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3月, 2022 | ichikoTV ichikoTV

2022 年 3 月 のアーカイブ

時は止まらない・・・

2022 年 3 月 28 日 月曜日

こういう時代にまさに直面しているんだな・・・と思う日々だ。

今頃何を言っているのか?と言われそうだが・・・

今までのこと、これまでのことは確実に「過去」であるということだ。例えば、人は死んだらどうなるのか?という質問にあれこれいろんな世界を彷徨する人々の意見は様々あり、それを信じて生きる。しかし、人は死んだら「無」になることは変らない。

たからこそ・・・というか、その「過去」に学ぶことの多いことに対して鮮烈に気づかされる。そう!人間か何を考え何をしてね「時」は経ち、そして「今」が「今」ではない事に気づく。「過去」となっていく時間の堆積と残り香のような感情を懐かしむこともいいが、過去から学ぶことのこれまで以上に気づきが多いことを知る。

昔、映画「ひまわり」をみた

2022 年 3 月 19 日 土曜日

随分、昔の話だ。学生時代、友達と映画館へ行き「「ひまわり」をみた。涙を流していた。何故か悲しいと言って共に涙を流していた。

30代になってから40代になってから・・・この映画を改めてみたのだが、心を揺さぶるものが学生時代とは全く異なって、それは自分でも驚くほどだったことを記憶している。

冷戦期にソビエト連邦で初めて撮影された西側諸国の映画「ひまわり」。第2次世界大戦下、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は結婚するがその幸せもつかの間、アントニオはソ連戦線へ送られる。終戦後、戻らない夫の行方を追ってジョバンナはソ連へ向かう。漸く、夫の居所を探し当てるのだが、戦場で遭難した彼はソ連の娘に助けられて・・・

戦争によって、ひきさかれた夫婦の悲哀という、それだけのものでない事が判る。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンという二人の名優。そしてヘンリー・マンシーニの音楽。あの映像と旋律。何よりもエンディングでの地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑。このひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州で撮影されたものである。

日々

2022 年 3 月 17 日 木曜日

淡々と日常生活をこなしていく

耳に入る数々の情報

全てが把握できない中で

落ち着かないその感情さえも封印して

静かなレジスタンスなのかも知れない

落ち着かない・・・

2022 年 3 月 14 日 月曜日

企画書作成をいくつか同時並行で進めていて何というのか、口に出したくないが時間が足りないっぽい(笑)こういう言い方で結構救われる!それにしてもロシアとウクライナ・・・だけの問題ではないのに何故か他人事か。ブーチンの支持率がアップしたというニュースを見て、唖然。

今、寄付しか出来ない。そんな自分の非力さを感じる。パラリンピックも終わったが何とも心ざわざわしている中で「あのさ、世界が変化するってことはね」と弁舌爽やかな人間の言い分にもさすが辟易だ。

物事を見る「視点」というのか?これまでの周囲の人々の動きや考え方に対しても私の中ではかなり変容している。しかたないかなと思いつつ、しっかりとした基軸をもっていこうと。

ある日のニュースで「ロシアにいる母親が私のいう事をみんな嘘だという。ロシアを信じて、娘の事を信じられないの?」と滂沱の涙のウクライナにいる女性の映像を見た時、報道についてまた考えてみた。

多分・・・暫くすると?ロシアの人々も所謂、日常生活の中で「?」となると思う。

言の葉

2022 年 3 月 9 日 水曜日

アメリカ合衆国の飛行家のチャールズ・オーガスタス・リンドバーグ。1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功。1931年には北太平洋横断飛行にも成功した飛行家として有名である。

その1931年は航空路調査のため、リンドバーグは結婚まもないアン夫人と北太平洋をよこぎって日本を訪れる。千島を飛んでまず根室へきているのだが・・・・

リンドバークの妻のアン・リンドバークが千島列島の海辺の葦の中で救出され、いよいよ別れの時に横浜の埠頭で人々が「さようなら」と甲高く叫ぶこの言葉の意味を知らされて強い感動を覚えるのだ。

