今年の夏はかなり!かなり!暑いらしい・・・今からエアコンのチェックをとか聞くが在庫もないとも。昨日今日も暑かったが、9月までのイベント企画を纏めて、無事に終わるのだろうか・・・と今。感じていない暑さを感じる・・・
2022 年 5 月 のアーカイブ
今夏!暑いらしい・・・
2022 年 5 月 30 日 月曜日つれづれなるままに
2022 年 5 月 25 日 水曜日五月晴れって言葉があったなぁ・・・と思いながら空を見上げるが・・・このところ何とも高層マンションの建設ラッシュ?気が付くとのんびりしていた光景がなくなり、そこには30階を遥かに超すマンションが建っている。超高齢社会で少子化が激しく進む。今後、どんな社会になっているのか?ふっと考えると変な不安が過る。
キャンピングカーで楽しく全国まわっているという30代の夫婦がニュースで流れていた。確かに楽しそうだ。愛犬2匹とともにもう120日ほど日本をまわっていると言っている。
相変わらずのウクライナとロシア。各テレビ局で政治家だ軍事評論家だなんだかんだと話す。やはり着地、解決はどこにあるのか?曖昧なまま・・・曖昧なまま・・・誰も語らないというより語れないでいる。
2022年の5月の長いことよ・・・少し疲れがたまってきたよ。どーしたんだろう?この長さ。6月の誕生月にはまたひとつトシとるな。
死んだ男の残したものは
2022 年 5 月 19 日 木曜日なつの朗読会の一部でこの歌を歌う流れになっているのだが・・ ・作詞家と作曲家の名前を改めてみて驚いた。いやはや・・・凄い方々だった。倍賞千恵子さんのYouTubeで見て、聞いて、涙が流れる。
「死んだ男の残したものは」
作詞:谷川俊太郎
作曲:武満 徹
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない
ごっちゃ
2022 年 5 月 18 日 水曜日このところ、「この戦争は長期戦となる」と武器の話が飛び交う。「もしや事故ではなく事件では?」と骨が発見された親御さんの気持ちも考えずにいろいろ物言う人々。「美味しいスイーツ店がまたお目見え」ああ、そうですか程度。それに数千万円があっという間に消えた?というある地方。大きな金額がいきなり振り込まれたら、驚いて連絡する、普通の人間なら。それなのに?「ネットカジノ」とか言う言葉も初めて聞いた。スマホでなんでもかんでもやってのけてしまう世の中。余りにもごっちゃな情報が氾濫している現代。
今日の昼に、ある人が「日本は平和だからね~」というと、「日本は平和なんかじゃないっ!」とある軍国少女だった80代の女性が語気を荒げた。その場の空気は「・・・」であり他の人は何も語らない。皆の「平和に関する考えが全部違っているからだ。
そうそう・・・そうなのだ。世の中が余りにも不思議すぎて、時折、星新一のショートショートを読んでいるというか?感じている気がすることがある。まさか!が多すぎるし、いろんなことに無関心というか、実に変だ・・・と思う。
ネットなどしているととんでもないものにぶち当たって、ふっと自分が10代くらいの時の記憶が蘇る。この数か月のこと。ある一つの商店街の通りを何度も何度も歩いていると、「ここは昔、母親と歩いた!」と思うのだ。背丈も今よりは小さかったし、体力もなかった・・・そんなことを考えながら歩いていると「もしや・・・この横に入っていった?」とふと逆行することがある。もうとんでもない時間が経ってしまっているから、それこそとんでもない奇跡でも起こらない限りは今、密かに心の奥で探しているその人の情報を得られることなんてない・・・筈であるが・・・やはり、星新一の世界観だなぁ、今宵も。まあ、いいか。
筍
2022 年 5 月 14 日 土曜日タケノコの美味しい季節だ。新鮮なものは刺身で、煮ても焼いても炊きこんでも美味いタケノコ。
昔、この季節になると山ほど山口県からタケノコを送ってきてくれる友人がいた。いつの日か今か今かと新鮮なタケノコを待っていたのだが、ある年に届かなかった・・・そのまま気にせず時間が流れたがもう一人の友人が「全く連絡がつかないのよ」と連絡してきて、いろいろ私に訊ねたが全く消息不明。現代の「独り」というのは、本当に連絡がつかなくなったら、全く前には進まないのだ。行政は「個人情報は教えられません」と一点張り。これこそ全く前進しない。電話だメールだなんだかんだの方法も全く役立つないことを知る。
東京にきた時は必ず、友人のオフィスにより、そこでみんなに料理を振る舞っていたと聞き、もっと遡れば、そう20代から彼は山仲間だった。電話口で焦っている友人の口から「幼稚運の園児にタケノコ堀りとかいろいろ教えているともきいた」という中から私の頭の中に「幼稚園」という彼のイメージとは結びつかない言葉が響いた。
何れにしても事態は尋常ではないのだ・・・
不思議と言えば不思議である。いつも自分が不思議だと思えるのはこんな時。ふっと地図を広げ、そして地域の中にある幼稚園を3つ選んだ。
