何とも殺伐とした世界、社会。一生懸命に汗まみれになって生きているよ!
満月が今年最も大きく見えるスーパームーンと1か月に2度目の満月である「ブルームーン」が重なるスーパーブルームーンが8月31日に観測されるらしい。スーパーブルームーンは2010年1月以来、13年ぶりだと!
何とも殺伐とした世界、社会。一生懸命に汗まみれになって生きているよ!
満月が今年最も大きく見えるスーパームーンと1か月に2度目の満月である「ブルームーン」が重なるスーパーブルームーンが8月31日に観測されるらしい。スーパーブルームーンは2010年1月以来、13年ぶりだと!
作家の森村誠一さんが7月24日に肺炎のはため亡くなった。享年90。
「人間の証明」「野生の証明」などの証明ものはあまりにも有名だ。とくに 西条八十の詩「帽子」から引用した「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」のフレーズで有名になった「人間の証明」(1976年)は今も耳に残る。
ノンフィクションの「悪魔の飽食」は当時、かなりのショックを受けた作品である。あの「731部隊」についていろいろ調べ始めたのもこの作品がきっかけだった。かなり後になってからの話だが、洋書を取り扱う父親が731部隊に本をおさめていたという男性を取材した事があった。あの時はちょっとした興奮をおぼえたものだ。
大学を卒業して、10年ほどホテルマン生活をしていた時、勤務先のホテルを定宿にしていた作家の梶山季之さんに刺激を受け、仕事の傍ら1965年、ビジネス書「サラリーマン悪徳セミナー」で執筆活動を始め、1969年にホテル内の密室殺人を描いた「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞して注目を浴びた森村さん。
実に超売れっ子作家だった。本格派のトリックと社会派の素材が見事にミックスした作品を次から次へと生み出していく。その姿は「忙しいから~」をエクスキューズにしているたいがいの人々がふっと立ち止まって考えてみるとよいのか?と勿論、己をも反省しつつ考える。もっと!である。
しかしね、90年間・・・
長いようでもやはり人生って短い気がする。
森村さん、安らかに。
打ち合わせだ取材だと、いろいろな街に行くことがある。そのたびに昔の風景が随分と変わっているとなんか「あれ・・・」と思う。しようがないな・・・と思うが・・・マンション建設ラッシュというのだろうか?みるみるうちに街の風景は変化していっている。そう、止められないほど。
先般、ふっと、昔々、親戚たちで鎌倉の「山椒洞」という料亭に集まった事を思い出した。久しぶりに会う親戚たち。素晴らしい眺めだった。楽しい会話と食事を味わって最後は記念撮影もしたかな?と思いだした。鎌倉には紫陽花を見に行ったり、路地裏散策に行ったりと楽しい場所なのだが・・・・あの「山椒洞」は既に、あるタレントさんの自宅になっていると知って・・・驚いた。ああ・・・そうなのか、時が経ったものね・・・という気持ち。しかたない事がこの世にはたくさんある。そう、しかたない事はしかたないだけ。昔、叔母に連れて行ってもらった銀幕女優さんが経営していた珈琲店も・・・もうないかもしれないな・・・とまさに浦島太郎気分。記憶に引きずられれば、それは見事に蘇る。
日々の身近な街でさえ、見事な変貌ぶり!もうあっぱれ!というほかないほどの変貌ぶりである。
時々、余り意識していない時、勝手に脳が卑弥呼の事を考えていることがある・・・・
古代史最大の謎の邪馬台国。この候補地とされる吉野ケ里遺跡で6月5日に石棺墓の蓋石の取り外し作業が行われた。かなりの有力者を葬ったと考えられるところだ。且つ、なんと蓋石の裏側に、×印が見つかったとか。葬られた人の魂を封じ込める意味があるいう。また赤色顔料の一部も確認されている。辰砂か?埋葬時、石棺の蓋石の裏側が赤く塗られていた可能性が高いらしい。同遺跡は国内最大規模の環濠集落である。平成元年には祭殿跡や物見櫓の跡など魏志倭人伝の記述と合致する発見が相次いだ。
卑弥呼の君臨した邪馬台国九州説!いよいよか。また、せっかちに想いをはせてしまう。
私の名前はけっこう個性的である。わりと親しくなると名前で呼ばれるようになることが多い。イベントなどしていると担当者の名前で掲載する事があるが、こうした企画では時々、ドラマチックな事が起る。今回のイベントでも参加者からの問い合わせがあり、意外と細かく説明した。すると・・・また、その方から電話があって「いち子さんですよね?」と数回、確認された。さすがに驚いていたが、「はい、そうです」と答えると、先方は明るく「わあ」と言った。こんな事を書いていると危ない!イメージが強くなってくるのだが・・・
要は、大学の同窓で、且つ、ちょっと部活でかかわったことがあったようだ。ふっと、不思議な懐かしさがこみ上げてきた。自分が21歳くらいの時に彼女は大学1年生で入学してきたのだろう。
ちょっと電話が長くなってしまったが、何十年か?、今度、企画したイベントで会う事になったわけだ。ビックリするほど長い時間を私たちは過ごしてきた。いろんな土地にも住んだようだ。だが、今回のたまたま自分が企画したイベントのチラシに書かれた私の名前と携帯電話番号。現代は「なんて危険な!」といわれまくるだろうが、人生の数年の話を語り合いたい・・・そんな衝動で一杯になった。本当にドラマチックな再会というものがあるんだね。
今年の2月に外科手術をして退院した友人の回復をお祝いした。「一か月!」と彼が言う。入院期間中は纏めていた広重の資料を眺めている日々だったという。しかし、「痛みは酷かった」と少し顔を歪めた。リニューアルしたレストランでランチタイム。ちょいっとビールはよくあるが、いろいろ話しているうちに赤ワインを1本あけてしまった!
