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4月, 2018 | ichikoTV ichikoTV

2018 年 4 月 のアーカイブ

よみがえったハサミたち

2018 年 4 月 30 日 月曜日

ハサミとペーパーナイフが修理を終えて手元に戻ってきた。とんでもないほど昔のものだ。確か、父親が使っていた時は深い緑色の革のケースにしまっていた?記憶の片隅で、思い出が動き出した。

見事な切れ味に感動した。きめ細かな、プロの「技」のなせるものなのだろう。何もせず放置して、しようもなければ捨てるしかないと思っていたハサミとペーパーナイフ。

感謝!

 

平壌時間 韓国と統一

2018 年 4 月 30 日 月曜日

北朝鮮は2018年4月30日の最高人民会議で「平壌時間を改めることについて」という決定を通じて、「平壌時間を東経135度を基準子午線とする9経帯時に直す」と明らかにした。つまり、北朝鮮が標準時をこの日から韓国と統一される。

よみがえる ハサミとペーパーナイフ

2018 年 4 月 28 日 土曜日

断捨離!断捨離!とはいうものの、生活の中で見まわしてみると「捨てられないもの」があることに気付く。勿論、「モノ」は捨ててしまえばそれで焼却、そして忘却ということになるものだが・・・

気が付くと使わなくても傍にあるものが「ある」。今は亡き父親がいつも使っていたクラフト鋏とベーパーナイフ。ペン立てにいれてはあるが、切れ味の悪いハサミとナイフ。実はどうにもならない。視界に入る度、自分が小学校低学年の時に見た光景が頭の中を占める。いわば父のお気に入りのモノ。父にとってそれらは身近なモノだった。書簡の封はササッと、そしてハサミも滑らかに、そしてすべるようにキラキラと輝いていた、そんなイメージが占める。

「どうしたものか・・・」と時折、考えていた。「よし!」と心でパチンという決定打が。

そうしたものを研いでくれるところ?「ねぇ、すごく古いハサミとペーパーナイフを研いでくれる人って?」と聞いても多分分からないことも多いだろう。探しぬいた。あれこれ条件を絞り込む。だからこそ、そんな点でネットの素晴らしさを感じる。

昨日、宮城県にある店のご主人から修理が終わったというメールをもらった。「クラフト鋏は大きな刃欠けがありました」という文言を見て、専門家が見れば「大きな刃欠け?そんなものがあったのか!」とそのメッセージに感心してしまった。

急いでいるわけではなかった。確かに時間はかかったものの、キメ細かな専門家の手による修理が終わり、もうすぐ自分の手元に届く。何かときめく。

あの「日常」でありながらも、幼い自分の目に映っていた憧憬ともいえる暮らしのひとこまがよみがえる気がしてきた。いずれは捨てられてしまうものかも知れないが、「捨てないで良かった」と、心の中でほっ・・・という音、息遣いが聞こえたようだった。

境界線

2018 年 4 月 27 日 金曜日

韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の10年半ぶりとなる「南北首脳会談」。3回目となるものの、どう見るか?である。互いに境界線を超え合う一幕も。そしていよいよ6月に予定される史上初の「米朝首脳会談」にどうつながるか?である。

 

セミナーに参加

2018 年 4 月 26 日 木曜日

昼からのセミナーに参加する。

講師はジャーナリスト・拓殖大学海外事情研究所教授の富坂聡さん。演題「習近平の中国はどこへ向かうのか」。

感情に訴えるような「反日的」というレッテルをはらず客観的に

そして複眼で見ることが大切であるということ。

しかたがないね~

2018 年 4 月 24 日 火曜日

まあ「あること」とでもいっておこうか。その「あること」にこの約3か月ほど振り回された・・・という表現が大仰であれば、時間をとってしまった。先方に「プロであればプロの仕事を」と言ってしまう。

当たり前のようであるが、どうも「プロの仕事」という言い方は考え方によっては曖昧であるのかも知れない。人間だから、間違い、見落とすこともありますと言われれば、「そう」なのかも知れないが。

