2005年2月アーカイブ

ichiko : 占い人生


  今日もまた、帰りの電車の中でほわーっと中吊り広告を見ていた。そして、ホームでキヨスクに走り、また買ってしまった。ヨミウリウイークリーの3月13日号。明日の私を知りたい!「占い依存」の人たち。私の周りにも沢山いる。かくいう私も依存はしていないが?かなり人生に投資している。
  まず、「結婚」。卒論の資料をまとめていた時、机の上にあった本の一ページ。「ふたご座のあなたは23歳の時に最良の結婚運が訪れます。これを逃すと後は、離婚、再婚を繰り返す人生でしょう」とあった。「離婚再婚離婚再婚」と文字が続いていた。当時、付き合っていたボーイフレンドは就職も決まり、さて、どーするの?と考えていた時だ。その後のコメントが続く。「相手はあなたの成長をずっと見守っていた年の離れた男性です」と。今の亭主だと直感した。これは直感としかいいようがないのだが。
  そして、次は「出産」。確か、四柱推命で「2人の女の子を生みますね」ときた。確かに、二人の娘を産んで育てた。まあ、三人でも四人でもよかったのかも知れないが。その時、印象に残っているのが「2」という数字、つまりダブルということに縁があるということ。すると、結婚も2回か?ということになってしまうのだが。。。。 仕事にしても、最初に勤務した新聞社には自分は決して定年まではいないと感じていたし、これも当たりか。
  例えば、占いの中で2~3ヶ月後の近未来を占うのに適しているタロットカード。仕事を変わる時に5人の占い師に同じ条件で占ってもらった。カードの種類は異なっても意味合いの同じカードが出てくることは本当に不思議な事だった。しかし、本当に凄い占い師かは、その後に証明される。この分野もまた「努力」だけでなく「才能」が必要なのだ。占いに依存することは良くない。しかし、冷静に見れば見るほど、その占い師の「才能」は分かるものなのだ。
 

| | コメント(0)

ichiko : いい関係?


   電車に乗っていると、あれこれと雑誌の中吊り広告を見て悩む。買うべきか、買わざるべきか?と。3月4日付増大号の「週間朝日」。定年後の不安 520人調査 夫婦再生への高い「壁」 50代妻の本音 夫のここがイラつく。。。。。。。ホームにおりた時、キオスクへ走った。買ってしまった。私のウイークポイント。この520人調査というこのフレーズに弱いのだ。どうも、いつもこれで失敗している。案の定、内容は陳腐、失敗だった。
  何年か前に、サラリーマン川柳で最優勝?か優勝した作品に、「プロポーズ、あの日に戻って断りたい」というのがあった。暫くして、綾小路キミマロさんが、パクって問題になった作品だと思うが。
  当時、その作品を「いいだろっ!」と私に言いながら男たちは居酒屋で笑い、酒を飲み交わしていた。一瞬ではあったが、「ぷっ」と私も笑った。平和だ、安全だ、この作品を応募した夫婦はと思ったからだ。こうして、「いいだろっ?」と聞く男たちも、まだまだ平和で安全な夫婦関係なのだ。本当に危ない夫婦関係とは、当人同士が気づかぬほど、実に静かに別離が進行しているものなのだ。
  試しに、何人かの理想?で真面目な家庭生活をしている女性達にこの川柳をの話をしてみたが、男たちとは全く違う反応をした。「何?これ」。その後、憮然としたり甲高く笑ったりした。居酒屋で笑い転げた男たちと同じ反応だったのは、結婚、離婚、ひとりものなど関係なく所謂「さばけた」女たちだった。これも不思議な反応だった。 
  夫婦なんて、男も女もどっちもどっちなのだ。カルチャー教室に行く妻に対して「俺の夕飯は?」と心配する夫。いいじゃないか。もっと優しくしてあげよう。そう、あなたたちが、息子に対して行ってきたくらいに過剰にね。。。。息子に対しては冷蔵庫開ければいつもなんでもかんでもそろえていただろうに?男たちはそれなりに派閥、学閥、理不尽な上下関係、数えたらきりがないほど、忸怩たる思いで社会生活をしてきたのだから、定年後はもっと優しくしてあげよう。子育て、教育、全部やってきた?いいじゃないか。妻、母親としてをまかされてきたのだから。人生の大半を働いて生きてきた定年後の夫が、トイレを汚す、シーツをきちんと折りたたまない?なんてことにいちいち目くじらたてないで欲しいものだ。
   夫婦は親より長く一緒に生活していく。しかし金婚式(50年!)を迎える夫婦はなかなかいないものだ。夫婦関係(男女関係も含めて)長いようで実に短い。だからこそ、これまでに私が何組も見てしまった、また、現在も見ている本当に寒気がするほど、静かに「別離」が進行している夫婦だけは避けたい。