私はそのエッセイを読み進め深い感動に包まれた。

「さようならとこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉はもともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとその時に私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは多かれ少なかれ神が別れの周辺にいて人々を守っている。英語のグッドバイは「なんじとともにあれ」、フランス語のアデューは「神のみもとで」と、再会を期している。それなのにこの国の人々は別れにのぞんで「そうならねぱならぬのなら」とあきらめの言葉を口にするのだ」と。

コロナ禍での日々を考えた。例えば・・・なんて言い方もおかしいが、叔母の亡くなった時も会えず、「さようなら」さえ言えずだった。

昨晩はふつふつと昔々の想い出をかみしめていた。余りにも仕事で忙しすぎた30代のある時、「電話くらいできるでしょ?」と言った叔母に対してそんなことさえ出来ないほど「今は忙しい」と返した自分のあまりにも幼稚な姿を思い出していた。

言葉は大切にしよう・・・もっと

何と申しましょうか・・・

2022 年 3 月 7 日 月曜日

最近は「普通の・・・」とか「当然の・・・」ということが何であるのか?分かりにくくなってきた。ただ、決して嬉しく小躍りしてしまうほどの真逆の現象は人間の本性をも丸裸にしてしまう、そんな気がしている。コロナ禍も3年目に入って、「来週には」といったようなことが言えない事態がワンワン押し寄せてくる。そしてウクライナ問題にしても然り。全く!真逆の考え方をする人も出てくる。楽しく過ごしている時は決して現れない?顔や考え方なんだろうと思う。しかし、決して否定はしてきならないのだろう。道徳から外れていることがらとは別にという意味である。


クルマの運転、ゴルフのプレイをみればその人の気質や人柄が大いに出るとは聞いたことがあるが、実に人間とは変容していくものだ。クルマも乗らず、ゴルフもしない人であってもこうした社会情勢にあってももろだしである。

歴史を刻む「法明寺」の梵鐘

2022 年 3 月 4 日 金曜日

先般、ロケで雑司ヶ谷歩きをしたが、江戸時代から桜の名所でもある「法明寺」がある。宥元年(810年)真言宗「威光寺」として開創され、正和元年(1312年)、日蓮聖人の弟子の日源上人により日蓮宗に改宗され、「威光山法明寺」となった寺である。その境内には酒井抱一が描いた朝顔と戸張富久の句が彫られた「蕣(あさがお)塚」や、曲尺、算盤、枡、天秤など度量衡の珍しい紋様が描かれた梵鐘がある。この梵鐘は第二次世界大戦の時の供出を免れたものだと聞いた。あの金属類回収令。武器になった多くの武器たち。暫く無言で梵鐘を見つめた。

源平咲き

2022 年 3 月 3 日 木曜日

昼過ぎから案内人の方2人と雑司ヶ谷を歩く。5月に街歩きの企画をたてているからである。法明寺の山門の前で、梅の花が!1本の木に赤い花と白い花が。このように1本の木に赤と白の花が咲くことを「源平咲き」というそうだ。しみじみ見てしまう。平安時代の源平合戦のとき、源氏が白い旗を、平氏が赤い旗を用いていたことから、こう呼ばれているという。なんでも梅だけでなく桃、椿、ツツジなどにも見られるそうだ。そもそもは紅梅。色素ができなくなって白くなる。

赤い色はアントシアンという色素で赤くなるために多くの酵素を必要とする。この酵素が一つでもうまく働かなくなると、赤くなれず白い花になる。

わからない・・・

2022 年 3 月 2 日 水曜日

ロシアとウクライナ問題。解決とは?

いろいろ考えても考えても・・・

いろいろな意見が飛びかう

ほとんどが乱反射する

プーチンの判断

2022 年 3 月 1 日 火曜日

可なり怖い。「数年前と人が変わってしまった」と評されるプーチン大統領がこれからどんな判断を下すのか?数千発の核ミサイルの発射ボタンは彼の手にあるし、昨日は核兵器の使用をほのめかした。プーチンの破滅そのものを目指すような形ではなくて、とにかく暴発に至らないように着地だけはと。

日本はどのように進むのか?太平洋戦争そして被爆国としての経験。しっかり冷静に対応していくしかない。