最近は、「さらりとながしていかないと進まない」ということもある。あるというか、多い。まあ、今回も落としどころのない曖昧さに向き合って。とりあえず。自分の考える「プロの仕事感」を話してふってみるしかない。

最後はちょっと笑っみるか?ハハハ!って。

大衆

2018 年 4 月 23 日 月曜日

どうも、最近の、特に財務省官僚に関する報道姿勢というか、辟易してきた。なんとかハラスメントの話に集中砲火。どうもおかしいと思い始めているが・・・誰でも就職して一生懸命に仕事はしてきたのだと思うが、その仕事の最後がなんとかハラスメントではやきれないな、と思い、敢えて、退職金の額が表示されそれを周囲がワアワア騒ぎだすというのもどうしたものかと、ため息さえでる。

社会は人が生きている限り、どうも「変わったもの」には敏感になってしまう。もう少し、表面に現れたものの奥に潜んでいた「こと」に気付いてみだらどうか?自分も果たしてそんな動きをするのか?って。

まあ勝手なのも人間だから・・・

でも再度熟慮しようよ。余りにも想像力の欠如が、今なさけない。

 

ツツジ

2018 年 4 月 22 日 日曜日

昔、大人たちが騒いていても子ども時代は、それほど感動しなかった。

しかし、今では「実に綺麗!」と思う季節になった。

「躑躅」という漢字を確か、教科書で見た時に不思議な感動に包まれたことがあった。あの時は「何なの?これ」って感覚であった。

昔、中国で毒性のあるツツジを羊があやまって食べ、もがいて蹲まってしまったところから「躑躅」になったようですが・・・クイズに出題されそうですな。

記事を書くとき、たとえ「躑躅」であっても「ツツジ」と表記する時もあった。「やはり躑躅がいい」とあたまの中は駆け巡ってもだ。

山手線のホームからその美しい躑躅が見える駅がある。電車に乗ると、窓には切り取られた躑躅はまるで絵画のようだ。

もうすぐ初々しい夏も到来だ。

火を見たことがない子どもって?

2018 年 4 月 14 日 土曜日

最近の小学生で、「火」を見たことがない子どもがいるというテレビ番組を見て驚いた。一瞬「うそでしょ?」と思ったが、例えば、オール電化のマンションや一般住宅での設備がそうであれば多分「火」は見ないかも知れないなと・・・。

理科の実験をどうするか?など論議していたが、アルコールランプ?など使わないと理科の実験にならないでしょ?。

家庭の中から「火」が消えたのか・・・

ガスの不完全燃焼の火の色

仏壇のろうそくの揺らめき

マッチの火の色とあの硫黄のにおい

「それ、なんすかぁ?」などと、「火」を全く知らない世代が出てくるのだろうなって思った。

そうそう、古い話だけれど、キャンプで飯盒炊飯なんてしないんだろうなぁ。あの火加減の難しいことといったらない。

七輪で焼く魚の旨さ

火鉢の灰の中のあの秘めたような熱い正体!

生活の基本というのかなぁ

抗菌されたモノ、清浄された空気、適度な湿度

そんな空間で快適な生活をしていくのかな?

あああ!原始人に近い私は何か、すえおそろしい気がした。

人生って山登りに似ている

2018 年 4 月 13 日 金曜日

小学校高学年からか、人生は航海だ!羅針盤もって進もう!なんて思っていたことがある。多分?青春時代はずっと羅針盤もって!なんて言っていた気がする。

最近になって思うのは、人生ってどちらかというと山登りに似ている。遠くから見る山の稜線の美しいことといったら!しかし、山っていざ登り始めると「楽ちん」なんてことがない。勿論、航海であっても楽なことはないのだろうが・・・

地に足付けて本当に自分の足で、意識もって踏みしめて進まないと前へは行かない。稜線の美しさばかり考えてしまうこともある。

イメージは大切だ。そしてついてくる力にあわせて進むしかないのだ。

人生ってやはり山登りだね。頂上を極めれば、その感動は登ったものにしか感じられない・・・そこも山登りに似ているのかもしれない・・と想像する。