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‘ch06.音楽’ カテゴリーのアーカイブ

チャリティコンサート無事終了しました

2022 年 10 月 12 日 水曜日

2022年10月12日、ウクライナチャリティコンサートが無事終了しました。会場は初台の東京オペラシティコンサートホール。神楽坂女声合唱団としてほぼ3年ぶりのコンサートでした。コロナ禍というのは本当にいろんな部分を消し去ってしまうと思ったが・・・実はそうではなく物事や人物の深い部分を呈してくれることが分かった。変に回りくどい言い方だが、何ともそれまでは気づかないところまで気づけるということか。

満席の会場を見た時はさすがに感動。一時はリモートによるコーラスレッスンもあったが、ゆやはりレッスンはね・・・(笑)そんなこんなで到達したコンサート。リハーサルから含めて結構疲労したのはやはりトシのせいかも知れないな。

終わって、撮影が終了。楽屋口に数人が待っていらした。その中に朗読仲間のМさんが花束を抱えて待っていらした。来てくださるだけで嬉しかったのに・・・予想していなかったので「あ!」と思わずとぴついてしまった。「良かったわよ」とМさんがいう。その言葉にふっと包まれた。有難う!皆様!

神楽坂女声合唱団 いよいよ10月12日に「チャリテイーコンサート」

2022 年 8 月 13 日 土曜日

思い出せば・・・

2019年後半に「なんか豪華客船でウイルスみたいなものが発生しているようだ?・・・と言われていたが、そんな中でも恒例のチャリティディナーショーを開催した。

しかし、2020年3月頃から、どうもこのウイルスは異常事態だ!と思われ、その後、合唱団としての活動もいわば「断たれた」状態となった。あのどうしようもない!感はコトバで表現できない。

今の時代だから実施した「リモートでレッスン」それに加えて、演奏入りのCDでレッスン・・・いろいろ工夫して、チャレンジしたものの、合唱とはやはりそれぞれのパートがそれぞれに声を出して、ひとつのハーモニーに育てていくものだということがみにしみる。無理ですよ・・・と分かる。

今年、3年ほどのコロナ禍の中、いろいろな事が懸念され、中止され続けたがそんな中でも、なんとしても!世界の平和をという気持ちの高まりが団員の中から生まれて、チャリテイーコンサートを開催する運びとなった。。

「まだまだ練習不足ではないか」など意見も多い。当たり前すぎる。

紆余曲折ある。意見だって分かれる。だが、時は今!10月に向かって心をひとつにして頑張っていこうと進めた。団員は歌のプロではない。会場はオペラシティコンサートホール。生の声がそのまま響く・・・のだ。練習に練習しかない!

●チケットは全席4000円(チャリティー)です。

https://myticketnavi.com/event/list

死んだ男の残したものは

2022 年 5 月 19 日 木曜日

なつの朗読会の一部でこの歌を歌う流れになっているのだが・・ ・作詞家と作曲家の名前を改めてみて驚いた。いやはや・・・凄い方々だった。倍賞千恵子さんのYouTubeで見て、聞いて、涙が流れる。

「死んだ男の残したものは」
  作詞:谷川俊太郎
  作曲:武満 徹

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

昔、映画「ひまわり」をみた

2022 年 3 月 19 日 土曜日

随分、昔の話だ。学生時代、友達と映画館へ行き「「ひまわり」をみた。涙を流していた。何故か悲しいと言って共に涙を流していた。

30代になってから40代になってから・・・この映画を改めてみたのだが、心を揺さぶるものが学生時代とは全く異なって、それは自分でも驚くほどだったことを記憶している。

冷戦期にソビエト連邦で初めて撮影された西側諸国の映画「ひまわり」。第2次世界大戦下、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は結婚するがその幸せもつかの間、アントニオはソ連戦線へ送られる。終戦後、戻らない夫の行方を追ってジョバンナはソ連へ向かう。漸く、夫の居所を探し当てるのだが、戦場で遭難した彼はソ連の娘に助けられて・・・

戦争によって、ひきさかれた夫婦の悲哀という、それだけのものでない事が判る。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンという二人の名優。そしてヘンリー・マンシーニの音楽。あの映像と旋律。何よりもエンディングでの地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑。このひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州で撮影されたものである。

