ch10.生活: 2011年6月アーカイブ
ch10.生活 : 合掌 |
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3.11の震災の日から丁度百箇日を迎えた。行方不明の方を含めると約2万5000人ほどの方の失われた命のことを思う。それぞれの人に家族がいて、友人がいて・・・と思うとただただ冥福を祈るばかりである。この震災のこと、失われた命のことを決して忘れてはいけないことと、悲しみ、喪失感の後にもまだまだ苦しみが続くということも考えないとならない。あの阪神大震災の後のことも思い出せばよい。頑張れということは大切かも知れないが、ただそんなムードに酔っているだけでは人の生活の安定などないのだ。政府の課題は本当に山積みなのである。
辞める辞めないと、そんなことが続いている政府。菅首相が17日の参院東日本大震災復興特別委員会で、ようやくというか、原発の廃炉まで責任を持つことを明確にするために特別立法の制定など法整備の検討に着手したことを明らかにした。あくまでも事事業責任は東京電力ではあるが、廃炉にはどれほどのコストと時間がかかるかということだ。現行法ではがれきや溶融した燃料の処分方法などについて全く明確な規定がないのだから、政府は辞める辞めないなどの次元の話ではなく迅速に対応していかないととりかえしのないことになってしまうことになる。「検討中」という言い回し?もこのような事態の時は具体的にすすめないと。「最後まで責任をもつ体制・・」云々をまだ管さんは言っているようだが所詮、政治にかかわるというかかかわれる時間は限られているのだ。後進に道を譲り、そしてまた道を譲り進んでいくしかない。日本という「未来」を本当に考えたなら、それは十分に分かるはずだ。政治家たちの我欲に固執した延命はもういい。
ch10.生活 : 幸せな生活 |
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元区議会議員の方が"地域貢献に役立つ新聞を発行したい!"ということで、不思議なご縁から今、お手伝いをさせていただいている。媒体は隔週発行ではあるが、私は"ひろばにようこそ"ということで区民のひろばを取材し、レポートをお届けしている。
同じ「ひろば」という名前でも、それぞれの個性というのか、それぞれがみな違っているのが実に面白い。知っているようで、この様な機会がなければこうした感動もなかっただろうと毎回思っている。地元!地元!とし口では言うものの、全く理解していないのが常であろう。なんというか・・・人は観念的なもので生きてしまいがちである。「国民の為!国民の為!」と言いながら、実はちっとも国民の生の生活など理解していない人々もそうではないか?なんてことも思いながらね・・・
実際に生の地元の人々の息遣い感じると、人々が安全な地域で暮らし、その地域の人々と楽しく係わりを持ち、子どもを産み、育て、そして老いていく。「私はここで生活していて幸せだ」と思うこと、人間として、ほっとした幸せを得るということがどんなに素敵で当たり前のことであるかが分かる。そのひろばの特性をその地域の人々が織り出していくのである。どこの地域であっても人々の幸せとはそういうものであろう。
先般、区役所から「実は13日から1週間、一階ロビーで区民ひろばフェアをしするので、その会場に新聞を置きたい」との要望があり、何か嬉しくなった。それぞれのひろばの所長さんたちともまた会場でお会いできるかと思うと楽しい気持ちになる。