2004年12月アーカイブ

ch10.生活 : 「災」の一年が過ぎて

 2004年大晦日。天文学で天体の軌道計算などに用いられるユリウス通日で数えると、西暦元年1月1日を1日として今日が732326日目になるという。そして、明日の元旦732327日目。なんとも節目のない数え方だ。お盆とお正月もなく天体は絶え間なく動いていく。この節目のない時間の連鎖を人は日々坦々と過ごしていく。
  この一年、多くのことが起こった。交通事故・幼児虐待・殺人・誘拐事件。台風や地震などの自然災害が相次いだ。「災」の一年。そしてインド洋大津波。未だ不明者の数は把握されていない。10万人を超すと言われる犠牲者。邦人の行方ばかり報道は気にしているが、北欧からの旅行者がかなりあるという。自分の国にはない気候・風土に憧れて訪れた土地で天災にあってしまった多くの人々。また、地震も津波も経験のなかった現地の人々を襲った恐怖。
 これからも時間は流れていく。日々は過ぎていく。しかし、戦争、テロ、拉致問題と解決されていない問題は山積みなのだ。、新しい年がきても私たちは決して忘れてはならないことがある。「風潮」に流されることなく、自分の出来る限りの力を尽くして新しい年にむかわなくてはならないのだ。

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 新潟中越地震から2ヶ月が経った。夫が先日、地震の調査から戻ってきて、惨状のすごさを伝えてくれた。新聞の活字から、テレビで放映されている画面からは伝わらないものが「現場」にはあることを。
 山古志村は今月の17日朝から雪でうっすら雪化粧した。山沿いでは積雪となった。被災地には今月末には本格的に雪が積もり、極寒の季節を迎える。
 地震直後、そして暫くの間、あまりの臭いに息ができないほどであったという。特に被害の大きかった山古志村は言葉が出ないほどの状態であったという。家族同様のウシや鯉たちが命を失い、土砂の中に埋まって、腐敗したのだろうか。本当に自然の脅威には、太刀打ちできない人間の力のなさを感じ、涙がこぼれる。
村への道路の復旧は来年春の雪解けまで待って欲しいと村の人々が願っていることも聞いた。「何故って?村へ入り、家財道具などを盗む人がいるから・・・」。
いつの世も不埒な者がいるという現実・・・・・。

 「嫁にきた時から、この村が好きだったから・・・」と80過ぎのおばあちゃんが目を潤ませながらテレビのマイクに向かって話している。

 「山古志の季節は、人々の暮らしを映しています。春・木々の芽吹きと共に迎える、目のさめるような新緑夏・斜面には、青々と輝く無数の小さな棚田、秋・紅葉に溶け込むような秋の実り、冬・真っ白な、白銀の世界に自然に逆らわず、しかも屈することなく、 その厳しさと豊かな恵みを受け入れながら、 人々は自然と共に生きてきました」と地震前の美しい山古志村の光景が映る。美しい棚田、そして闘牛にわきたつ村の人々の笑顔と歓喜の声が聞こえてくる。
 そんな自然の美しさ・逞しさの中で、このおばあちゃんや村の人たちは暮らしてきたのだろう。一日も早く、もう一度「闘牛と錦鯉のむら」の村が復活するまでにはかなりの時間はかかるだろうがその日をせつに祈る。