人は口ではかんたんに言うが、「人生」という時間の蓄積。記憶はいろいろあってもそれは朧気で、「そうそう、あの人、こうだったけど今はどうしているのかな?」などと思えば何の確認もないまま、実に無責任な事をいってしまうものだ。
直近の話と昔話の綯交ぜといったところか?そしてとにかく元気に動けること!これしかないというこたえに再び辿り着くのだ。いつもなら「もう一本いくか」ではあるが、本日はほんのり酔いながら、快気祝いは終わった。
長年、ハガキで近況報告を送って下さる方がいる。ハガキが到着する度に「今回はどんな話かな?」とワクワクするものだ。この几帳面さというか律義さにも感動する。なかなかできる事ではない。
今月届いたのが「なんか妖怪」と妖怪の話。
「都会には、いそがしと言う妖怪が住んでいると以前、アニメ・ゲゲケの鬼太郎で学んだことがあります。忙しく動き回る事で安心感を得、暇になると悪いことをしたような気分になるという妖怪で日本では18世紀から登場します」とあった。
思わず笑ってしまった。本当に私はこの妖怪に苦しめられる事が多い。とにかくこの妖怪たちは「忙しい」「大忙しです」の連続であるからだ。仕事を頼むときは本当に忙しい人に頼めとよく言われる。これは正解である。本当に忙しい人は決して「忙しい」とは口にださないからである。
妖怪たちは実に・・・何もしないことが多い。暇は悪?とも思っていないのだと思っている。令和5年!妖怪たち!退散!と心の底から思っている。
意外と知られていないことなのだが、フジフイルムの発祥地が雑司ヶ谷だったということ。何故か?というとその土地の水質が抜群に良かったということ。
本当にこの事にふれたのはひょんなことだった。そのインタビューの時にはそれほど気にもしていなかったことが今思い出すと、「何という一瞬の出合‼」と改めて自分の内で感動した。ある意味、時間は経過したが結局、自分の内で静かに醸造されていた・・・そんな感覚である。
そして今、それこそ高層複合ビル建設にあたっての工事中でその遺構が発見され、2月に見学することになったのだが・・・ふっと眠れなくなるほど興奮している自分がいる。遠足前の子供とか単純なものでなく(笑)なんというか、子ども時代に戻ってみると、夏休みにだいたいシオカラトンボしかとれなかったのに、鎌倉の山の中でオニヤンマをつかまえた時のあの信じられないほどの興奮というか、あまり例としては一般的ではないが、細胞のひとつひとつがゾクゾクザワザワしている感覚である。
その遺構の画像を前もって研究者に見せていだたいて、その興奮はまた高まっていった。今年は関東大震災から100年経った年である。土の中からは関東大震災で破壊された乾板の破片や薬品の瓶などが発見されている。
何とも!無言でいても自分の細胞たちがざわめいている(笑)
高層ビルが建設され、お洒落なレストランなど出来て、デートコースななって相も変わらず皆がおんなじ感想を口にするのだろうなと思う。土地の記憶は誰かがしつこいほどに覚えておかないとならない・・・そう思っている。
とにかく詳細はまた!
先般、テレビで黒柳徹子さんがインタビューを受けるという番組があった。いつもインタビューをする側の達人が反対に受けるというその企画も面白かった。
その時、聞き手が「人生で後悔していることはありますか?」という質問があった。黒柳さんの大親友の野際陽子さん。ある時「墓場までもっていく話をあなたには話したい」と言ったそうだ。しかし、黒柳さんは仕事など忙しくされていてその話を聞けなかった・・・それを後悔していると。「どんなことだったのかしらねぇ?」と一瞬であるが表情き哀しくくもった。
人は、墓場まで持っていく話ってひとつやふたつはあるのかも知れない。それを言える、言いたいと思える友人がいるという事は実に幸せな事だ。
聞けばよかったのか?
聞かないで良かったのか?
人生って本当にタラレバが全く通じない世界。
聞いたとしても聞かなかったとしても黒柳さんにとって野際陽子さんは大親友だったということにかわりはないのたから。
2022年9月8日(現地時間)、エリザベス女王が亡くなられた。朝のニュースが流れたが本当に愕然としてしまった。享年96。
1952年に即位、英国史においてもっとも長い在位である70年にわたって君主を務められた。6月には在位70周年を記念するプラチナ・ジュビリーが祝されたばかりだ。女王としての公務は、亡くなる2日前、9月6日に自らの足で立ち、バルモラル城でリズ・トラス新首相を任命した。
まさに20世紀から21世紀にかけて英国を象徴したエリザベス女王の死。あまりにも大きく深い哀しみだ。