| | コメント(0)

ch12.その他 : 母親の本能に涙

 ニュースを聞いて「泣く」ということはなかなかないものだが。。。。。
今月7日に、北海道の知床半島の先端部近くの根室海峡に面した相泊漁港付近に、シャチ12頭が岸壁近くで流氷に挟まり何度も役場の人たちが救出を試みたが、作業は難航し、同日中の救出はできず数頭はすでに死んでしまったということがあった。
  シャチは体長6~8メートルのオス1頭、4~6メートルのメスとみられる6頭、1~3メートルの子どもが5頭。岸壁から4~20メートルの範囲で尾びれや背びれを氷上に出したままで挟まれていたらしい。時折、しおを吹いたり、尾びれを動かしたりしていたが、抜け出すことはなかったという。救助のために、巡視船が接近しようとしたものの水深が浅く断念。同漁港の漁船が氷を割ろうとしたが、流氷がすぐに海面をふさぐ。また体長1メートルほどのシャチの尾びれにロープをかけ、8人くらいで引っ張ったが、びくともしなかったという。
  通常はとても敏速なシャチが 「流氷に追われて閉じこめられたのでは。非常に珍しい」と救出直後は、そんなコメントが発表されたが、あとになり、実は母親のシャチが潰瘍のようなできものがあり、体力のなくなった子供のシャチを自分のカラダの下にじっと抱くようにして命尽きていたことを知った。シャチはとても、社会性がある生き物で、多分この集団は「家族」であったらしい。本来であれば素早く、流氷を抜け逃げ切ったであろうに、必死に弱っている子供を守るために身を挺した母親のシャチ。私はしばらく涙が止まらなかった。

| | コメント(0)

 パソコンにしてもケータイにしても「メール」は日常不可欠なコミュニケーションツールとなった。既に1年間経過したので、私の中では「時効」なのだが、メールは本当にひとつ間違うと命とり(少しオーバーだけど・・・)になることがある。いろんな経験から感じたことは、年齢、性別などてはなく、その個人が育った環境で受け止めてきた「コトバに対する感覚」が重要なポイントなのだ。
  昔々、とても親しい親しい女性がいた。ケータイは繋がらないときはメールで連絡をとりあっていた。ごくごくフツーのことだ。ある日、彼女が依頼してきたことに了解した私は「合点承知之介」なんていう、返信を出してしまった。ごくごくフツーの感覚で。しかし、彼女は激怒した。激しい怒りで、私の常識を疑う!とまできた。「馬鹿にするにもほどがある!」と怒りまくった。その一言返信で、私たちは呆気なく切れた。。。。

  それからというもの、私は常に「了解致しました」と返信する癖をつけてきた。「OK牧場!」という表現もやめた。 最近では本当に便利なのが絵文字だし、自分自身、余り好きではないが、(笑)という表現方法。あの、独特な一種の曖昧な「逃げ」が嫌いだけれど。しかし、そうは言っていられない・・・・・知らないうちにその人間の育ったコトバ環境の違いで、誤解が頻発する。笑い話で済まされず、キョーフで眠れぬ夜を過ごしたこともある。だから、私は無味乾燥であっても冷静に「了解致しました」と返信することにしている。この1年で身についた生活の知恵なのだから(笑)

| | コメント(0)

