本日は第9回「社会貢献活動見本市」が池袋西口の勤労福祉会館で開催された。朝から「としまの記憶」をつなぐ会の出展。ブースの取り付け、展示物などの用意に追われる。11時。開会式も華やかに!それからというもの、どっと会場に来場者が入場する。終了の17時の後は懇親会へ。高野区長、小池ゆりこさんも来場し、どっと賑わう。45の出展と様々なシンポジウムの開催も無事終了。来年はいよいよ第10回であるが、会場は・・・今年5月に新しくなる豊島区の新庁舎での催しとなるであろう。本当に楽しみである。そして「としまの記憶」も着々と動画を記録している。一年を経るたびにされは蓄積していく。こうしたことを大切に感じる気持ちと心、いつまでも持っていたいと思う。
2015 年 2 月 のアーカイブ
第9回社会貢献活動見本市 無事に終了!
2015 年 2 月 28 日 土曜日さてさて・・・
2015 年 2 月 26 日 木曜日人間とはひょんな時にひょんな人と出会い、ひょんな展開をすることがあるものだ。本当に不思議だなぁとニヤニヤしているのだが・・・。
本日は早朝から文京区の映画製作企画会議に出席。不思議なご縁で「吉田さん、是非、出席をして下さい」と言われるがままであったが、約3時間の企画会議は熱気を帯びてきた。予算の話から、制作に至るまで、まあ、今年は何とも面白い展開を期待。あたためていた企画もいろいろな人々のアイデア、人脈、コーディネートが加わっていくと化学変化を起こすのだろう。いいよね~内容はまだ温めているところではあるが、企業(特にCSR)、行政も巻きこんでいくことで本当に化けるかもしれないね!
静か・・・
2015 年 2 月 24 日 火曜日植物といえば・・・椿の花というのは実に静かな花である。散りぎわの潔さは椿をこえるものはないのではないか?と思う。それはあまりにも物静かである。だから毎日が出会いであり、別れでもある。
紅椿ぼとりぽとりと声も無く
トキワ荘 紫雲荘 そして遺跡散歩は如何?
2015 年 2 月 24 日 火曜日淑徳大学サテライトキャンパスのセミナーについてお知らせです。
2015年「としまの“宝”発見セミナー」に参加してみませんか?
今回は 豊島区の【宝さがし】第一弾としての特別講座を企画しましたよ。
豊島区と言えば「トキワ荘」。特に、ディープな部分に迫ってみようかと思っています。赤塚不二夫先生がトキワ荘以外に仕事部屋としていた紫雲荘も訪ねる予定です。
そして、豊島区の隠れた遺跡を訪ねたいと思っています。4月は気候もよくて、ちょっとしたお花見プラスミステリーを感じられるのでは?と思っています。
是非!お申込みくださいね。
詳細と申し込みは下記へ
http://ext.shukutoku.ac.jp/course/detail/3321/
ひな祭りまで・・・
2015 年 2 月 23 日 月曜日雛飾りをして、ぼーっとしていると3月3日はあっという間に来てしまう。キッチンスタジオたよりには「ひなまつり特集」とも言うべきコラムを執筆。日本の今ある文化には脈々と日本の心が流れていることが分かる。それにしても、花やさんの軒先にはもう桃の花と菜の花が!植物はいろいろなことを思い出させてくれるなあ~
坂東三津五郎さん 逝去
2015 年 2 月 22 日 日曜日飛び込んできたニュースに驚く。歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんの訃報。21日にすい臓がんのため亡くなったということだ。享年59歳。12年に亡くなった幼馴染の勘三郎さんのことを思い出す。なんということだと思った。芝居はもとより舞踊は格別であった。聞くところによればお酒も煙草もたち、しっかりとリハビリをされて体調回復していたというのに。なんということかと。ただただ残念である。
おーい!逃げ月よ
2015 年 2 月 21 日 土曜日2月は逃げ月というけれど・・・どう頑張っても今年は28日までしかない。それに今月28日は土曜日ときたもんだ!!この日は朝からイベント。それにしてもいろいろな締切日が迫りくる。あああ!何もかもが気忙しい。31日ある月との3日間のこの違い。なんと!これほどにも3日間とは心に余裕ができるものか?カラダが震えるほどに気忙しい日々・・・だけれど冷静に過ごそうね~♪♪
脳が呻いている
2015 年 2 月 20 日 金曜日先般、戦争中に従軍看護婦をしていたHさんにインタビューをした。原稿を纏めながら、人は「その時代」を選んで生まれてくるわけではなく、様々な出来事に理不尽にぶつかっていくとは一体何なのだろう?と考えていた。いくら書いても書いても、やはりその苦しみ哀しみ辛さなどは単にノーテンキな私の言葉の上でのものでしかない。それでも脳みそが汗をかくぐらいに呻吟して呻吟してまた呻吟・・・まとめた。あれこれあれこれ途方もなく考えることも勿論必要なのだろうが、兎に角、愚直にそれぞれの方々の過ごし、生きた時代を書いて書いて、そして呻きながらも書いていくことなのだろう。