最初の幼稚園では「知りませんね・・・」と呆気なく。そして次の幼稚園に電話した時だった。本当にこういうことがあるものか!と思った一瞬だった。たまたまか、必然か?電話口に出たのは園長先生で、私の口から「Nさん」と彼の名前を出した途端!「わぁー」という響きと興奮にも似た焦りの声が聞こえた。「今年も園児たちにタケノコ堀りを教えてくれる予定だったんだす!」と。その後はいろいろな経緯と「死」という事実を教えてくれたのだ。しかし現代の「独り」というのは本当に本人がいなくなってしまうと全く手も足もでない。納骨されたのであれば寺か?また、地図を見ながら川筋を見て、「教えて教えて」と思い、何故か北方向にある寺に電話をしてみた。その瞬間だった。また電話口にご住職が出られ、驚き、彼の「~家」の話を始めた。私はひたすらメモをとった。
何かに揺り動かされて、知らされて・・・友人に電話で連絡して事情を伝え、菩提寺を教えた。電話の向こうで彼女はとても驚き・・・そして泣いた。
20代の頃は、夏になるとふた山くらい登り、高山植物の好きな彼は、花たちを写真におさめた。若い時代の私たちは「近くにこんな綺麗な花があるのにぃ~」と言って彼をからかいながら燥いだ。
5月・・・この季節になると〝あの時〟から毎年毎年、夏山に登った時のこと、そして届けられた荷物にある彼の文字を思い出すのだ。5月に届けられたのは「タケノコ」ではなく・・・なんか「筍」だった気がする。
海ゆかば
2022 年 5 月 11 日 水曜日発表会といえば・・・
先ず、8月に「朗読会」がある。広島と長崎、日本への原子爆弾投下にちなむ話、手紙、短歌などの本格的練習に入った。その中で、『海ゆかば』を歌うシーンがある。この歌は信時潔(1887-1965)が1937年(昭和12年)に作曲した国民歌謡・戦時歌謡ということだ。歌詞は奈良時代の歌人である大伴家持による『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」から抜粋されている。
海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の辺にこそ死なめ
かへり見はせじ
大君とは天皇のことである。兵士たちはこれを口にしたというが・・・
以前、従軍看護婦をしていた方を取材したことがある。まだ若い若い兵隊さんの看護をしていた。「米粒を集めて集めて粥にして、一匙、その兵隊さんの口に運んだ。そして、亡くなる直前に一言「おかあさん」と言ったの」と聞いた。亡骸を森に運び、そして葬られたと言っていた。多くの記憶。思い出し思い出し、そして、哀しい哀しいといつまでも泣いていらした。
その時のこと・・・どれほどの悲しみと苦しみがあったか・・・ふと思い出す。
幸せな朝食
2022 年 5 月 10 日 火曜日毎日、手塩にかけて・・・糠床は美味しさを保ち、そして進化するものだと思う。しかし、何がそんなに忙しいのか?と自分を戒めたいほどに放置しておくと、これは大変な事となる。
糠床をつくり直して、野菜を漬けた。福島県でまだ風評被害のなんたらかんたらと言われている野菜たちを漬けた。浅漬けのキュウリも蕪も実に美味い、炊き立てのご飯、そして友人からいただいた岩手県産のワカメの味噌汁。そんな朝食をとった。
心身健康であるからこそ、新鮮さが美味いと感じるのだ。当たり前のようであった決して当たり前ではない、そんな幸せ。
記憶の遺産ツアー 雑司ヶ谷編
2022 年 5 月 9 日 月曜日2022年5月7日(土)にアップする筈であったが、散策解散後に一杯・・・ではなく二杯と進み、(笑)。本日アップします。
5月7日にと実施した、としまの「記憶の遺産ツアー」雑司ヶ谷編(豊島区国際アートカルチャー特命大使 SDGs特命大使自主事業)。
この日は、とにかく、天候が気になって午前4時には起きていた。まあ、早朝は雨がたたき打つように降っているではないか。特殊能力でもない限り、とても止められない~と思い、他の用事を始めた。低気圧ってすごいなと思いながら、雨に濡れた樹々も美しいだろうと思う。
午後12時に護国寺へ到着。久しぶりだなあと思い、昔々、小学校の時にこの停留所で降りて、学校へ歩いた日々を思い出す。街並みもビックリするほどの変貌ぶりだ。当たり前か・・・
12時半過ぎるころ、ぽちぽちと参加者の到着!名簿をとり、名札を渡す、大人の遠足?が楽しい今日この頃って感じで何か嬉しくなる。
この日、まわったコースは
護国寺仁王門集合➡清土鬼子母神➡雑司が谷七福神の「吉祥天」七福神①➡雑司が谷旧宣教師館(東京都指定有形文化財)➡雑司ケ谷霊園散策➡中野ビル・雑司が谷七福神の「布袋尊」七福神②➡仙行寺・池袋大仏、雑司が谷七福神の「華福禄壽」七福神③
仙行寺で集合写真を撮って解散へ。
次回、第2回目実施の「雑司ヶ谷編」は国指定の重要文化財・鬼子母神へ参る。御本堂への特別見学も予定しているが法明寺の「鐘楼」も特別見。実は、ここに驚くほどの歴史を発見がする。知っているようで知らなかった、そんな土地の文化や歴史を発見できるチャンス。「いつでも行ける」と思い、人間とは結局行かないもの。チャンスはその時にわおっと掴むとよい・・・と思う今日この頃。
◆6月4日(土)にまわるコースです!
都電荒川線「鬼子母神前」➡清立院➡雑司が谷七福神「毘沙門天」七福神④➡石橋記念供養塔➡大鳥神社➡雑司が谷七福神「恵比壽天」七福神⑤➡大門ケヤキ並木→並木ハウス➡未来遺産「鬼子母神堂」(国指定重要文化財)➡雑司が谷七福神「大黒天」七福神⑥➡消えた川〝弦巻川〟と焼けた〝仁王門〟➡雑司が谷七福神「弁財天」七福神⑦➡法明寺 蕣塚と鐘楼(特別見学)➡威光稲荷尊天
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