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12月, 2021 | ichikoTV ichikoTV

2021 年 12 月 のアーカイブ

おおつごもり

2021 年 12 月 31 日 金曜日

おおつごもりとなった・・・

とりあえずというのもなんだが、お節料理もほぼ完成。

しかし、日本からイクラがなくなったのか?と思うほど「無い」!

もう諦めた(笑)

蒲鉾を切ってあとはお重に詰めるだけ。

ほっ・・・

本当に本当にいろいろあった2021年。

初めての事も多すぎた(笑)

年の締めくくりとしてもこの正月料理はたんたんと作る・・・これが私の流儀なのかも知れないな。

コロナ禍の〝死〟をみて

2021 年 12 月 29 日 水曜日

コロナウイルスの力をしみじみと感じた一年だった気がした。

叔母の死。同居する息子夫婦も分からないほど眠っているような最期であったという。享年91。昔「人生っていろいろ辛いこともあるけど、5歳で亡くした息子の死ほど辛いことはないと思う」と私に話してくれたことがある。まだ若い自分にとって。その辛さも悲しみさえも判らなかった。親友の妹の突然の死。親友の結婚式の時、まだあどけなく笑う中学生だった姿しか記憶にない。仕事でお世話になった方々の死。まだ、パソコンのメアドはそのまま・・・見つめるだけだ。

その死に対してもこれまでの世界とは変わっていたこのコロナ禍。なんということか!と思ってもそれを認める事しか出来なかった。知人も実の弟の死の報せをうけることが出来ず、怒り、悔いて、怒り、悔いて・・・それで納得していた。「こんなことってあるのか?いくら離れていてもだ。納骨しましたからはないだろう?」と私に言った。

葬儀日程も知らせずにという方が多かった。あとで亡くなったことを聞く事になるとは!あまりにも記憶が鮮明過ぎる方の死を知らされることは辛い感情を超えていた。皆か「コロナだから」とは言うものの、それまでの人間関係が、心の様子が見事に表出した年だったと思った。

地球の歴史から思えば、人間の一生のなんといあっと言う間の事か!その命ある時間の中で何を感じて何に気つくか?これが分かったとだけでも幸福だということだ。

表彰式の日・・・嬉しい出会い

2021 年 12 月 25 日 土曜日

12月25日は第19回「調べる学習コンクールの表彰式。最終審査員をしているのだが、毎年毎年、その子供たちの自由研究のレベルの高さに驚かされる。当日、審査員席にいたところにお母さんと娘さんが近づいてきた。3年ほど前に自由研究のためのワークショップを企画し、そのイベントに参加して下さった親子さんだった。娘さんは小学6年生になったという。その清々しい成長した姿に驚き、嬉しくなった。クリスマスにこんな嬉しいことが!と思った。ワサワサしているうち、恒例ではなくなるイベントも多いが、今年はないのかな?と心待ちにしていたと聞いた。「ああ!なんということ!」と嬉しい限りだつた、頑張ろう!自分も!淀んだ考え方などすっぱり今年で捨てよう!と(笑)

2000を超える応募の中から審査された一部の作品たち。この頗る優秀な「視点」に脱帽しつつ、今後も自分の力を惜しみなく使おうと思った日である。

たまごやき

2021 年 12 月 22 日 水曜日

夕方になると気温がぐっと低くなる。とくに乾燥しているのでその空気の冷たさも身にしみる。

背筋を伸ばして!お腹を引っ込めて!歩かないと!と思っても、どうも前屈みになって、猫背の醜い姿となってしまう!ああ・・・

そんな夜、私の前を自転車が疾走する。

「今夜、何にしようかぁ?」と母親が後方に座る子どもに話しかける。すかさず母親は「たまごやきにしようか!たまごやき作ろう!」と言うと「わーい!たまごやきぃ!と子どもがはしゃぐ。

冷たい空気は何故かこんな和やかな声がクリアに聞こえる。保育園帰りの子どもとの一時の会話が冷たい空気を一瞬忘れさせてくれる。一日の仕事を終えて、帰路に・・そんな親子の会話が温かい冬の一こま。

2021年12月22日。今夜は「冬至」。柚子湯にはいり、いろんなこと考えたり思い出したり・・・いいかもね!