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 自宅の近所に気になる店がある。ある集合住宅の1階の部分に4店舗あり、そこの一つで、今はクローズになっている。目の前には小さな公園があって、夏には盆踊り大会で賑わいを見せる。JRの某駅のすぐ近く。本当に改札口から1分くらいの立地。というのに、ここに入ったお店は開店してから1年もたないのだ。本当に不思議でしようがなかった。 初めて訪れたのは5年ほど前。それから3~4回ほど店舗が出たり入ったり。熱心で誠実な店長ばかりだった。男前の店長も多かった。夏になるとアルバイトの若い女性が愛想よく生ビールの無料チケットなど配ったり、いろいろ工夫をしていた。料理も美味しく、そして安い。勿論、目の前の公園で盆踊り大会の時は店内や店の前にせりだしたデッキには沢山のお客さんでてんやわんわ。というのに・・・・・暫くすると「実は閉めることになったんですよ」と店長がぽつりと呟くのだ。その度に何度も寂しい気持ちになった。隣りは薬局、呉服屋、手芸店とこの3店舗は変わらないのに、何故?
 ある日、風水研究家の安藤成龍先生が広島から東京にいらっしゃった時、お茶を飲みながら、この店舗のことを詳しく話した。中小企業診断士でもある安藤先生は地元広島で薬膳の店とレストランをコラボし大成功している。そのほかにも繁盛店を沢山出している人だ。
 先生は暫く考えた後に安藤先生は「その店舗の横にある坂からのぼる気が、スッとすり抜けていくようですね」という。確かに、その店舗の横にはなだらかな桜並木の坂があり、春には桜が見事に咲く。私はその桜をみながら坂道をゆっくりと歩くのが好きだ。
 「じゃあ、そこに入る店は気が入らないでいつも閉店してしまうんですか?!」と聞くと先生はこくんと頷いた。大繁盛・・・というより、せめて1年以上開店させる方法はないのだろうか?
 「例えばね、店の前に水を流して気を循環させればいいんですよ」といい「店内の内装にかける費用をもっと風水診断にかければいいと思いますよ」と続けた。
 先週の休みの日も、私はこの店を見ていた。今も看板ははがされたままで、はらはらと散る落ち葉が哀しい。年を越し、来年に、もし店がオープンしたら、ちょっとお節介だけれど風水の話でもそこの店長に話そうかな・・・なんて思ってしまう。
 お気に入りの店はいつもオープンしていて、明るい笑い声が聞こえたらいい。仕事帰りに飲む一杯目のビールがほしい。

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 なんとなく気忙しい師走。どこかで気忙しく感じないとならない?なんて気持ちがあるのも確か。昔は各家庭で僧を迎えてお経をあげてもらう習慣があって師(僧)があちこちの家を忙しく走り回ったというのが師走の語源とか。
 まあとにかく12月も半ばになると忘年会が目白押しで、それこそ「はやいもん順」という感じでスケジュール表は埋まっていく。忘年会という名前が最初に登場したのは夏目漱石の「我輩は猫である」とか。本来、1年間の疲れを癒すため、憂さを晴らすために親しい友人・仲間が集まり酒を酌み交わすという日本独自の行事。平安時代、12月に先祖の魂を祭る儀式が行われ、その儀式が終わると先祖の御霊のために供えた食べ物を皆で食べたそうだ。供え物を食べることによって人間と神が一体となると信じられ、これが現在の忘年会につながったというらしい。江戸時代になり、年末に親しいもの同士で酒を酌みかわすといった現在のスタイルに近いものに定着し、明治時代になり、故郷に帰らずどんちゃん騒ぎをする学生やボーナスで懐があたたかくなった官僚がやんややんやと酒を飲むようになった。
 流石に、私自身も昔のようにお茶碗たたいて?のどんちゃん騒ぎというのはしなくなった。でもカラオケで少しははしゃぐ。そんな時、私は中島みゆきの「地上の星」を歌う。NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX・挑戦者たち」のテーマ曲であるが、最近はこれを歌うたびにふっとこれまで自分は何に挑戦してきたのか?と考える。歌の中にいるのは、己の熱い情熱を抱き、使命感に燃えて、戦後の画期的な事業を実現させてきた「無名の日本人」たち。
そうか・・・・自分は人々の生活を劇的に変えるようなことなど何もしていない・・・・・。
  サラリーマン生活をしていた時、ふと「自分の将来」のことを考えてキャリアコーチングを受けたことがある。その中で自分がこれまでにしてきた仕事を客観的にプロフィルにまとめる作業をしたことがあった。これまでプロフィルなどといっても履歴書くらいしかまとめたことのなかった私にとってこの作業は実に衝撃的だった。自分を見つめなおすいい機会だった。入社してからの自分のキャリアを年表・数字などで客観的にまとめた時、こんな自分にも本気であるプロジェクトとして真剣勝負したことが一度あったことにふっと気づいた。
  あれは第12回東京サミットが行われた年。当時、貿易黒字が拡大してアメリカとの摩擦があり、当時の通産省は出来るだけ国民に輸入品を買ってもらうことが社会的要請でもあった。 プロジェクトの最大テーマは「円高差益還元」。ジェトロから「何か企画を」と言われた時に、「ワールドインポートバザール」を提案した。
 そこで社内にプロジェクトが組まれた。媒体である新聞社と商品の小売・販売力のあるディノスなどが結束した。会場になった池袋のサンシャインシティにのべ15万人を動員した。会場は目玉の輸入牛肉をはじめとして、輸入品を買い求める人々でごった返す。各媒体そして各国の放送局までもが取材に訪れた。会場は熱気に溢れ、スタッフはイベント終了まで連日燃えた。予想外の大反響に、既に亡くなってしまったが、K編集局長によばれ、このイベントの顛末記を全紙に書くようにいわれた。全力を振り絞って書いた。
 あの年が、私にとっての「地上の星」であった。