カセットテープ

2022 年 1 月 23 日 日曜日

納戸の整理をしていると完全に忘却していた頑丈なジュラルミン?ケースが長年の埃を被って現れた。一瞬、事態がのみこめないほど・・・いつの時代?という感じである。

おそるおそる開けてみると、なんと!カセットテープの山だ。カセットです!あららららら・・・暫し、言葉が出ない。ひとつひとつチェックしていくと「ああ!」とその時代が甦った。その時代のいわば「流行りの曲」。

そして、誰だろう?多分、作詞作曲して録音した曲を入れたものなのだろう・・・聞きたいと思うけれど、カセットテープを聞く機械そのものがない。そんな時代を過ぎて、今表出したカセットテープ。しかし、タイトルを見ても、文字を見ても誰が書いたのかも全く分からない。自分の文字でない事は確かである。「こんな事ってあるのか?」と久しぶりに困惑した。その困惑・・・妙にドキドキする。ちょっと工夫して聞いてみないと・・・

昼下がり・・・名曲の旅に

2021 年 11 月 16 日 火曜日

昨日の昼下がりは友人の企画した、映像とトークと演奏で綴る「晩秋のヨーロッパ名曲の旅」に出席した。会場は丸の内のるー「センチュリーコート丸の内」。明治生命館の地下にあるクラブレストランである。

明治生命館は、古典主義様式の最高傑作として高く評価され、1997年(平成9年)5月に昭和期の建造物としては初めて国の重要文化財に指定されている。

そう、晩秋の昼下がり。ワインとフレンチに舌鼓。名曲はウイーン、プラハ、ライブツイッヒ、ザルツブルグ・・・90分の生演奏の旅である。クライスラー、エルガー、メンデルスゾーン、バッハなど、なじみのある名曲が流れる。至福の時が流れた。

継続

2021 年 10 月 17 日 日曜日

10月13日に久しぶりに神楽坂女声合唱団のコーラスレッスンに出席した。もう600何日ぶりくらいだ。団員の一人が「楽譜はコビーしておくから」と言ってくれた。普通に進んでいれば楽譜の整理整頓などそれこそ当たり前にやっていたことだが、コロナが確実に日常生活に入り込み、ある「時」からこれまで必死に紡いていた事柄が何もかも崩壊した感覚を得た。無理に抵抗してもそれは無駄だと思った。そして、とびきりの才能があるわけでもなく、その中で、努力や練習もしない日々の中でどんな一歩があるのか?と思っていた。

久しぶり!とリハーサル室には団員の仲間がいた。どんな日々を過ごしていたかはわからなくても、打ち克っていたのだろう、明るく。そうでもなければ、いろんな一歩は踏み出せない。

全てが新しい楽譜。カツ代さんが作詞した「団歌」以外は全く初見だ。カラダ中の血が騒ぐ。続けていいのだね?と自分に問うてみた。

ふと10年後の未来

2021 年 9 月 22 日 水曜日

ふと10年後の世界を考えていた。

「進化するテクノロジー同士が融合する「コンバージェンス」により、テクノロジーは加速度的に進歩しているのだという。コンバージェンスは破壊的なイノベーションをもたらし、社会を大きく変えていく。たとえば、スマートフォンの登場はごく最近のことだが、私たちの生活を一変させてしまった。カメラや地図、電話、メモ帳、ゲーム機など、多くの機能が標準装備となり、多くのものが必要なくなってしまった。破壊的なイノベーションは市場そのものを破壊する影響力を持つ。今後も、私たちは次々とコンバージェンスから大きな影響を受け続けることになるだろう。」

こんな一節を読んだからか?

あるイベントの参加者募集方法で改めて「盲点」に気づかされた。「QRコードなんてできないよ!と叱られた。「FAXがないよっ」と叱られた。大半の人はインターネットで申し込みしてくださるが、対象の年代そのものの幅によってひらきがありすぎるのが現代。

実に混沌としている2021年・・・もしや、2020年の記憶かぶっ飛んでいるからか?

今後の10年後に対して、何故かワクワク感が生まれてこない。どうしたものだろう。遺すもの、見失ってはいけない・・・いろいろ考えればかんがえるほど・・・冷静にコツコツ進もう。

先ずは健康でボケないで生きていられれば!

