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11月, 2024 | ichikoTV ichikoTV

2024 年 11 月 のアーカイブ

「風を感じたい」

2024 年 11 月 29 日 金曜日

最近は夜が遅くなると、眠気に襲われる・・・(笑)

さて、ChatGPTをはじめとする生成AIの登場はまさに「新時代」への突入である。人間の知能にも匹敵する“究極の人工知能”の完成まで・・・あとわずかなとと聞くと「自分はどーなってしまううんだろう?」と不安にもなるのだ。

そんな中、テレビのサイエンス番組で「私の名前はAmecaですとインタビューを受ける番組を見た。イギリスのロンドンから車で6時間、イギリス南西部に位置するコーンウォール地方にいる最新のAIテクノロジーを駆使して開発されたのがヒューマノイドロボット「アメカ」である。

多くのAIを搭載したヒューマノイドロボットらしい。目の動きが・・・ヒトだ‼ 頭脳には、対話型AIのChatGPTをはじめ、さまざまなAIが搭載されているから、その言語能力もとても構わない世界だ。

また、言葉に合わせての「喜怒哀楽」がある。そして「好きな音楽は?」と日本語でのインタビューに対して「最近ハマっているのは、日本の歌手・米津玄師の曲です。特に『Lemon』が好きで、歌詞もメロディーもとてもかっこいいし、それを聞くたびに元気が出ます」などと言うではないか‼まさあなた、誰?という感覚だった。

アメカは2021年に開発され、それ以降もアップデートが繰り返されてきたらしい。今後の姿はどうなるのか?想像の枠の愉しみが増えた。ただ、「風を感じたい」というアメカの言葉。心に響き渡った。そしてアタマにこびりついた。あんなに眠気に襲われていたというのに・・・アメカが感じていない「風」について考え始めてしまった。冷たい北風、心地よい風・・・人はそれを知っている。そう、アメカには皮膚感覚がないからしようもないが。それに嗅覚はどう?懐かしいにおいとか、ヒトの持つ感覚は、これを会得するのには・・・まだ時間がかかるのではないか。

「私の宝物です」という言葉

2024 年 11 月 26 日 火曜日

「喪中につき年始のご挨拶を失礼させていだたきます」

欠礼の葉書が届く頃だ。

ちょうど賀状をどうしようか?・・・と思う頃と重なる。そんな中、一通の葉書が届いた。

「いい記事をお送りくださり有難うございます。私の宝物です」と。今年の3月に101歳で亡くなったNさんのお嬢さんからのものだった。心の中で、何かあたたかい涙が流れた、そんな感覚だった。

「戦争中は本当に食べるものがなかったのよ。雑草までも食べた。食べることが仕事だったの」と何度もNさんは語ってくれた。雑草・・・私の頭の中にはその言葉がいつまでも響いて、一体どんな雑草だったのか?他のいろいろな方々の取材での話も参考にしながら調べた記憶があった。

「100歳になったのよ」と微笑むNさんの表情は本当にキラキラしていた。見惚れるほどにつややかだった。そして、101歳で亡くなったと聞かされた。裁縫が好きで息をひきとるまえに、一生懸命に手を動かしていた・・・そんなお話も聞いた。ちょうど、音楽家の坂本龍一さんがやはり亡くなる時に手を動かしていた・・・まるでピアノを弾いているようだった・・・そんなん話が頭の中に残っていたのと重なった。Nさんも「私ね、お裁縫がもう‼大好きなのよ」と裁縫を楽しそうにしていた。そのキラキラした姿からはあの戦争の悲惨な体験は想像出来なかった。

人は・・・一生懸命に生きるというその「姿勢」が大切なんだとしみじみ。何歳だったな、ちょうど何歳になった時でしょ?、もうすぐ何歳になった筈なのに・・・これは、ある意味「記号」のようなものだなと、またしみじみ。

