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‘ch12.その他’ カテゴリーのアーカイブ

混沌

2021 年 4 月 18 日 日曜日

コロナウイルスが変異してまた変異しているらしい。大阪の感染状況が凄すぎる。東京も増大している。「自粛につかれた」と言いながら、自分は感染しないと思って?外出してしまう人の多いことよ。昨年、感染したある方が生き方を見直して出身地である大阪にうつったことを思い出した。心配でもある。

コロナという見えない敵に対しての恐怖・・・至って元気だったという方が急逝したという話を聞いた。教えてくれた人は、ただただ不思議で唖然としたという。

マスク、消毒、手洗いとルーティン。ワクチンしかない!のだがいつになるのか全く不明。オリンピックに対しても・・・

こんなに混沌とした日々は!

火星

2021 年 2 月 20 日 土曜日

 生まれて生きている間に、すざまじぃ社会の変化を見てきたような気がする。米航空宇宙局(NASA)ず2月19日に火星着陸を遂げた探査車「パーサビアランス」から新たに送られてきた画像を公開したが、なんか不思議な感覚になる。NASAが記者会見で最初に共有した画像は、大気圏突入から降下、着陸に至るフェーズでパーサビアランスが火星地表に接近する様子を捉え、以前のミッションでは不可能だったことを可能にした。

昔々、母親が小さな私に「これが火星人とかふざけて?描いた絵があった。本当だと思った。ただトマトを常食にしていると言った時に?で「こりゃ違うな」と思ったことを思い出した。

地球以外の生命体を私は信じている。
夢見ていたんだろう?と言われるが、一回だけ、千葉県でUFOらしき物体をしっかりと見ている。昼間の出来事だった。とてもとても不可思議な動きにくぎ付けになっていた。

いつの日か・・・きっと・・・

ハマコー 

2020 年 10 月 23 日 金曜日

寝ている時に見る夢は本当に不思議である。予想だにしない人々がとんでもないことをしてくる。何故、夢に出て来たのかも分からない。

 

昨日の明け方。亡き浜田幸一さんが「おい、新刊がでたんだよっ」と結構なボリュームあげて図書館内を歩いていく。私は必死に「ここ図書館なんで、ちょっと」と注意しているがどこ吹く風で歩き回っている。ああ、困ったものだと思っている・・・そんな夢。

昔々、新聞社勤務時代に某大学でサマーカレッジ企画で講師にきていだたいたことがある。何故?浜田さんを講師に選んだのかも今は忘れている。

木更津出身の浜田幸一さんは「おふくろの作る鉄砲巻が一番好きだ」と言っていた。いわゆるかんぴょう巻だ。〝鉄砲〟という言葉が今も頭の奥に残っている。多分、会場の参加者に対して無邪気に鉄砲を撃つマネでもしたのだろうと思う。打ち合わせから始まって、当日のあの豪快な感じが今も記憶に残っている。だからと言って、なんで?今ごろ?夢に?と思うが・・・

夢は不思議!

寒い・・・ああ!ぼーっとしていたいよ

2020 年 10 月 10 日 土曜日

いきなりの寒さ・・・そして台風に大雨。10月10日というと秋晴れ!のイメージが強すぎるため、どうも別の星にでもいる感覚である。ああ!ぬくぬくとぼーっとしていたい!

晴天を予定していれば、「旅にでも行きたいっすね」と言う気分だが、朝からなんやかんやと予定が入っている。しかし朝一からの取材が相手が「体調不良で・・・」ということで突然の延期。「リスケお願いします」とはいうものの、ちょっとちょっと、締め切りが迫っている。心かワサワサする。形容しがたいワサワサ感。

そうだよね、この寒さでは体調は崩すだろうとは思うが、どうもいろいろな感情が交錯する。

昔話ばかり言っていてもと言われそうだが、昔は多少の熱でも体調不調でもこなさなければならないシーンばかりであった。いわば鬼!地獄の時間だ。なんだったのか?とあの昭和時代って何だったの?と今更ながら思う。当時、社長は冗談が占めていると思うが「血反吐はくほどやれ」と言っていたな。今だったら、訴えられるよ。

しかし令和はね、平和に安全に行こう。コロナウイルスの脅威は収まっていないし、やはり人はベストコンディションでなければよいものが生み出せないしね?