  イメージトレーニングというと何を思うか。エステテック業界の大手「たかの友梨」さんは自分の思いを口にすることだという。自分がこうなりたい、そういう夢は口に出す、するとイメージトレーニングは次第に夢の実現になっていくというのだ。
  多くの人は「夢を買うのよ」といいながら、漠然と宝くじを買って「当たらないよねぇ」と飽きもせず繰り返す。本当に見ているだけで、聞いているだけで不思議なことだとよく思う。要は「夢」がなく、ほとんど日常でイメトレなどしていないのだ。
  たかの友梨さんとは、随分前に仕事をしたことがある。(私はペンネームだったから、本名は知らないはずだけど)1984年高層ビルの新宿センタービル45階に本社を設置した頃だ。摩天楼のようなサロン、ここのオープンはまさに、こうありたい!という日々のイメージトレーニングで「夢」が叶ったという。とかく女性が成功していくと、周囲はいろんなことを言う人々がでてくるものだ。誹謗中傷の数々。、私が聞いた中で、凄いコトバだなと感じたのは「やけぶとり」!?。でも、たかの友梨さんは、本当にサバサバしてダイナミックでいい人なのだ。1978年に「たかの友梨一号店」を新大久保のマンションの一室でオープンしてから、多店舗展開してきた。そのパワー並大抵ではない。
  今、何故か新宿の摩天楼のようなサロンが今はなぜか懐かしい。あの「時代」の色を感じるからだろうか。1999年代々木に完成した自社ビルには、新宿にあったような、あのピンクの埋まるほどの、ふかふか絨毯の社長室はないようだ。(ライブドアのホリエモンも社長室はないようだけど)。
時が過ぎ・・・・社長室があってもなくてもいい。いつまでも変わらず屈託のない表情の女性は素敵なものだ。

| | コメント(0)

社会問題 : 時代の寵児

  時代の寵児とはどんな人なのだろうと思うことがある。テレビで「楽天」会長兼社長の三木谷浩史さんを見る度に、彼は寵児だと思う。
  今から20年ほど前、「ネット」などというコトバは本当に一部の世界の中でのものだった。
ある日、某広告代理店の男性が「吉田さん、例えばネット上でペンを売ったとしたら、買いますか?」と聞いたことがある。私はそのとき即答できなかった。ネットそのものの理解が浅かったし、ペンは文房具店でしか買ったことがなかったからだ。
  
以前、勤務していた新聞社でマーケティングセミナーが実施されたことがある。「面白い人物がいる」ということで、ある営業マンが講師として招いたのが、三木谷さんだった。
 1988年一橋大学卒、日本興業銀行入行。93年米ハーバード大経営学修士(MBA)を取得して帰国。「一度きりの人生で悔いを残したくない」と95年11月に興銀を退職して起業した。華やかなプロフィルだった。しかし、とてもラフな格好で講師にのぞんだ三木谷さんは「楽天市場」を設立したばかり。会場は「へぇ?」という空気が流れた。しかし、声に勢いがある三木谷さんは織田信長が開いた「楽市楽座」が大好きで、社名はこれがヒントとなり命名したという経緯から話した。そしてネット上で「卵の販売をしているが、新鮮な卵が消費者に人気を呼んでいる」と笑顔で言った。私はこの時、彼の着眼点は普通じゃないと直感した。しかし、セミナーを聞いていたある営業マンは「卵なんて対面販売で商品を自分の目で確認して買うものだ」と反発し、いずれ、ネット上の販売などうまくいくはずがないとも言った。セミナー後に「興銀を辞めてまで、卵の販売かぁ?」など悪態をつくものもいた。
  しかし「楽天」は営業開始して、わずか1年で出店社数200超の日本最大の電子商店街に成長。現在は約8000店をゆうに超えている企業となった。 この間、2000年に検索サイト大手インフォシークを買収するなどM&A(合併・買収)を積極的に展開。2003年9月ネット旅行業大手「旅の窓口」を運営するマイトリップ・ネット、同11月ネット専業証券大手DLJディレクトSFG証券を相次いで買収し、業態を急速に拡大している。
  オリジナルな着眼点で事業をする人はほんの一握りの寵児だ。自由な発想できる人間はやはり天才なのだと思う。日本人は真面目な人種だ。しかし大半が横並び、金太郎飴発想に終始する。今後の日本の発展のために自由な発想が出来る教育がますます必要となってくる。元気のない中高年にカツをいれるとともに、兎に角脆弱な若者が少しでも夢がもてる社会に大人たちがしていかないとならない。

| | コメント(1)