北朝鮮拉致問題

2021 年 12 月 18 日 土曜日

まだ終わっていない!

北朝鮮の拉致被害者、田口八重子さんの兄で拉致被害者家族会の前代表、飯塚繁雄さんが亡くなったニュースを見た。享年83。

平成19年11月に家族会の初代代表で、横田めぐみさんの父、滋さんに代わり、代表に就いた。妹の八重子さんとは17歳離れていた。代表の職をめぐみさんの弟の拓也さんに託した。

八重子さんは当時22歳。長男の耕一郎さんは1歳だったか。飯塚さんは息子としてずっと育てた。しっかり息子としてアルバムも作り、自分の子どもとして育てたのだ。奥様の強い協力もあった。

しかし、妹の失踪・・・だと思っていたことが北朝鮮の拉致だと分かったのは、あの大韓航空機爆破事件で、工作員の金賢姫からの証言だった。その時、飯塚さんがどんなに衝撃だったかと思う。

何度も読み返したが、元産経新聞社会部の阿部雅美さんが執筆した「メディアは死んでいた」では北朝鮮拉致報道の検証をしている。どんなに取材しても、他のメディアは一行も一分も報道をしなかったのだ。そのまま暗い〝闇〟の中に葬られてしまったのだ。

下記は飯塚繁雄さんが息子として育てた耕一郎さんの言葉である。無念と怒りが伝わってくる。

「父および前家族会代表の飯塚繁雄は、去る12月18日午前2時ごろ、(埼玉県)上尾市内の病院にて死去しました。享年83歳でした。本来でしたら、生前お世話になりました皆さまに丁重にご連絡すべきところ、このような形でのお知らせとなり誠に申し訳ございません。深くおわび申し上げます。別途、改めて記者会見や皆さまへのご挨拶の機会としてお別れの会などを設ける予定です。

葬儀については家族葬を予定しており、父をしめやかに送りたいと考えております。その点、ご了承頂きたく存じます。生前、父が本当に全国の多くの方々にお世話になり大変感謝しております。

改めて息子である私からも御礼申し上げます。ただ、田口八重子さんとの再会がかなわなかったことが無念であり、非情な結果となってしまった形です。2002年に父、飯塚繁雄が妹を救う活動を公の場で開始して以降の長い年月が過ぎてしまいました。もう少しなにかできなかったものかと悔悟し、今後、私個人として、この悲しみ、怒りをどうすべきかとも考えております。」

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長 飯塚耕一郎

写真のコピー

2021 年 12 月 17 日 金曜日

丁度、叔母が亡くなって1か月ほど経つ。息子夫婦たちと一緒に暮らし、その自宅のベッドで夜明けか・・・それこそ静かに静かに息を引き取ったと叔母。老衰とか。享年91だった。人生100年とは言われる中それは静かに眠るようだったといとこが言った。病室でもなく、家族とともに自宅で・・・コロナ禍であり、病室であっても見舞いも厳禁の今は何か心がガサガサする。今はそんな時だ。良かった、叔母は幸せだと思った。

ひとまわり下のおばから、昔々の写真のコピーが送られてきた。若くして亡くなったいとこの写真もあった。彼女は本が好きで、夏休みには本ばかり読んいた。ピアノもうまく、自分で作曲もしていて、よく私に聞かせてくれた。宝塚にも最初に連れて行ってくれた。ある時、アマチュアバンドの演奏に親に内緒で連れて行ってくれた。その後、私が友達と内緒で演奏をききに行き、それを話した時、「だめじゃないの!」と叱られた。想い出が甦った。懐かしさで胸がいっぱいになった。

若い若い叔母の写真。祖父の育った家の前での写真だ。「人生ってね。いろいろ辛いこともあるけど・・・5歳で亡くなった時ほど辛いことはないと思うのよ」と長男を亡くした話を私に言った叔母の表情が忘れられない。

