所謂、書類?というか・・・保存はしているが中身の事を忘れているものがなんと多いことか‼とため息の日々が続いている。実は一部屋がそういった類のもので「あかずの間」というブラックホール状態となっている。そんな中、その部屋の改造をすることで、整理をしなくてはならなくなった。
「わたし‼整理が好きでしようがないの!」という人ってかなり少ないのではないか?と思う。実に煩雑で大変です。ただ捨てればよいということではなく、まずは「分類」することから。歴史分類に近い。
実は「分類」が好きな自分ではあるが流石に長年、「あかずの間」の書類の分類はこんなにも大変だとは思わなかった。古い新聞紙の束、雑誌類・・・まずどんな記事をとっていたのかも不明。付箋をたどる気持ちも失せている。
そして厖大過ぎる名刺。ええーっ‼こんなにもいろんな人々と出会ったのかと思っても、名前を見てももうわからない人が多い。「ごめんなさい」と只管謝る。なんなんだ?人生とはと思ってしまうほどに知らないというか忘却した名前ばかりだ。しかし、仕事していた間は必死に連絡を取っていたのだろうと・・・そんんな中でまた見つけてしまう、懐かしい名前たち。だから整理整頓が進まなくなってしまうのだ。
数字類の並ぶもの、期限切れのもの。あまりにも秘密めいたもの(笑)はシュレッダにかけなくてはならない。「何時代の請求書?」と思うほど(笑)。昭和、平成、令和か・・・昭和時代にあの方は「明治生まれだ」「大正生まれだ」といっていた感覚に近いものがある。
懐かしい方々の校正原稿・・・やはり捨てられないのだ。すでに出版物となっていたってこの原稿の処分は無理です。だってその方の「声」が聞こえるからです。そんなこんなで時間は瞬く間に‼
可成り昔の若い頃に聞いた話。ある高齢になった女性が入院して、命の時間を知ったときの事。一度自宅に帰りたい‼と帰してください‼必死に懇願したことがあったそうだ。医者は厳しいということで自宅には帰れなかったと聞いた。その女性はなぜ自宅に必死になって帰りたかったのか?恋人との手紙を処分したかったらしい?とのことだった。
確かにね・・・「恋文」といえばとてもロマンチックな響きであるものの、命尽きる前にはきっと処分したかったのだろうと年をとってくるとわかる世界ってあるのだなと思った。若い時代には決して理解できない世界がある。
文学者の島村抱月の須磨子にあてた恋文なんか読んでしまうと・・・あぁぁぁと赤面だものな・・・研究者にとっては大発見でも、平凡な人間としては何も残さずに天に召されたいね。現代はメール?電子遺産もしっかり処分の方法を考えていたほうがよいのだなと思う。