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 2004年12月7日に全国発売された「横浜中華街オフィシャルガイドブック」(生活情報センター刊)が早くも重版になりそうな勢いで売れている。「吉田さん、どうも初版超えそうですよ!」と先日、版元の社長から連絡を頂いた時、初版1万部が超える!?と思った瞬間、何か信じられないくらい嬉しかった。
 私は今年の3月1日までサンケイリビングというフリーペーパーの編集をしていたのだが、当時は「何万部、何百万部行」という部数感覚に慣れていた。独立して、1冊いくらかの単行本が数万部売れるということがどんなに凄いことかが分かった。勿論、フリーペーパーと単行本の発行形態は全く別のものであるのだが、この発行部数の感覚が180度変わり分かったということは本当に勉強になった。
 ところで2月12日は、いわゆる旧暦でのお正月。中国や華僑の方々は”春節”と呼び、今でもこの時期にお祝いをする。今年もいよいよ2005年2月9日の春節を祝う「春節燈火」(燈火期間は2005年2月28日(月)まで)がスタートした。「春節燈火」とは春節を祝って行う中華街イルミネーションのことで、今年はゆとりある歩行空間と魅力的な装いに生まれかわった中華街大通りに雲形イルミネーションを施すと共に、中華街全域にイルミネーションと提灯を飾り、街全体を光で浮き上がらせる雰囲気を作っている。夜の横浜中華街を満喫したいのであれば大晦日から新年にかけて最高だ。目と舌で「横浜中華街」を満喫してみては如何だろうか。
 その時は是非「横浜中華街オフィシャルガイドブック」を手にして!

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 昨日、第5回「神楽坂女声合唱団チャリティーディナーショー」が無事行われた。今朝になってもまだ興奮しているほど熱気溢れるものだった。ユーモア溢れる団長の小林カツ代のトークでスタート。カツ代さんは料理は勿論のこと、トークも天才だ。500人をゆうに超える客席は笑いの渦に包まれた。
 クリスマスシーズンに因んだクリスマスソングメドレー、そして、「世界の音楽」の演出にもこだわった。指揮者の辻志朗先生が「冬のソナタ」ではヨン様に扮して、会場はわいた。
倍賞千恵子さんは映画「ハウルの動く城」の主題歌をご主人のピアノ伴奏に合わせ歌い、土井たか子さんは団歌「緑の星に」をソロで歌った。団員は皆、月に3回ではあるが歌のレッスンをこなし、合宿では発声の特訓も受けた。本当に「歌」を愛している団員ばかりなのだ。
 今年は5周年ということもあり、団員のコシノジュンコさんデザインによるコスチュームも新調した。社会的に活躍している女性が多い合唱団であるので、ややもすると外見的な派手さから誤解されることも多いが、発足当時から、合唱団として「チャリティー」の軸足は変わっていない。収益金は野生動物保護、被災動物保護、野良猫などの避妊手術のために各団体へ寄付される。また、今年は新潟中越地震の被災へも寄付することになった。
 拍手喝采の中「来年もまた!」という言葉でショーは終わった。
2005年の12月、私たちはどんな気持ちで歌を歌っているのだろうか。決して初心がぶれることなく、元気でその日を迎えたい。

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地下鉄に乗っていた。背後から若者の会話が聞こえてくる。こんな時、私はつい外国語を聞くような楽しさで若者言葉を聞いてしまうのだ。
男「ありえないよぉ~。こっち先輩なんだからさぁ~」
女「まじ?」
男「かなり(イントネーションが変?) やばいんだよっ」
女「ため?」
男「けーご使えってーの。ためじゃないしぃ」
女「まじ?ありえなくない?」

独特のイントネーションをお伝えできないのが残念だけれど。
どうも男性の勤務先にアルバイトの男性やってきたが、先輩である彼に対して敬語をつかわないので、気分が悪いことを彼女に話しているようだ。しかし女性の口からは殆ど会話らしいコトバは聞かれることなく、ずっと「まじ?」「ため?」「ありえなくない?」だけだった。
駅に着いた時、男性に「どんな敬語を使ってほしかったの?」とちょっと質問をしてみたいくなったが。。。。