写真はいろんなことを思い出させてくれる。

愚痴ってね・・・

2021 年 12 月 16 日 木曜日

2021年も師走。また朝夕寒くなって・・・そりゃあ愚痴もでるだろうけれど・・・どうも愚痴ってきいても楽しくないし、何も生まれないということが分かる。でも、ある程度トシをとってもまた泉の如くに愚痴が出てくるものだと聞いている。どこで切ればいいのか?分からなくなっている、攻撃的になる方が多い。そのパワーで何か社会に役立てる事が出来ないものかと思う。だいたい、「恵まれた人が社会貢献なんかできるのよ」とか言うがも違うだろう。今の世の中、本当に幸せな生活ではないか?と思える。敵か味方か?なんか考えずに、命までとられることもないだろう?と。この師走に愚痴はいっぱい吐いてください!それで吐き終わって、新しい年を迎えましょう。

2021年末ミステリー

2021 年 12 月 13 日 月曜日

今年は大掃除というより小掃除を何度か繰り返している。気が付いた時にごしごし、さっさと・・・ふと、スマホケースの中を整理していたら小さな紙片が出てきた、それに謎の数字が並んでいる。三桁が3つ、二桁が2つ。

「なんだろう?」と暫く考えていたが・・・全く分からない。さあ!捨てようかと思いながら、何とか思い出せないものかとまた必死になった。まるで数式の何かを解くような気持ち・・・ん・・・なんも法則も見つからない。

何なんだ?

そして・・・

2021年の師走。

年末ミステリーとして着地!

日本人に多い特定免疫タイプとは?

2021 年 12 月 9 日 木曜日

全く真実というものが分からない。ただ、武漢のコロナウイルス初症例から2年という月日が経ったことは事実である。しかし中国の習政権はその「起源説」の幕引きを図り始めている。オミクロン・・・そして多分、今後もギリシャ文字が不足するのでは?と心配するほど。

ただ、当初からどうも日本人の感染が他の国とは違う、これは何だろう?と思っていた。密かに思っていたのだが・・・つまり周囲の人々でそれを感じた人はいなかった。日々発表される感染者数に拘っていた。しかたないなと思っていた。

しかし、日本人の新型コロナウイルス患者が例えば欧米人とは確実に少ない。謎の「ファクターX」について理化学研究所の発表<2021年12月8日>に「やはり」と思ったかなり専門用語でかためられているが、要は日本人に多い<約6割>特定の免疫のタイプということだ。感染した細胞を免疫細胞の一つであるキラーT細胞が破壊する仕組みも判明したという。あらたに脅威は続くが、オミクロンに対しても有効なワクチン開発につながるようである。

しかし・・・また疑問。なんで、日本人はその免疫を獲得したのだろうか?

昭和・平成・令和へ「生活史」

2021 年 12 月 8 日 水曜日

年末年始もやはりコロナウイルスの怖さもあってか、リベンジ消費とやらが活性化しているらしい。リベンジ消費?ちょっと笑ってしまうが・・・例えば、高級お節料理が売れていると聞いた。5万円くらい?と思ったらなんと20万~30万円のお節料理とか。そもそものお節料理の原点から年々乖離していくことを実感している。手作り派としては、たまには、その高級お節料理を注文するのもいいかな?と思ってしまうが。ただ・・・自分で料理出来る限りはしてみようか?というちょいと頑固な気質(笑)。また、高級ホテルでの宿泊プランも大売れらしい。旅行などに使うお金が「おうち生活文化」にいろいろ流れていくのだろう。まあ、そういった人々の生活の歴史として遺しておくことも実に興味深い。地球の誕生から比べてみれば<比較するか?(笑)>ちっぽけな年数しか生きていない自分だが、バブル時代も崩壊時代も知っている。「言ってもわからないっすよ」とポンと言う平成生まれの若者たち。いろいろ分析すれば・・・随分と面白い生活史が書けるほどだ。そろそろ纏めておこうかな?そんな時期かなと思う。