「私の宝物です」というNさんのお嬢さんのしっかりとした文字に、「ああ、良かった。本当にお世話になりました。有難うございます」

そんな気持ちで一杯になった。

あの事故から5年が経ちました 

2024 年 11 月 25 日 月曜日

私はその慰霊碑の前を通る時、必ず手をあわせる。

白い花の慰霊碑。

あの日の事を思い出す。

人は想像もしない出来事が起こった時、その悲しみはどんなに深いものだったかと思うと涙が止まらなくなる。

2019年の4月19日午後0時23分東京・池袋の乗用車暴走事故があった。

松永菜さんと長女莉子ちゃん。公園で遊んだあとの出来事だったらしい。

その他9人の方が重軽傷を負った事故だ。

以前、その現場の近くにいた人の話をお聞きしたこともあるが、あまりの事に身体が動かなかったというほどの酷い事故だった。

自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われて禁錮5年の実刑判決を受けた飯塚幸三受刑者。彼が死亡していたと関係者への取材で分かったらしい。老衰とみられるそうだ。93歳。

よく言われる高齢者の「アクセルとブレーキを踏み間違えた」ということ。クルマの仕組みについて詳しくはないのだが踏み間違いという理由のあまりにも多いこと。何とかならないものか?といつも思うのだ。

戻ってこない尊い命。ただただ手をあわせる。

ありがとう  和子さん

2024 年 11 月 23 日 土曜日

知人・・・友人・・・仕事仲間・・・どうもピンとこない。そんなある女性の訃報に接した。暫く声が出なかった。しはらくして・・・漸く「ああ」と息がでたものの・・・どうも納得できない時間が経った。

女性は結婚すると家庭にはいり所謂、専業主婦でいることに何の疑問も持たずの時代があった、一度家庭にはいった女性たちがもう一度社会で羽ばたこうとい時代の風が吹いた。そんな時に私は彼女に出会った。

いわば、恵まれた家庭環境の女性・・・そんな女性が当時、はやり始めたコビーライターの教室に通い始めた。学び、経験を積んで、暫くすると小さな事務所をひらいた。当時、新聞社に勤務していた私は、同僚と二人で、彼女の作った事務所りあるマンションの一室に取材に行った。先方も確か二人だったか。こちらも二人で、部屋はきゅうきゅうだった。スタート時点にたった彼女の姿は輝く前の原石のようだった記憶がある。

こちらも忙しく・・・

彼女も再就職の為の学校の開校に頑張っていた。次第に彼女の周囲に勢いのある女性たちが息を吹き返したように集まった。私は企画書を書き、スポンサードに走り回ったこともあった。シンポジウムの企画提案もした。いろいろな業界で粗削りな主婦たちが試行錯誤しながら動き始めたのだ。

そんな時代の変化の風はどんどん強く吹いた。

「女性たちの時代が来た」とも言われた。

しかし、男たちの冷ややかな視線はそのまま様子をうかがうふうであった。いつも「俺たちとは違うんだ‼」と腹の底では思っていても・・・彼らはそんな時代の風に「おお‼大歓迎‼」と男が一瞬でもほほ笑む時代が到来していた。

一度歯車が回り始めると、彼女はこれまでにないというより、本来の「姿」か?世の中に登場して、マスコミも彼女を追いかけ、記事を書いたのだ。

そして

そんな人々が集まり語り合う「サロン」をオープンした。そこにはお気に入りのジュークボックスを入れた。時にはバンドも入って演奏から演奏のそれは甘美な時間が過ぎた。

ある時・・・まったく不明であるが・・・体調を崩していることはごく一部の人にしかわからない時があったことを知った。多くを語らず、多くの人に知らせることなくも彼女の身体は病に蝕まれていった。

時間は容赦なく流れ、過ぎていく。コロナの時もそうだった。こっそりとマスクをしながらジュークボックスの音楽に酔った。そう、音色が連鎖していくだけの夜を過ごした夜もあった。

「今ね、小学生くらいの体重しかないのよ」と電話の向こうで話す彼女の声を聴いていた。「小学生?」と聞き返したものの、「そう」としか回答はなかった。そして、ただ昔の自分を思い出すかのように、「そうよね・・・そんなこともあった・・・ふふふ」という笑い声と相槌。私は、弱くなっていく彼女の声に心の奥の奥のところで「ああ・・・人生って‼なぜ?」と叫んだ。