「ため」とは,もともとは賭博用語。二つのさいころを投げて、同じ数がそろうことを「タメ」ということから「五分五分」という意で不良少年?古い?が転用し,「同年齢,同級生」の意味となったもので1980 年代には一般の若者にも広まったといわれる。つまり「ため」にしても「やばい」にしても、あまり品のある言葉ではないっていうこと。
では「まじ」は?
これも、本来の意味とはニュアンスが異なってきている代表例。そもそも「まじめ」に由来する「まじ」という短縮語。「まじめ」から「まじ」という短縮形になった段階ではまだ「真剣」という原義を残していたようだが若者達が「まじ?」「まじっすか?」と頻繁に使うようになってからどうも「本気」という意味に変化。そしていまや、「本当」の意味になってしまった!
 それと、よく女子学生の会話で頻繁に出てくる「きもい」「きしょい」などの新形容詞。
これらは否定的な意味合いを持つ語が大半だ。彼らは日常で頻繁に使う単語は短縮形にしないと「めんどい」ということらしいが、この原則からいうと、気分がいい、気持ちいいといった単語の短縮形はないのだろうか?ふと、考えてみたが、これは短縮形はないようだ。
なんといっても超インパクトがあったのは、2004年の世相を反映した言葉を選ぶ恒例の「流行語大賞」で見事大賞に輝いた、アテネ五輪の平泳ぎで2冠に輝いた北島康介選手の「チョー気持ちいい」。若者言葉の典型である「チョー」は今は「程度が甚だしい様子」を強調しているが、今後はまた派生した使い方が出現してくるのだろう。
「美しい日本語」を大切にしよう、したいと考えるとまじ、かなり、チョー複雑な心境だ。

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 今「友達は何人いますか?」と聞かれたら、私はなんと答えるのだろうか?

今、私の携帯電話に登録されている件数は既に500人。この中には、家族は勿論、仕事上の関係者、趣味のグループの仲間、そして知人、友人が。
 ついに500人を超えた時から、携帯を2台持つようになった。電話番号やメアドはとりあえず「あいうえお順」に。毎日、携帯を使わない日はないので必ず名前と情報の確認は日々の業務になってしまっている。その点、名刺はぞんざいな扱いしてしまっている。とにかく、出会った年月日を記入して、名刺入れに整理しているだけ。あとから「えーと・・・誰だっけ?」と大変、相手に失礼なこともままある。ということで、私の場合、最終整理は「携帯電話」ということになる。
 
 「こうやって分類しているんだよ」と、友人のKは私に携帯電話のディスプレイを見せてくれた。家族、仕事、友人。。。といったカテゴリーに分類されている。私は「ふーん」と何気なく見る。「ほら、ここ」というと彼はディスプレイを近づけた。そこには「パワーフレンド」というカテゴリーがあり、5人ほどが登録され、その一番上に私の名前があった。
「何、これ?」と私がたずねると「いっちゃんはさあ、パワーフレンドなんだよ」と嬉しそうに言う。
なんだか、くすぐったい気持ちもするけれど、嬉しい気持ちもする。彼によればホンネが話せる友人。信頼している友人。エトセトラ・・・・・らしい。
 果たして、私には何人の「パワーフレンド」がいるのだろうか?
これからも「相手の立場にたって物事を考えられる」そんな友人でいられたら。。。
そう思ったある日の昼下がりだった。

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不祥事といえば、国士舘大学サッカー部と亜細亜大学野球部の事件。子供を持つ親の間ではとにかく話題にのぼる。あーだこーだと親たちは熱くなって語るが、時々、「ちょっと待てよ?」と思うような結論をだしてくる。例えば昨日も、プツッと会話か゜途切れてしまった。

「あの子たちはレギュラーではなかったんですよ」
「というと?」
「試合に出られない連中。いわば補欠」
「でも練習すれば試合には出られるのでしょう?」
「なかなか厳しい。だからブラブラとろくでもないこと考えたり、やったりしてしまう」
会話はここで終わり。サッカー、野球に関してはあまり私自身が詳しくないということもあるけれど、それでも「はっ?」と疑問に感じる。たとえ今は試合に出られなくても、努力して練習すればレギュラーになれるのでしょう?スポーツに打ち込むものにはスポーツマンシップというものがあるのでは?レギュラーでない=ブラブラとしてろくでもないことをするではないでしょう。

