「ウケ狙い」「宮崎県の方言」などなど言えば言うほどぼろが出る・・・
首相の石破茂さんは「コメは買ったことがない」発言の江藤拓農林水産相を更迭する方針を固めたようだ。当初は続投の意向も示したが、あまりにもお粗末発言はこうなってしまうの典型だろう。「この人、いつも何考えているの?」と疑ってしまうほど。野党5党が国対委員長会談を開き、更迭を求める方針で一致し不信任案が可決される可能性が高まった。「自ら辞表を出すべきだ」との与党内でも意見の広まり。結末はもうすぐか・・・
「ウケ狙い」「宮崎県の方言」などなど言えば言うほどぼろが出る・・・
首相の石破茂さんは「コメは買ったことがない」発言の江藤拓農林水産相を更迭する方針を固めたようだ。当初は続投の意向も示したが、あまりにもお粗末発言はこうなってしまうの典型だろう。「この人、いつも何考えているの?」と疑ってしまうほど。野党5党が国対委員長会談を開き、更迭を求める方針で一致し不信任案が可決される可能性が高まった。「自ら辞表を出すべきだ」との与党内でも意見の広まり。結末はもうすぐか・・・
ちょっと取材で雑司が谷霊園に行った。「明日は警報級の大雨です」という天気予報に「絶対に雨の中は嫌だ・・・」と思い、曇天ではあるが早めて行った。まだそれほど暑くはなく、気持ち良い風は吹いていた。しかし、探す墓が無くて、てこずった。霊園に眠る著名人リストにも書かれていないので、「あれ?」状態で自分の甘さを悔いた。
墓地内を歩いているとご婦人方から「大川橋蔵さんのお墓はどこですか?」とやたら聞かれた。案内人のように地図を見ながら「ここのあたりですね~」と教えた。人気なんだなぁと思いつつ、自分の探す「鬼薊清吉」が見つからない・・・江戸時代の大泥棒なんて・・・とほほ、ダメかと思っているところで「お!」と発見に至った。
しかし、墓の管理は本当に大変な事だと思った。代々守っていく為の諸々の条件。例えば、島村抱月の墓じまいに関してもかなりの驚愕だった。坪内逍遥らと新劇運動をリードした島村抱月(明治4年)〜(大正7年)。のちに運命の女性・松井須磨子と劇団「芸術座」を旗揚げしトルストイの小説を脚色した公演では劇中歌を抱月が作詞し、須磨子は「カチューシャの唄」を歌い一世風靡となる。
しかし、この3人の三角関係話は有名ではあるが・・・大正7年、スペイン風邪により島村抱月が急逝する。芸術座も解散した直後の大正8年、なんと須磨子は抱月の後を追うように自殺するのだ。
さて、抱月の墓は、故郷の島根県浜田市にもあるらしいが・・・ここからが知らない事でまたも驚く話なのでが、抱月の墓に向かい左方向の笹の中に須磨子の骨が埋まっているという。生前、須磨子が秋田雨雀に「私の骨は抱月先生のとなりに埋めてください」と頼まれたという。俄かに信じられない話ではあるが秋田雨雀研究会の書籍を読み進める中でかなり驚愕した。
霊園に行けばもっと愕然として人生って?と考えていしまう。既に何もない光景には唖然とするばかり。勿論、管理事務所の霊園案内図の「眠る著名人」リストからも抱月の名前は消えている。暫くは抱月の三女が守ってきたようだが、三女が2005年に亡くなると、親族の女性が墓の世話を引き継ぐ。そしてその女性が亡くなったあと、女性の遺族では管理が難しく遂に「墓じまい」することになったという。
最近は「墓じまい」といろいろ言われているが、実に実に複雑な気持ちである。
朝夕寒いかな・・・と思っていたら、今日は「夏」だ。服装はいたって曖昧。夏の恰好ではなくなんとなく(笑)
そんな中、外出先で「冷やし中華」を前に、おお!となっている自分。今日のランチはしっかりと夏の定番「冷やし中華」。まだ5月中旬じゃないか?と思いつつも、なんてうまいんだ‼とただただ感動。
