ch10.生活: 2010年8月アーカイブ
ch10.生活 : 本当に『紙があって、よかった。』 |
||||
空気、水、そして・・・紙もあって当たり前の生活をしている。こうしたものが考えたこともないだろう。まあ、空気や水はなければ命に関わる。しかしもしかしたら紙はなくても生きていけるんじゃないか?って考えるかも知れない。
ご覧になっただろうか? 昨日8月27日、日本新聞協会の全加盟新聞103社は、新聞協会特別企画として、「紙があって、よかった。」という広告を北海道から沖縄県までの103紙で一斉掲載した。これは、紙の価値を再発見してもらう広告であり、協会加盟全社による同一広告の一斉掲載とは初めての試みであったようだ。
「昔のように広告がとれない」「新聞が売れない」・・・そんな話ばかりを聞く。だからこそ新聞というメディアの媒体力と新聞広告のパワーを改めてアピールするのが狙いであったわけだか。
日本製紙、王子製紙、大王製紙、丸住製紙、中越パルプ工業などの5社を広告主とする今回は、手塚治虫の下書きと野口英世の母の手紙の2つを紹介していた。手塚治虫の『燈台鬼』の下書き。これは紙があったからこそのもの。想像が紙の上に表現された瞬間であろう。そして、野口英世の母、野口シカさんの息子へ会いたい一心で書いた手紙。子供の時に学んだ文字を思い出し思い出して書かれたもの。たどたどしい文字が並ぶ。「おまえの出世には皆たまげた。早く来てくだされ。一生の頼みです」と書かれた手紙を読みながら、胸の奥が熱くなり涙がこぼれる。今は海外でも電子メールで瞬時に伝達できる。しかしそんな現代では全く想像も出来ぬほどの母親の想いがそこにある。
紙の大切さと有難さを改めて気付かされる広告であった。ああ!本当に『紙があって、良かった。』
ch10.生活 : 熟しきったゴーヤ |
||||
ch10.生活 : ひとの「生」と「死」 |
||||
昔、まだ小さなお子さんを亡くしたお母さんが火葬場で、いよいよお棺が・・・という時に棺にしがみつき「私も一緒に焼いて下さい!」と半狂乱になったという悲しい話を聞いたことがある。
私自身も辛い思い出がある。社会人になってから親しくなった友人のあまりに突然の訃報に驚き、その日、半日は声が出なくなったことがある。やはり火葬場で彼女のお骨を拾いながら、哀しみというより、数々の思い出がかけめぐる頭の中と目の前の現実をどう考えたら良いのか?分らなくなった日があった。
気持ちというのだろうか、愛というのだろうか、人の魂ってそれほどにも深いものなのだ。
例の事件?の発覚以来、連日マスコミが100歳以上の高齢者の所在不明が発覚!騒いでいる。ふつう100歳以上まで生きられるなど稀でしょう。住民登録上、119歳と115歳が・・・などと分った分ったという前に、今回、一体何が問題であるのか?そこを考えないと。
しかし、20年間?親との連絡をとっていなかったとか、30年前に家を出たきり行方不明とか・・・。そんな家族がいるという現実に改めて悲しい現実を見た。血肉わけた親だ。激しい恨みつらみがあったとしても「生」か「死」は知るべきだろう。「仕事が忙しい」などの理由ではないだろう。何か、人として、根本的に欠如しているとしか思えないな。悪意で思ったらしようもないことであるが、親たちの年金にしても書類を書けといわれたから書いた、孫の入学金に親の口座から引き出して使った?経緯を理解するのも難儀だ。親族の安否の確認もせず、存在の把握もせず、ただ、だらしなく流れていったのか?役所の「人手不足」などというエクスキューズも聞きたくないな。長寿国だとか、上っ面の評価などいらないでしょ。人を愛さない、あまりにも愕然とする日本の一部の現実。まだ考えもまとまらない。