   しかし、受賞をするため?にも長生きしないとならないものだと思った。今回のノーベル化学賞受賞の元米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員の下村脩さんも80歳というご高齢。長身で飄々としたそのお姿と一言一言が真面目な話しぶり。それでいて、とても気さくでユーモアがあり学生にも大人気であるという。
  『誰も知らない不可解で難しいことに、挑戦してほしい』、『どんなささいなことでもやり続けていれば、結果が出る』と昔々の家庭内や学校での教育の中で諸先生方からお聞きした忍耐力や精神力に触れて、嬉しくなった。我慢ではなく辛抱するということ。「ダメだぁ・・・」と思ったら、投げ出して次にいけばいいなど、安直にながれてしまわないこと。当たり前の事を当たり前にするといった日々の教育が本当に必要な時代だ。いいとこどりだけはしないこと。


ch12.その他 : 虚空を睨む

  テレビの追悼番組で俳優の緒形拳さんを見守ったという大親友という津川雅彦さんが涙ぐみながらの言葉を聞いて、緒形さんが亡くなる直前まで、なんと毅然とした生き方をされたのかと思うと涙が流れた。カッと目を見開いて、虚空を睨み続けたという・・・・何をいう事もなく。
  また、女優の万田久子さんは、「いつも何か言いそうで言わず、ただ優しい笑顔で見送ってくれた」というコメントにも緒形さん独特の笑顔が頭に浮かんでくる。何かを言いそうで言わず・・・・多分、虚空を睨み続けた時は、これまでの人生にかかわられた全て方々へ何かを言おうとしたのか?それとも、一体心の中で何を思われたのか?そんな事は分からないが、最期まで、凛とした空気を感じる。本当に理想と思える、そんな人生の最期。


  人生に四季があるとするなら、もう遥か昔に「春」は終わった。そして芽吹いて、勢いが何もかも許してくれた「夏」も終わった気がする。「おばさん」と言われても大抵抗しなくなった時にそれを感じた。そして、今は「秋」の気がしている。秋の夕暮れを形容した言葉に「秋の日は釣瓶落とし」というものがある。そう、あっという間に日が暮れてしまう感覚だろう。多分・・・・短いのだ。
  自然界の話でも、太陽の高度は低くなっている。だから、特に日の入り後暗さは夏の状態とは異なる。登山とまでいかなくても、夏と秋の山歩きではその差を実感する。
  さてさて、人生もまた「秋」を迎えて、これまで、いいやいいやで、実にいい加減に放置してきた事柄を整理整頓していかなければならないと思った。人はそんな事に気付く時期があるものだなぁ。


   10月7日の夕方、2008年のノーベル物理学賞のニュース速報が流れて、本当に感激した。小躍りするほど嬉しかった!。快挙だ!
   素粒子物理の「標準理論」と呼ばれる理論体系構築に重要な貢献をした南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授、小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授、益川敏英・京都大名誉教授の3名で日本人が共同受賞するのは初めての事だ。小柴昌俊先生の物理学賞と田中耕一さんの化学賞のダブル受賞以来だ。6年ぶりということだ。日本の科学力の凄さを感じた。分からなかった事が次第に解明されていく。
  今年は素粒子物理の基礎を築いた、日本初の受賞者であるあの湯川秀樹博士の生誕101年にあたる.。湯川博士に続き、やはり物理学賞の朝永振一郎博士の研究からずっと着実な研究の成果をあげているのだと思った。昔々の事だが゜、"これからは原子力の時代がくる"という湯川博士の文章に触れてからは、朝永博士も含めて、科学者の随筆を読み耽った日々を思い出した。

 今回の受賞で記者の質問に「大してうれしくないよ」なんて言っていた益川教授だが、教え子の思い出の中にあった『簡単な例題から本質をつかむことが大切だ』とよく話していた事など、地道な研究をされてきたことが分かる。

  とにかくこの快挙に拍手!拍手!だ。


ch12.その他 : さようなら 緒形拳さん

  俳優の緒形拳さんが急死された事をニュースを知った。何ともショックだ。好きな俳優さんであったので本当に悲しい。
  最近では緒形拳さんでなくては出来ない、あの独特な味わいのコマーシャルも多く、ほのぼのとした表情の緒形拳さんがとても素適で惚れ惚れと見ていた。しかし、人の死とはどうしようもない・・・。
 舞台、映画などこれまでに多くの作品に出演されたが、緒形拳さんというと思い出すのが、今村昌平監督の映画『復讐するは我にあり』。緒形さんが演じる主人公・榎津の震えるほどの怖さは緒形拳でなくては演じられない。何度観ても、鳥肌がたつほどの迫力だ。他のドラマもいろいろ見たが、榎津のあの底知れぬ怖さを表現はなかったと思う。
  ああ、さようなら、緒形拳さん。心からご冥福を祈ります。