 某新聞に「大学に今求められる人間教育」という見出しがあった。
ばっかじゃないか?と思った。大学は「学ぶ」ところ。人間教育は既に家庭の中をベースに培われていくものなのだ。
 随分と昔の話になるが、警視庁に「家出少年・少女」の取材に行ったことがある。当時、思春期相談を担当していた江幡玲子さんが「子供が16歳になった時、それは親の子育ての領収書なのよ」と言った言葉が忘れられない。その頃の私はまだ1歳の長女の子育て真っ最中だった。16歳の子供など全く想像も出来なかった。
 「子供に対して、どんな接し方をしてきたか?子供をどう育ててきたか?それが16歳になった時に現れる」というのだ。いろいろな育児書を読みながらも、私は「16歳領収書」説を常に念頭においていた。迷いながらの子育て。娘が16歳という年齢に近づいてくるにつれ、妙な緊張感が生まれたものだ。
 親は「家庭」という土壌の中で、子供という種子を一生懸命に育てていく。家族が互いに良くも悪くも影響しあいながら。それは毎日毎日の積み重ねだ。一朝一夕では出来はしない。
 話は戻る。。。。彼らは家庭で何を学んだのか?親は子供に対して何を教えたのか?
彼らはとうに16歳という時期を過ぎている。人間として「当たり前のこと」を教えてきたのだろうか?自分も含め親たちは死ぬほど考えてほしい。

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 昨夜、テレビのニュースで知った。「まさか!?」という感じで慌て机の本を手にした。
やはり。確認した後、ショックとともに、手にした本に対する「気持ち」がさめていった。
 香川大学・岩月教授逮捕補のニュース。彼は幼児期の親子関係や、遣り残しが成長後の神経症的症例の原因となる「思い残し症候群」などの他、「家庭内ストックホルムシンドローム」「幸せ恐怖症」など心理学の分野で多くの新説を提唱して注目されていた教授だ。 準強制わいせつ容疑による逮捕。全くしようもない。唖然とした。
 以前、早稲田大学の植草教授の時も信じられず、しばし唖然としたが。岩月氏にしても植草氏にしても、こうした不祥事により、独自の発想による新説も、煤けたものに感じてしまう。新説に刺激を受けて講演会に通ったり、著書を読んだりしたことは一体なんだったのか?と感じてしまう。
 実はこの夏に、心理学関連の出版企画をたてていて、調査レポートの一部にコメントがほしくて香川大学に電話で問い合わせをした。いろいろな著書を読んでいる中でどうしても岩月教授の理論がほしかったのだ。大学側はすぐ岩月教授の携帯電話番号を教えてくれた。携帯電話番号をすぐ教えてくれるというのも、時代なのか?と思ったほどだった。しかし余りにダイレクトなので、取材をする前に、しばし、自分の企画をもう一度あたためていたという状況であった。 派手にみえるようでも、実売は数千部。数万部の売り上げなど夢のまた夢と頑張っている出版業界。その中にあってベストセラーの著者は世間に対してそれなり影響が大きいのだ。マスを対象に自分が生きる時、もっとこれまでの自分をしっかり肯定、自覚してほしい。
「ちょっとした不祥事で・・・」なんて甘い考えでは済まされない。

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いよいよ!今月の18日は神楽坂女声合唱団のディナーショーだ。本当に月日が経つのははやいもので今年で5回目となる。発足した2000年に団長の小林カツ代さんが「私たちチャリティーディナーショーをしましょう!」と言い出した時、びっくりしたが、つくづく「継続する」ということはいいことだと思っている。団員も出たり入ったりはあったが約70人ほどに。今年はソプラノに歌手の小林幸子さんが入った。小林さんの他にも倍賞千恵子さん、新谷のり子さんなどプロの歌手の方々が多く、そんな刺激を受けてか、「合唱団」としてもなかなか成長しているなと感じている。
今、ラストスパート!レッスンも特訓が始まっている。今年は歌の他にもミュージックベルにも挑戦する。レッスン風景は実にみんな真剣だ。忙しい中を時間をやりくりして挑戦し続ける。だからみんなの目は生き生きしているし、とにかく底抜けの明るさ!がいい。