ちょっと長い時間だったね・・・

心の整理にはまだ時間がかかりそう。

連続ドラマのように、「夢」で会いにきてくれないか?また、あのジュークボックスの前で「次はどれにする?」と曲選びをしたい。

どうぞ・・・

やすらかに・・・

やすらかに・・・

そして、ありがとう

谷川俊太郎さん 

2024 年 11 月 19 日 火曜日

現代を代表する詩人の谷川俊太郎さんが、11月13日に老衰のため亡くなったというニュースを見た。享年92。

何とも無念というか・・・人ってやっぱり死んでしまうのか・・・と思った。

高校時代に詩を作り始め、1952年、詩集「二十億光年の孤独」を発表しデビューたれた。広い宇宙に生きる孤独な人間の姿を見事に表現。天才といえる表現。

生きるという素晴らしさをつづった「生きる」や、世界中で朝を迎える様子を描いた「朝のリレー」。これからも読み続けたい。

取材の中で感じる人生

2024 年 11 月 16 日 土曜日

昨日は昼から雑誌の取材の為、キッチンスタジオに行った。小林カツ代さんの料理人生におけるある部分。「神楽坂女声合唱団」の誕生秘話である。結成された2000年から24年という年月。やはり凄みを感じる。

カツ代さんの料理の再現‼本田さんがまるで魔術師のように料理を展開していくる。その姿にかっちゃんを知っている人々は感動している。久しぶりに音楽家の吉岡しげ美さんも同席。何ともいえない感情がこみあげてくる。現在も団歌として歌われている「緑の星に」の作曲家である。かっちゃんの詩は全く今もなお生き生きと輝いている。

肉じゃが、ポテトサラダ・・・じゃがいもは当時、大人気だった料理番組でかっちゃんが見事優勝した食材である。「なんとなくわかった」というあの鋭い勘というか・・・話したらきりないほどのエピソードがある。

ひとつひとつ思い出してはかみしめるように(笑)なんとなく微笑んでしまうエピソードばかりである。

人生の中の「人との出会い」の素晴らしさはやはり人生の中で生きてこその体験。どんな事があるかなんで、誰も分からず、必死にもがいてもがいて、そして時間が経過する。

でも・・・素敵‼ 人生は‼

肉じゃが

トランプの返り咲きか

2024 年 11 月 6 日 水曜日

異常気象の事、日本の政治の行方・・・諸々考えていたが・・・11月6日、5日投開票の米大統領選で、返り咲きを目指す共和党のトランプ前大統領が民主党のハリス副大統領を破り、勝利を確実にしたと報じた。

まだ開票は続いているようだが・・・

トランプ氏は激戦州のうち南部のジョージアやノースカロライナを制した。FOXは勝敗の鍵を握る東部ペンシルベニア州もトランプ氏が制したとしている。

やはりか?

想いというもの

2024 年 11 月 2 日 土曜日

国際NGОワールド・ビジョン・ジャパンから「チャイルド・スポンサーシップ」の案内が来た。何度も何度も読みながら世界の厳しい貧困地帯で必死に生きようとしている子どもたちの姿を思う。表現できない痛みで胸の奥が苦しい。

この日本でも貧困はある。「え?」ととぼける人もいるだろう。皆が知らないのかもしれない。いや、知ろうとしないのかも知れない。例えば、お母さんが1日にいくつもの仕事を掛け持ちしてクタクタになって・・・子どもたちは提供してくれるところ(店舗など)お弁当をもらっている姿もある。「お兄ちゃんと分けるから」と言ってかけて帰る姿の子ども。また「子ども食堂」といっても毎日開業しているわけではない。しかし子どもたちにとっては食事は毎日のことである。ある時。ある食堂の取材で自分の無知に愕然とたことがあった。「おいしいね❢この味噌汁、お母さんに持っていきたい。だめかな?」と小学生の男児が発した言葉。お母さんにも飲ませたいと言う。

何故?私たちは働くのだろう?とまたまた疑問がわいてきた。生涯で獲得する金額など・・・もちろん、しれている。大いなる❢天才的なスポーツ選手たちのような能力でもなければ・・・

ふと「自分で稼いだこの金は持っていきたい」と言って死んだある男性の姿も思い出した。相続だと骨肉の争いをする家庭もいくつか少しだけ見たこともある。相続税でいろいろ鋳放し手クタクタになった女性の姿も少しだけ見たことがある。

最後に大切なことはどう生きたか?そしてせめて「自分はすごい❢最高だ❢」と歓喜するのもいいがその前に「有難う」という気持ちではないかと改めて思った。

人として生まれてきたのであれば人として人々を想う気持ちでいつもいっぱいな人間でありたい。そしていくばくかでも稼いだならば、衣食住にすこしでも満ちているならば、想う気持ちは行動の原動力にしたい。