ch12.その他 : 8年前、そして8年後

  今、すすめている仕事のキーワードが「8年」という数字。最近、この8年という時間について自分の中でいろいろ考えている。先般、このプロジェクトを一緒にしているМさんから「吉田さん、8年前に自分がなにをしていたか、思い出せますか」なんて意味合いの事を聞かれた、不意だったので、ただぽか~んとしていたのだが、この言葉が日増しに胸に響いてくる。今は日々、未来の事ぱかり想定して突っ走っている。兎に角走っている毎日だ。「8年前の事」など考えたこともなかった。8年前といえば、つまり2000年の頃か。そうそうパソコンの事で大騒ぎしていた記憶が甦ってくる。そして「このままの生活感覚をしていたら、自分の将来はない」と心の中で思っていた時期だ。ああ、ちょっと埃かぶった宝箱のに存在をあらためて見直せる良いチャンスになった。これから8年後の自分を想像するより、何とも鮮明な過去の記憶は懐かしさで胸を一杯にしてくれた。不思議な感覚だ。
  丁度、一週間前の日曜日に、偶然にも以前勤務していた会社の同僚と街でばったり出会った。出会ったというより、エスカレーターでお互いがすれ違ったのだ。彼は下り、私は上りのエスカレーターであった。ぽろぽろいろいろ考えている時だった。「いっちゃーん!」と私?を呼ぶ声にふっと顔をあげた。そこには笑った彼の顔があった。「あぁぁぁ」と言う間の出来事だった。不意に過去の過ぎた時間が本当に鮮明に思い出された。8年前どころではない、ずっと仕事を一緒にしてきて、退職をすると言って、何日後だったか。馴染みの銀座の店で飲んだ。ウイスキイのボトルが空いて、いろんな事を話した。もうしゃべることもないほどに。「元気でね」と送ってくれた、あの夜の事も思い出された。
  全ての事に永遠がない事が分かる今は、人の大切さ、そして潔い生き方がますますしたくなってきた。

ch12.その他 : "ご縁"が切れる時

  街中で「年賀状印刷承り中」というお知らせを見た。もうそんな時期なのか・・・・。

  一年が終わろうとする時、いろいろなことが分かる。いろいろなものが見えてくる。
 「是非一緒にビジネスを」「「こんな感動は初めてで伝えたくて」「吉田さんなら絶対にご理解いただけると思って」などなど、いろいろあった。敢えて言わぬが、中身はどれも一緒。全てひとつ。人間の飽くなき欲望への執着そのものだ。夢中でシステムやらいろいろ説明する間、その方にとって私は単なる「駒」でしかなくなっている。そんな姿が相手の瞳の奥に映っている。しかし、こうしたビジネスのシステムは今始まったものでない。昔からある。だが、「あの人が・・・」という人が深みに嵌っていく姿はあまり気分の良いものではない。「先ず、一人でもいいから説明会に」など強要する世界があるものか?何と表現したらよいのだろうか、哲学のない仕事。
  慌しい移動中の時に、または出張先の駅のホームで、「今、話してもいいですか?」なんて連絡をいただく。たいがいがご無沙汰している方々。「ご無沙汰しています、お元気ですか?」なんて決まりきった挨拶のあと先方は「兎に角会って、話しを聞いてほしい」と言う。しかし時間を割いて会って話しを聞いても、皆、内容は同じだ。どんなきれいごとであっても中身はみな同じ。自分にとっては無意味な時間が過ぎるだけだ。褪せていく関係。そして、「では、また!」と言えども、その瞬間にプツンと人間関係が終わった事に気付く。不思議なほど早く。その度に私は一体、この人々との関係は何であったのか?と考え込んでしまう。生身の人間の結びつきとは・・・・これほと゛に脆弱であったのか。
  別段、彼や彼女に不義理したわけでもないが・・・・多分切れてしまった人々には年賀状も出さずに終わるのだろうと思う。良いご縁をいただいたと思っていてもこんなことでご縁は切れてしまう。あああ~。こーんな些細なことで。ちっぽけな考えだな、自分も」とあれこれ思ってもしようがない。自分自身が感動していないのだから。

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プロフィール

ichiko.tv

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吉田いち子
東京麹町生まれ。日本女子大学卒業後、サンケイリビング新聞社に勤務。2004年3月独立。
その後フリーランスで単行本取材・執筆。主婦、母親、会社員の慌しい?人生経験を生かした取材が得意テーマ。強みは「人脈」。名刺交換だけでなくまさに「魂」の交換?を理想にした密度の濃い人脈作りを目指している。2005年10月に首都圏在住の40歳以上のミドル層をターゲットとした生活情報誌『ありか』を創刊。2007年5月に、これまでに培ったノウハウを生かし編集企画・出版プロデュースをメーンとする株式会社『吉田事務所』を設立した。2011年春から豊島区の地域紙『豊島の選択』の取材・編集。

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