 丁度、2週間前の昼下がりだった。なんともいえないだるさを感じた。体中に鉛でも注入されたような感じ。いつもなら、「仕事帰りにマッサージでもしてもらおう!」と思うのだが、この日のだるさは違った。
  翌日、かかりつけの病院へ。「もう、体がボロボロだねぇ、吉田さん!」と医者がいう。「感冒薬を出しておくからね、でも、この前の血液検査は、最高にいい値だったよ」という。こんな辛い時に、何がいい結果だ!?むかむかしてくる。医者から渡された感冒薬を、なんの疑いもなく飲む。しかし、その夜から事態は急変。息苦しい。吐き気、悪寒、節々の痛み、頭痛。
うーうーと唸っているところへ、友人からケータイがかかる。症状を聞くなり「ばっかだなぁ~!今は簡単なキットでインフルエンザの検査ができるんだから!早く」と怒られる。
昨年の12月にかかりつけの病院でインフルエンザの予防接種をしたのだから、そんな筈はない!・・・・絶対にない!そう、思いながらふらふらしつつ、タクシーで総合病院へ。
  待合ロビーは、もうコンコンと咳をしたり、だるそうな患者で溢れている。見ているだけで、ますます具合が悪くなる。2時間半の待ち時間は本当にきつかった。

「ああ、インフルエンザB型ですね」と、簡単な検査の後に医師がさらっと言う。
「先生、昨年に予防接種したんですが。。。どうして?」
「まあ、していなかったらもっと症状が悪くなっていたでしょうね」と言われ、インフルエンザの特効薬をもらう。なんていうことだ。こんなに症状の悪いのは10年ぶりくらいだ。
この日、先生が診察した中でA型の患者は一人で、あとは全てB型だったとか。A型ウイルスは表面構造の違いによりさらに何種類かに分類され、現在は、A/H1N1(ソ連)型ウイルスとA/H3N2(香港)型ウイルス、及びB型ウイルスの3種類が流行しているそうだ。
それぞれ性質が異なり、A型は 非常に変異しやすい 毎年流行するほか、爆発的な大流行があるそうで、細菌性の肺炎を高率に併発するため高齢者は死亡するケースがあるという怖いものだ。そして、私がかかったB型は 変異しにくく、 散発的に小流行を繰り返すとか。最近は2年に1度、流行しているようだ。あまり聞かないC型。これは、 変異しにくく、 症状は通常の風邪に似ていて、大きな流行はないものらしい。
 まあ、こんなことをブログに書き込めるようになったということは、無事「回復」してきたということだろう。本当に「カラダが資本」。とにかく、熱にうなされている間、何度となく「古代に生まれていたら間違いなく、自分は死んでいただろう。。。。なんと、私たちの祖先は丈夫なんだろう」と考えていた。
まあ、これからも体調管理に気をつけていかないと、ウイルスはいつでも忍び込んでくる。

 

| | コメント(0)

 ケータイがなった。霊能者の櫻井友子さんからだった。「いち子さーん?今ね、ジャガイモの皮をむいていたら、あっ!そうだ。いち子さんに言っておこうと思ったのよ」という。ジャガイモの皮むきをしながら、一体、何を思ったのか!?「どうしたんですか?」とたずねる。
  先週末にポッとテレビのスイッチをいれたところ、ある番組に霊能者の下ヨシコさんが出ていて、あるお宅の怪現象を調べているという。怪現象とは、障子がいきなり燃えたり、人形に刃物が刺さったのするという。
  電話の向こうの櫻井さんの言っていることを、ごくフツーに日常生活を送っている中で急に聞くと、辛いというよりも、妙に楽しくなってくる。これは不思議だ。。。。。
  櫻井さんは暫く、画面をみていたが、水の龍神さまや火の荒神がいらっしゃるというのに、下さんには、その神様達の存在が見えず、困って頭をかかえているというのだ。桜井さんはテレビに向かって「下さん、頑張れ!頑張れ!」と応援したという。しかし、下さんには見えていないという。怪現象は、一向におさまらないという。
  「下さんは仏法なので、神さんたちが見えないのよ。このままだとあのお宅の怪現象はずっとなくならないのよね。下さんも原因が分からないでは、困っているだけだわ」と櫻井さん。
  原因は井戸。そのお宅の井戸は一つが油で汚れ、もう一つの井戸の上には建物が建てられてしまっているとか。このままじゃ、そのお宅の方も下さんも原因が分からずじゃかわいそうな話ではないか。
  「櫻井さん、出番ですよ。皆を救って差し上げないと!ね」と私がいうと、電話の向こうで櫻井さんが、こくりと頷いた。
  「だからね、いち子さん。テレビ局のプロデューサーに連絡しておいてくれるといいわねぇ」
はいはい。分かりました。皆の幸せのために。。。。。了解です、櫻井さん。
  「いち子さーん、また、食事しましょうよぉ~連絡くださいねぇ」と安堵した声。
はいはい。当方も原稿締め切り前。こちらも「救ってぇ~」という状況の中、皆の幸せのために頑張るか!