会場は12月18日(土)に東京の目白にある「椿山壮」。ご興味ある方は是非、会いにきてほしい。申し込みは03-3505-7861プロデュースセンター。

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 忘れもしない「オレオレ詐欺」の電話を受けた11月22日の朝のこと。娘の情報は大学の名簿かなんかから漏れたのかしら?と考えていた。一週間後、娘の高校の同級生のお母さん(私は駒ちゃんママとよんでいる)から、慌てた声でケータイがあった。
 「大変大変、オレオレ詐欺の電話があったのよ。娘が泣きじゃくっていて、怖い声の男が、私じゃ判断できないから、1週間前に定期を落として、刑事さんが。。。。」と、なんとも話がごちゃごちゃ、結構混乱している。
 つまり、「お母さんお母さん」と泣きじゃくっている娘が電話に出てきて、次に怖い男が「オーラァ~ッ」と登場!駒ちゃんママはあまりの怖さにビックリ。そういえば、一週間前に娘が定期券落としたと言っていたっけ・・・・・それを悪い男が拾って!もしや、娘は監禁されているのでは?
 我を忘れた駒ちゃんママはすぐさま警察に飛び込んだ、といことなのでしょう。「何かあったら、娘のためにはいくらでも出そうと思ったの!」と駒ちゃんママは声を上擦らせていた。

 このところ、身近でオレオレ詐欺電話を受けたという知人・友人が多い。
おっと~りしている義理の妹の家にも、息子の名前を名乗る男性が電話に出できたらしい。その時、彼女はとてもぼ~んやりしていて、「はあぁぁぁ~?」と間延びして返したところ、プツンと電話は直ぐに切れてしまったらしい。そして駒ちゃんママのように大パニック。慌てて電話を切って警察に飛び込んだ。これも結果、良かった。

 一番危ないのは、動揺、動転しながらも相手の電話を真剣に聞いてしまうこと。彼らの迫真の演技、言葉巧みな話の中に、「おかしいな?」と思いながらも、ほっと入ってしまったらもう終わりだ。
 「私は冷静だから、決してひっかからない」「そんなの声質で分かるわよ」などというクールで論理的、冷静沈着なタイプは結構危ないと思う。
 あの手この手でオレオレ詐欺も進化している。みなさん、「私は大丈夫」はないですから!
本当に気をつけてほしい。
 因みに、すっかり「オレオレ詐欺」だと思って電話を切ったら、息子が東名高速で事故を起こしていた・・・・・という笑えない実話があります。それと、警察は「非通知」でかかってこないという情報も。(ここには書きませんがとても分かりやすい番号らしいです・・・・・)

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 トゥルルートゥルルー・・・・5回のコールの後に留守番のメッセージが流れた。「変だなぁ?」と思う。編集制作会社の田村社長は「電話早とり選手権にでも出るんですか?」と2人で大笑いしたこともあるほど、それこそ「トゥル」と1回コールしたかしないかで、素早く電話に出る人だから。
 「吉田いち子です。本が出来たので一冊、お持ちいたしますねぇ」というメッセージを残して私は電話を切った。そして、編集者のチエちゃんにも本を渡そうとケータイをした。
いつもはなかなかでないチエちゃん。それこそ!チエちゃんには留守電を残しておくつもりだった。それが、この日は違う。電話の声が違う。震えている。
「どうかした?」
「いち子ちゃん、田村さんが今朝亡くなったのよ・・・・・」
「えっ」と私は言葉を失った。

  人生には限りがある。しようのないことだけど。数ヶ月前「今度、小林カツ代さんの本を作ることになったんですよ」と電話で話したのが、最後になってしまった。
「吉田さん、それはよかったね。応援しているよ」というのが最後の会話になってしまった。

  人間関係を大切にすればするほど、ひとを失った時の悲しみは大きい。打算やその場限りのお付き合いでは悲しみは生まれないし、そんな人間関係など私はしたくないと思う。
 ずっと広告代理店でやり手バリバリの営業マンで、定年後も精力的な営業活動を「この日」の前日までしていたという。田村さん、私の声が聞こえますか?ひとは命あっての物種。ああ、早すぎるよ。。。。

2004年12月1日、ゆっくりお休みください。

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プロフィール

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吉田いち子
東京麹町生まれ。日本女子大学卒業後、サンケイリビング新聞社に勤務。2004年3月独立。
その後フリーランスで単行本取材・執筆。主婦、母親、会社員の慌しい?人生経験を生かした取材が得意テーマ。強みは「人脈」。名刺交換だけでなくまさに「魂」の交換?を理想にした密度の濃い人脈作りを目指している。2005年10月に首都圏在住の40歳以上のミドル層をターゲットとした生活情報誌『ありか』を創刊。2007年5月に、これまでに培ったノウハウを生かし編集企画・出版プロデュースをメーンとする株式会社『吉田事務所』を設立した。2011年春から豊島区の地域紙『豊島の選択』の取材・編集。

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