 

昼から夕方まで理事会が続く。決めないといけないことが山盛りだ。私にとって秋晴れの気持ちいいイメージの10月10日、心わさわさわさわさ終わってしまった!

MESSAGE

2020 年 10 月 8 日 木曜日

日々、忙殺されているとつい気が付かない事が多いのだが、ふっとあ「場面」になると「おやおや」という状態になる。このコロナウイルスの出現でそれらが如実に露呈していていろいろ気づかなかったMESSAGEを与えてくれる。

対話ができにくい今、「リモート」が当たり前になってきているが、例えば、大学の授業で過去の歴史や文化について調べたり聞いたりすることがあるとき、若い講師であれば「リモート」はごくごく当たり前であるが、高齢の方々にとってははっきり言ってリモートと言われても身近なことではない。

打ち合わせに生身の人間が現れない?!ということに大いなる違和感を感じられるのである。その違和感が不安に拍車をかける。それをこれまでの経験をフル稼働してコーディネートしていかなくてはならない。それが社会生活の中でじわじわとパソコンだ携帯電話だが入ってきた世代の人々かも知れない。

 

自分の事を思い出すと・・・

携帯電話など高嶺の花もいいところだった。一般会社員には「内線」というものがあった。代表電話にかかると電話交換手が内線番号に繋いでくれる。その個人へスポットでなんど役職についていた人だ。会社の重役たちは専用の車に自動車電話があり、それで会話をしていた。

パソコンもいずれは一人に一台か?など言われていた時代もあった。今では誰もが手にしているスマートフォンという世界でなんでもかんでも可能である。

そして、キャッシュレスに伴って現れた印鑑不要論。行方についてもいろいろな気持ちが交錯する。初めて「実印」というものを作って、印鑑証明までの道のり。その実印の保管など緊張は未だにある。それほど実印で事業を失敗してしまった人々もみているからか。

私の友人の翻訳者は携帯を持っていない。「家での仕事がほとんどだから必要ない」と彼女は言う。家の固定電話で、そしてパソコンメールでことはたりてしまうからだと。

たまたまだ!携帯もパソコンも、また人によって必要なのでファックスも保持しているだけだ。あまり好きではないリモートであってもその場にいけないセミナーなどのオンラインはどんなにか助かっているか!

しかし、そんな中で、このところ直筆の手紙に感動している。昔では当たり前だったと思うが、その人の文字や文章の流れに見える個性に感動するばかりである。

 

夢は・・・テレパシーか?(笑)

でも既にあるものだとは思っているけれど。

 

時間

2020 年 10 月 7 日 水曜日

ある方がご主人の持病で病院に行ったところ、夫婦でPCR検査をして、結果、コロナの陽性反応が出たという。即刻、ご主人は入院で奥様は某ホテルへ行くこととなった。奥様のほうは至って元気。ただただ驚愕。いわゆる無症状での二週間のホテル生活が始まったという。他人への感染防止はもっともであるが、元気そのもののいきなりの二週間生活はやはりきつい。陰性の結果が出て、漸く退院した。人生観が変わったかな?・・・ようだと。順調だった仕事もある部分は整理し、人に任せたという。「いいところ、あと10年は楽しまなくっちゃ駄目よ」という言葉が響いた。

10年と軽く言うが、考えて見ると3650日か・・・と。これまでそれほど意識していなかったが、彼女のこの言葉の重みがずっしりと日々感じる。

「人生100年時代をどう生きるか?」という言葉のマジックに踊らされている気持ちにもなった。100年など、いろいろ考えれば難解そのもの」という現実にぶち当たる。「今30歳の人が85歳まで20075日」と、まあ、計算すればすぐわかる数字でも、何とも言えない気持ちになった。1年365日。「分かっているけどねぇ」と言っていろいろ先延ばししている人を前に「それはやっぱり考えたほうがいいかもよ」と言った。その数字が頭にこびりついていたからだ。しかし、よくよく考えれば、その人それぞれの「時間」というのもあるから他人がとやかく言うこともなかろう・・・そう思い、この日はひとまず「思考停止」とした。時間はみな、同じように与えられているけれど、使い方は本当に強制はできないものだね。

さて・・・

2020 年 9 月 11 日 金曜日

敢えて大きな声では言いませんが・・・100年に一度の新型コロナウイルスショックは、「なければ見る事の出来なかった」人の一面というか多分分からなかった一面をみせてくれます。裏というとあまりいい感じではありませんが、意外や気づかなかった部分だと思います。