Pretender

2021 年 8 月 29 日 日曜日

歌謡曲・・・と言ったら古いのだろう。最近では何とも歌詞の意味が伝わってこない、いや伝わりにくいものが多いと私は感じている。

が、そんな中で、ヒゲダンことOfficial髭男dismの「Pretender」。2019年5月15日にポニーキャニオンから発売されたもので、新曲登場!ではない。サビの部分だけがどうもアタマに残っていたが、歌詞を読み込んでいくと何か胸騒ぎするほどに熱くなる。白熱に近い。あれ?一体、何なのだろうな~?と。これは「男性からの視線」なんでしょ?でも・・・分かるんだ。

かなりかなり昔に、「忍冬」という歌を歌ってほしいと言われたことがある。全く知らない歌だった。〝すいかずら〟と読むと知って「へぇ」と思った。歌詞が切ない・・・。あるよね~きっとという歌詞だ。カラオケで歌ったことがあるが、歌を聞いていた女性が泣いたという経験が2回ほどあった。何か不思議だった。これは「女性からの視線」で、何か似た体験があると苦しい部分が出るのかと・・・分かるよ。

Pretender・・・

決してくちには出していない。

そう、演じているんだな・・・

外からは絶対に分からない?

いや、十分に分かっているのかも知れないが。

叫びとまではいかないから?

メタ言語?

労働歌の強さ

2021 年 6 月 8 日 火曜日

人の日常生活には「たまたま」ということがよくある。私は最近、この「たまたま」は「ご縁」だと思うようになってきた。今までは単なる「たまたま」と思っていたが・・・

あれこれと考える事が多くて・・・どうも寝ていればいいのに、ある日の夜中にパシッ!と起きたはいいもの、「ああ~困ったなあ~」と思い、テレビのチャンネルをまわした。大概、経験のある人はご存じだろうが、夜中の番組には「通販」が実に多いのだ。なんでだろう?と思っているうち、あの通販のプロたちの巧みな商品いアピールによって、多くの人が多分!おちるのだろう。たとえ、その商品名は正式に知らなくても、商品の本質が本人の心深くに思っているコンセプトと「たまたま」ドンピシャはまれば、おちる‼のだ。

さて、通販ばかりか・・・と思っている私の目の前にあるドキュメンタリーが飛びこんできた。ドキュメンタリーが大好きな私は一瞬、くぎ付けとなった。それは、19世紀に日本人労働移民が組織的にハワイに送り込まれ、ハワイ各地の砂糖耕地で重労働についた時の話。ハワイの日本人一世が生み出した労働歌である「ホレホレ節」の話だった。 「ホレホレ」とは、サトウキビの枯れ葉を手作業で掻き落としていく作業のことで、ふっと「惚れ~惚れ~」?と思った自分を恥じた。比較的力がいらなかったた作業だったので主に女性の仕事だったらしい。しかし、炎天下での作業は苦しい。決して快適ではなかろう。励ましあい、力を合わせるために、気持ちを即興的歌いこんでいったものだ。

「ホレホレ節」は、おそらく日本人移民がアメリカで生み出した唯一の民謡だろうということだ。要は、この歌には作詞者も作曲者もいないからだ。おおらかに歌う歌詞には日本語、ハワイ語、英語も入り混じる。

ハワイ 、 ハワイと夢見てきたが

流す涙は甘庶(きび)の中

行こか メリケン 帰ろか 日本

ここが思案の ハワイ国 

「メリケン」とは、「アメリカン」がなまったもの。ハワイは1898年にアメリカの準州となった。アメリカの法律に基づいて1900年より契約労働が禁止。日本人移民は契約から解放されたものの「思案」するのだ。

今日のホレホレ 辛くはないよ

昨日届いた 里便り

横浜出るときゃ 涙ででたが

今は子もある 孫もある

条約切れても 帰れぬやつは

末はハワイの ポイの肥

ハワイ ハワイと 来てみりゃ地獄

ボースは悪魔で ルナは鬼

カネはカチケン ワヒネはハッパイコウ*

夫婦仲良く 共稼ぎ

ダンブロウのワヒネ*にゃ 気が残る

条約切れるし 未練は残る

「ポイ」とはタロイモを発酵させて作ったハワイ原住民の主食のこと。3年契約の労働を終えても蓄えができず日本に帰国できなければハワイに骨を埋めてポイの肥料になってしまうよと歌う。カネとワヒネはハワイ語で、それぞれ男と女。カチケンはcut caneという英語がなまったものらしい。ダンブロウは、英語のdown belowがなまったもの。労働契約が満期になるが、耕地で働いている女性に気持ちが残るよと歌っている。

歌詞はまたまだ続くが・・・三味線の「音」がこの歌詞を盛り上げる。決して、バシバシの演奏をつけてはこの歌詞が・・・死んでしまうと思った。

労働歌の持つ、逞しさに心打たれた。