| | コメント(1)

ch10.生活 : 愛妻弁当

  久しぶりに友人と会った時のこと。最近の仕事の話をしているうちに、彼女の新しい職場の上司の話になった。毎日、愛妻弁当を持参だという。桜でんぶで作ったハート弁当なのかと思い、「すごいじゃないの!」と私。彼女はクックッと笑う。怪訝な顔をしている私を見て「それが毎日毎日、同じなのよ」という。やっばり!桜でんぶのハートなんだと確信する。
 「それがね、右手にバナナ、左手にソーセージ、これが毎日。思わず、動物園ですねって言ったら怒っちゃったのよぉ・・・・」と彼女は困惑顔。そうか・・・・桜でんぶのハート弁当じゃないんだ・・・・・
  一度、その上司と名刺交換をしたことがある。とっても明るくて、朗らかな方というイメージだった。社内の美化を一生懸命に話す様子に「きれい好き」という感もあった。
  あのニコニコして、明るい表情で、右手にバナナ・・・・と思うとなんだか、とってもほのぼのしてきた。「凄い美人なのよ」という彼の奥様が毎日、毎日夫のために用意するバナナとソーセージ。話を聞いた時は、一瞬、かたまったけど、よくよく考えてみれば、なかなか、いいんじゃない?奥さんの「愛情」感じて食べる愛妻弁当。毎日の最高のランチタイムだ。

| | コメント(0)

このアーカイブについて

このページには、2005年2月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2005年1月です。

次のアーカイブは2005年3月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

プロフィール

ichiko.tv

ichiko.jpg
吉田いち子
東京麹町生まれ。日本女子大学卒業後、サンケイリビング新聞社に勤務。2004年3月独立。
その後フリーランスで単行本取材・執筆。主婦、母親、会社員の慌しい?人生経験を生かした取材が得意テーマ。強みは「人脈」。名刺交換だけでなくまさに「魂」の交換?を理想にした密度の濃い人脈作りを目指している。2005年10月に首都圏在住の40歳以上のミドル層をターゲットとした生活情報誌『ありか』を創刊。2007年5月に、これまでに培ったノウハウを生かし編集企画・出版プロデュースをメーンとする株式会社『吉田事務所』を設立した。2011年春から豊島区の地域紙『豊島の選択』の取材・編集。

メール

ご意見・ご感想はコチラまで!

著書紹介

「にっぽんの旨い!を取り寄せる」
食文化研究家・永山久夫さんの全国津々浦々のお取り寄せグルメ100選。「おいしい」の裏側にある生産者の思いにも触れられる一冊。未知の「味」と出会える。
価格1,470円(税込み)

「横浜中華街行列店の秘伝レシピ」
横浜中華街で特に評判の高い厳選29店の味を家庭で再現するためレシピ。秘伝の味を再現するためのコツや工夫を惜しみなく公開。プロの味が家庭で再現できるか?について検証した。
価格1,470円(税込み)

「横浜中華街オフィシャルガイドブック2005-06」
独立して初めて関わった思い出のガイドブック。横浜中華街発展会協同組合の325店全店完全取材! 「食」と「文化」、「歴史」そして華僑・華人の「生活」に触れられるオフィシャルガイドブック。あの燃えるような夏の取材の日々は良かった。
価格950円(税込み)

「和食のいろは」
和食のおいしさを支える基本をあらゆる角度から紹介。プロに教わる目利きのコツから料理研究家直伝の和食レシピ満載。ずっと会いたかった道場六三郎さんをインタビュー。
価格1,470円(税込み)

「マヨネーズってわっはっは」
 親友のかっちゃんこと小林カツ代さんのマヨネーズを使って驚きレシピを紹介。遊び心がいっぱいのレシピや薀蓄も盛りだくさん。
価格1,470円(税込み)

「浅草散歩ガイド」
一カ月に一回は必ず遊びにいく浅草。路地裏は最高。どうしても「浅草のガイドブック」を作りたかった。浅草今昔物語から「食べる」「歩く」「憩う」「買う」浅草が満載だ。
価格1,260円(税込み)

2013年9月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

月別 アーカイブ