新聞社を退職して暫くは所謂「異業種交流会」というのが流行っていたのか、兎に角「名刺100枚はお持ちください」と言われ、こんなにも名刺を配りまくらないとならないのか?と思っていました。今、あのようなイベントは全くないですね?あるのかな?ものすごい量の名刺をいつもも持っていき、パーティー巡りしていましたが・・・そこで知り合った人々はもう一人も記憶にないし、あったとしても名前も出てこない。一体、何だったのだろう?と思います。愛のひとかけらでもあれば多分心の底で思い出すのだと思いますが。

 

・・・というのを思い出したのは、昨夜、仕事関係者が「吉田さん、●●さんってどういう方でしょうか?」と聞いてきたのでざっくり回答。本当にうわべだけの回答。そして「なぜ?」と理由を聞いたところ、私の大っ嫌いなFBで何百人もの人脈をお持ちなのでと言う。ははーん!です。要はあの時代の交流会での名刺の数と似ているなあと思いました。メルマガもバンバン届くし、パーティーの誘いもバンバンくる。バブル時代の残り香のようでした。

 

人間関係ってこの100年に一度と言われるコロナショックでだいぶ見えてきたように感じます。それに例えば・・・時を騒がせた政治家の名前も政策も忘却しそうなことがある。

もくもくと・・・

刻々と変化する時代を冷静に生きなくては。

戦後

2020 年 8 月 15 日 土曜日

戦後75年という。

毎年毎年くる敗戦の日。

NPO法人「としまの記憶」をつなぐ会を発足して8年になる。今になって考えてみるとただただ慌ただしく・・・しかし意味深い活動をしてきたと思う。

ある夏、戦争体験を語れる語りべの方が「吉田さん、戦争を語れるのは我々の世代が最後だと思うよ。そのあとは体験談を聞いた人間が語り継ぐ時代になる」と言った。

頭では分かってはいるもののまだまだ語っていただける方はいると思っていたのだが・・・

あの言葉は本当に真実だった。

病に倒れ、そのまま入院生活へ。

施設に入られる方。

記憶が全くなくなってしまった方々。

辛いのはそう・・・亡くなってしまったという現実。

思い出すことは多い。

「空襲の中、両手にわが子の手を握りしめ、ひたすら逃げ回った。どこへ逃げ回ったのか記憶はないのよ」と言っておられたご婦人。ある日、たまたま私はバスの窓の向こうにそのご婦人がお店(氷室)の前に立っていた姿を見た。「ああ!」と。そして先般、亡くなられたことを聞いた。お元気なころに「みんなでおしゃべりをしたいわ」と言った言葉が忘れられない。

 

 

そして従軍看護婦をされのいた方のお話。「あの日はね・・・兵隊さんに残った少しばかりのお米でおかゆさんを作ったのよ。そして一匙一匙口に運んで・・・。でも力尽きて一言・・・おかあさんと言ってね。そのあとは亡骸を森に運んだ・・・」と涙を滲ませていた壮絶な体験談。兵隊さんの魂は火の粉とともに夜空へとんでいったのか?未だにその言葉が離れず私は涙がとまらないのだ。

 

この活動を始めてから、ある年から、「動画」に収めた。数年が経過している今。デジタルの凄みを感じ入れる時が来たと思っている。いろいろな体験談がデジタルという力で再現。それはただ見るということだけでなく感じ取って、そして「記憶」は繋げていってほしいと思う。

「としまの記憶」アーカイブ

http://movie.toshima-kioku.jp/

 

昭和20年8月9日 午前11時2分

2020 年 8 月 9 日 日曜日

昭和20年8月9日、午前11時2分。

原爆搭載機ボックス・カー号は、高度9,600メートルの上空から第二号の原子爆弾を長崎に投下した。

毎年、暑い8月がやってくる。

昔、被爆者の方々に取材したことがあり、その言葉の重みは毎年毎年、経年するごとに重く深く突き刺さる。決して忘れてはいけない。

 

昭和20年8月6日 午前8時15分

2020 年 8 月 6 日 木曜日

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。今から75年前のこと。第二次世界大戦末期、アメリカ軍が日本の広島市に対して世界で初めて原子爆弾「リトルボーイ」を実戦使用した。人類史上初の都市に対する核攻撃であるという事実について、誰もれもが心の中に刻み込まなければいけない。