2025年になった時、カレンダーを見ながら、ゴールデンウイークの妄想してすうか、しっかり予定を立てていた・・・つもりだった。しかし、人生には「まさかけがあるもの。今回、しっかりと分かったのが当たり前の事をいっているようだが「先ず健康である事」である。人間とは本当に生身の生物なのだね。少しずつ少しずつ片付けでいけば「片付く」ということを念頭において一歩ずついこう。
気が付けば・・・1か月以上経っていた。
「もしかしたら」と想像してみてもそれは想像であって現実でない。
ああ・・・良かったとただただ思う。
人生の「まさか」について、いつか纏めなくてはならない時を作らないとなと思っている。
あくまでも私の場合だが・・・
会社を退職後というのは、一緒に仕事をしていた人々ても音信不通になってしまうことが多いと思う。そんなて中で、「訃報」にせっしてしまうとは‼ ある人の訃報が昨日から3人の人々から連絡がきた。
はぁ・・・と思った。当時の事をふわ~っと思い出した。バブル前というか、むわりとのんびりしていた時代かな?女性はいい人見つけて結婚して夫を守り、子どもを育てようなんて事が普通だったかな。
例えば戦後だ、高度成長期の中を生きた人々は日本の高度成長を語るであろう。私にとっての「あれはなんだったろう?」時代はまさに、バブル。気も狂ったような、思い出せばすざまじぃ時間があった。接待接待また接待。そして音もなくしのびよったバブル崩壊。
男女雇用均等・・・あのあたりも、ファッションも変貌した‼
あまりにも思い出すことが多く、何とも不思議な感覚に包まれた。もし、書き出したら、昭和のサラリーマン時代の事は、本一冊くらい書けると思う。しかし・多分書かないな。
本当に大昔のこと。あるファッション雑誌が「男の嘘」というテーマで募集していた事があった。いつもあまりにもおかしいその上司の嘘を書いたことがある。なんと「賞」にはいった。そして雑誌掲載の時、面白いイラスト入りで紹介された事がある。私はひとりで笑っていた。そのことを上司は知らないまま。
突風のように、新聞社時代は駆け抜けていった。走り、止まり、そして駆け抜けた。勝ち組負け組という言葉もあり「負けるな」と檄がとんだ。
生き生きとしたその時代の「時間軸」はまだ若い肉体を包み込むすざまじい勢いを増した。「出来ないことなんてない!」くらいの勢い。「負けてたまるか‼」と、いつも心の中では叫んでいた日々。声が4かれるほど・・・叫ぶ。
しか会社時代に一緒に仕事をしていた人間が亡くなったという事実。記憶がありありとあるのにと思うと実に実に不思議な感覚。これが年月というもののなせるワザなのだな・・・ふと思う。
ついこの間の事だ。、新聞社の旧友会の報せが届いたばかりというのに。
時間はするすると経っていくものだね。
時間としてはほんの数秒の景色だった。
車窓から、ビル建設の風景が見える。50階をゆうに超す高さのビルと聞いている。ふっと・・・数秒。その地面の下には遺跡があって、工事が随分と遅れたと不動産屋がいろいろ言っていた日を思い出した。
その遺跡の現地案内会が1日だけ特別に開かれた時、そこにある縄文時代の穴や、江戸時代の住居あと、そして、近代に入り、有名企業の最初の工場あと、関東大震災での被害状況・・・いろいろ見学した日の事を思い出した。
高層ビルが建った後、そこで仕事を仕事をする人も暮らす人も、みんななーーーーにも知らないで生活が営まれていく、そんな事を考えていると、その風景は眼前から過ぎ去ってしまった。
愉しい一日の数秒の時間旅行だった。
ニュースで曽野綾子さんの訃報にせっし、かなりショック。「神の汚れた手」など本当に作品は読んで読んで読んで・・・
2月28日午後2時59分に亡くなった。享年93。本当に私の人生の指針になるお言葉を多くいただきました。有難うございました。